なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(57)

「洗礼者ヨハネとイエス」マタイ11:7-19

                2019年11月17日(日)礼拝説教

 

  • 私は海を見るのが好きです。横浜で生まれて育ったからかもしれません。紅葉坂教会時代に2ヶ月に一回、江ノ電稲村ケ崎にあります軽費老人ホームの鎌倉静養館の聖書研究会に行っていたことがあります。紅葉坂教会の教会員の方がそのホームにいらっしゃって、数か月に一回その方を訪ねていて、ある時聖書研究会の担当者だったその方から話を頼まれたからです。それ以来約10年間聖書研究会で話をしました。そのホームには、ある時期船越教会のメンバーで福岡にいらっしゃるwさんのお母さんもいらして、聖書研究会にも出ていました。その聖書研究会に行ったとき、お天気のいい日には、七里ガ浜から稲村ガ崎にかけて広がる海岸線の砂浜を歩いたりすることが、よくありました。幸運な時には、七里ガ浜方面には江ノ島とその右側に富士山がきれいに見えるときがあります。この砂浜は太平洋の大海に開けていて、その広がる海の向こうから、耳を澄ますと何かが聞こえてくるように感じました。未知の世界が向こうにはあり、それが将来の世界のようにも思えるときがあります。その砂浜に立っている私は、陸と海という空間的な境界線と将来と現在という時間的な境界線にいるように思われます。そのような境界線が私たちの現在という場所と時間ではないでしょうか。私たちは今在る世界の場所と今までの営々と築かれてきた人類の歴史社会を背負って、今ここという現在に立っているのであります。と同時に、私たちは来るべき世界を望み見ながら、新しい将来の時のおとずれを刻々と感じながら、今ここという現在に立って生きているのであります。現在は過去と将来が激突している場所と言えるかもしれません。
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  • 大分前に朝のテレビで、日本人の女性で、高校を出て中国で映画の勉強をし、主席で卒業して、中国の映画に出演している方のインタヴューがありました。その中でその方は、日本人として中国にいると、かつての日中関係の問題、日本の中国侵略の歴史が日中の友好的な関係を妨げていることを、ひしひしと感じる。しかし、自分は過去を変えることはできないが、将来は今どのように生きていくかによって過去とは違う形に変えることが出来る。私はそのために頑張りたいと、その中国映画の日本人の女優さんは言っていました。26歳の方と言っていましたが、大変しっかりした考え方をもっていて感心させられました。過去は変えられないが、将来は過去から現在とは違った形に、私たちがどう生きるかによって変えることができる。
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  • みなさんはどう思われるでしょうか。
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  • エスは、洗礼者ヨハネとご自分を比べて、その違いをこのように群集に向かって語られたように思います。「洗礼者ヨハネ過去からの現在を神を信じ最も誠実に生きている。けれども自分は、将来からの現在を神の勝利への絶対的な希望を持って生きている」と。
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  • 「はっきり言っておく。およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼より偉大な者である」(マタイ11:11)と。
  • 洗礼者ヨハネは救い主メシアの到来の先駆けとなってその道を備える人でした。その意味で、洗礼者ヨハネは、イエス時代のユダヤの国の人々が待ち望んでいた、メシヤ(救い主)到来の先触れとして現れると信じていたエリヤの再来であるというのです(11:14)。
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  • 人の子であるイエスとイエスに招かれて、将来からの現在を神の勝利への絶対的な希望を持ってイエスと共に生きる人は、既に天の国に国籍がある天の国の住人なのであると。だから、どんなに小さな人であっても、過去から現在を最も誠実に生きた洗礼者ヨハネよりも偉大なのであるというのです。

 

 

  • 聖霊は神の息吹であり、神の息であり風であり命です。火は罪をすべて焼き尽くします。聖霊と火によって、利己的で自分を神のように中心にして考えて生きる罪人である私たち一人一人を、神の幼児のように神を母として父として慕い、神に全幅の信頼をもって生きる者にしてくれる神の力です。

 

  • このように洗礼者ヨハネとイエスは違いますが、一点においてだけ共通するものがあります。それは、「天国(神の国)は近づいた」という宣べ伝えにおいてです。もちろんこの共通する「天国(神の国)は近づいた」という宣べ伝えにおいても、洗礼者ヨハネはこの宣べ伝えを待望において語り、イエスは成就において語ったという点では違いはあります。

