なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№436    2019年11月17日   北村慈郎

・  8日(金)には基地・自衛隊問題小委員会(以下基地小)が午後4時半より高座渋谷教会でありました。委員会の後委員は夕食を食べ、午後6時半から始まる公開学習会「宮古島からの声~宮古島陸上自衛隊ミサイル基地建設の現状と課題~」(講師:宮古島伝道所牧師坂口聖子さん)の準備をして、開始に備えました。この公開学習会は、基地小の委員を中心にした学びで、それを委員だけではなく誰でも参加できる公開学習会にして開かれたものです。参加者が多くても20人ぐらいではと委員の間では考えていましたが、予想に反して34もの参加者がありました。船越教会からは私の他にWさんが参加されました。安倍政権が安保法制を成立させて、米日軍事同盟が強化されて来ていますが、中国や北朝鮮の脅威を理由に宮古島をはじめ南西諸島の自衛隊基地建設も進められています。軍事による平和はあり得えないのですが、外交によるアジアの国々との間に平和を構築する努力を安倍政権はほとんど放棄してしまっているかのようです。軍事力による安全保障という誤った政策に固執している安倍首相には全く希望はありません。坂口聖子さんはパワーポイントによって宮古島の様々な場所の映像を映して、宮古島における陸上自衛隊ミサイル基地建設の実態を明らかにしてくれました。当日いただいた資料「仏教タイムス」(2019/3/21)のコピー「宗教者九条の和講演会 進む宮古島の基地建設」に坂口聖子さんの講演内容が紹介されています。ほぼこの日の講演と内容が同じですので、その記事から引用させてもらいます。

・  【横浜生まれの坂口氏は(正教師)資格を取得して2年前に宮古島に赴任。人口5万5千の小さな島だが、98万人の観光客が国内外から来島する。島の中央部に位置する野原(のはら)地区に自衛隊基地建設が進む。かつてはゴルフ場だったっ場所で、中には信仰の場所である御嶽(うたき)がある。「御嶽は水源に関係している。川のない宮古島は井戸を大切にしている。基地内御嶽には森と井戸がある。当初は森には手をつけず、誰もがお参りできるとした。今は井戸は埋められ、入るのも制限されている」と信仰にも影響が出ていると指摘した。/しかも基地内の「保管庫」と称している場所は、実際には「弾薬庫」であり、それが軟弱地番の上にあることが専門家の調査で判明。同様に700トンの燃料もその上にあるため、「燃料が漏れだしたら、地下水に頼っている島民は、水が飲めなくなる可能性がある」と坂口氏は生活面への影響を危惧した。/そのほか深刻なレーダー電磁波被害、オスプレイ配備、護衛艦のための港の整備などを報告した。「小さな問題かもしれないが、ぜひ目を向けてもらいたい。一度、宮古島を訪れ視察してほしい。我々のセンスが問われている」と迫った。】

・  9日(土)には午後2時から横浜明星教会で教区の宣教方策会議がありました。私は寿地区活動委員会とオリエンテーション委員会の責任者として出席しました。この宣教方策会議は来年度の教区の活動基本方策案および活動計画案についての準備の会です。各地区・各委員会委員長と三役常置委員が出席し意見を出し合う会です。そこで出た意見を踏まえて宣教部委員会でさらに審議し、宣教部委員会が常置委員会に「2020年度神奈川教区活動基本方策案および活動計画案」を出し、常置委員会で可決したら、来年2月の教区総会の議案になります。今回ある方らか今までの教区活動基本方策の前文の修正案が出ました。「一つの地域共同体としての教区形成を…」という個所を「主イエス・キリストによる一つの地域共同体としての教区形成を…」にするという修正案です。議論の結果宣教方策会議では「主イエス・キリストによる」は入れないことになりました。

・  10日の日曜日は礼拝後残れる人でお茶をいただき、その後役員会が行われました。この日の役員会にはIさんが欠席でしたので、私を入れて4人でした。この日の役員会では今後の船越教会について、まず役員で話し合うことになっていましたが、役員が1人欠席でしたので、4人そろっていた時の方がよいので、来年1月の役員会に延期しました。川崎戸手教会他台風被災教会への対応に関しては、当面募金箱を「東日本大震災台風15号・19号被害を覚えて」と名称変更して対応するとともに、教会としては、近々決まると思われる教区の対応をみてそれに合わせて話し合い、支援をしていくことにしました。その他クリスマスの準備についても話し合いました。私は役員会後来週の準備をしてから鶴巻に帰りました。

・  14日(木)は連れ合いの抗がん剤治療の日です。この日の診察ではがんマーカーの数値とct検査の画像から肝臓と肺のがん細胞が増えているので、抗がん剤を変えることになりました。診察後化学療法室で4時間ほど抗がん剤を投与し、それに加えて家に持ち帰り46時間をかけて抗がん剤を投与する方式になりました。この日は家を午前8時半ごろに出て、帰ったのが午後6時少し前でした。

・  15日(金)は午後4時半ごろ家を出て、横浜キリスト教書店でクリスマス用の献金袋と用紙を購入してから寿地区センターに行きました、寿地区活動委員会があったからです。委員会ではいつものように寿地区センター報告、宣教師報告、寿わーく(青年ゼミ)報告の後、寿地区センター関係の諸団体の報告を丁寧にしてもらいました。協議事項はボランティア交流会のあり方、来年度の講演会講師の選定などについて話し合いました。午後8時過ぎに委員会が終わり、私はその後船越教会に行き、「合同」50年集会のプログラムと講演レジュメ・資料、それにオリエンテーションの資料を印刷しました。16日の土曜日は給湯器の故障を業者の方が見に来たので、それに対応しました。その結果、給湯器は新しくしなければならなくなりました。