 

  • いずれにしろ洗礼者ヨハネもイエスも、先ほどお話しした過去と将来が激突している場所としての現在を、私たちがどう生きるのかを問いかけているのではないでしょうか。

 

  • マタイ福音書の著者は、「今の時代を何にたとえたらよいか」と言って、洗礼者ヨハネとイエスの出現を当時のユダヤの人々がどのように受け止めたのかについて、このような譬えで語っています。

 

  • ≪今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座っていて、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。『笛が吹いているのに、/踊ってくれなかった。/葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』≫(16,17節)と。

 

  • 『笛が吹いているのに、/踊ってくれなかった。/葬式の歌をうたったのに、/悲しんでくれなかった。』(17節)は、子供たちの遊びにおけるいさかいを歌った歌とされています。「これはある子供らが結婚式ごっこをやろうと言うのに、他の子供らは葬式ごっこをやろうと言って意見が合わないというのではなく、どちらの誘いをかけても傍観するのみで相手になってくれないとなじっている歌である」と言われます。「この歌によって、洗礼者(ヨハネ)とイエスという二通りのタイプの異なる人物を通して語られた神の最後的な言葉を人々は冷たく無視したことを批判している」のです。「(洗礼者)ヨハネの厳しい禁欲的な悔い改めの道も、エスの語る宗教的特権(とそれに基づく差別)を否定した自由な交わりの道にも、人々は参加しようとせず、傍観者として批評するのみである」(新共同訳注解)と。

 

  • その傍観者としての人々の二人に対する見方が18節に記されています。「ヨハネが来て、(荒野に現れて、「らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べものとして」、みんなのように)食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と」(18,19節)。

 

  • 人々は外見でしか二人を判断しなかったというのです。傍観者は常に人や物事を表面的にしか見ません。真剣に出会う他者や出来事として人や物事を見ません。自分を絶対に変えようとしないで、相手をただ表面的に批評するだけです。

 

  • 私たちは何事においても傍観者的に生きてしまっていることが多いのではないでしょうか。

 

  • 先日今日の船越通信にも書きましたが、以前戸塚教会の伝道師をしていて、3年前から母であるO牧師の赴任している宮古島伝道所で一緒に牧師として働いているSさんから、宮古島陸上自衛隊ミサイル基地建設の現状と問題を「宮古島からの声」として、講演を伺いました。Sさんは宮古島に行って、宮古島で生活している人々と出会い、宮古島自衛隊のミサイル基地ができている現実に直面して、心の熱い方ですので、傍観者ではいられなくなったのだと思います。Sさんは大和の人間ですから宮古島の住人と同じようにはなれませんが、宮古島の住人の同伴者として宮古島陸上自衛隊のミサイル基地建設反対の運動に取り組むようになったのだと思います。けれども、宮古島の自然に魅せられて大和から退職後に宮古島に移住して生活している人もおられると思いますが、そのような人の中には宮古島陸上自衛隊ミサイル基地建設にも傍観者的にふるまっている人もいるのではないでしょうか。

 

  • 洗礼者ヨハネとイエスを傍観者的にしか見れなかった、当時ユダヤの人々と同じように、 
  • 私たちも傍観者として生きてしまうことが多いように思われます。
  • 特にある程度生活も恵まれていて、健康で家族のいさかいもなく安定して生活できる人は、その自分の生活の中に閉じこもっていれば、社会がどうでも関係なく幸せな生活を享受できると思えるからです。実際にはその社会が、かつての日本の戦時下のように破局的な状況になれば、自分の生活に中に閉じこもってはいられませんので、その幸福と思えた自分の生活も簡単に壊れてしますのですが。
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  • 私たちはイエスとイエスの出来事を知らされた者として、傍観者として生きくことはできません。エスの語る宗教的特権(とそれに基づく差別)を否定した自由な交わりの道をそれぞれに与えられ課題に対し、他者と連帯しつつ当事者性をもってかかわっていきたいと思います。

 

  • あの重荷としての過去と希望としての将来が激突する現在という場において。
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  • 主イエスが共にいて私たちを支えてくださいますように!