なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(58)

「まだ消えない闇を抱えて」マタイ11:20-24、

                 2019年11月24日(日)礼拝説教

 

  • 最初に今日のマタイ福音書の個所の前のところを振り返っておきたいと思います。11章2節以下です。
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  • バプテスマのヨハネは獄中から弟子を遣わせて、イエスに「来るべき方はあなたなのですか」と質問させました。彼はこの世の中は悔い改めなければ、滅びるほかないと信じていました。悪がはいびこり、健康な者、富める者、権力を持つ者が大きな顔をして、そうでない者たちがその社会では片隅に追いやられている現実を見て、人々に悔い改めを語りました。何故なら神の眼差しは、最も小さくされている者にこそ注がれていると信じていたからです。

 

  • バプテスマのヨハネが見た当時のユダヤでは、そのような神のみ心は、あたかもどこにも見出せないかのように、健康な者、自分を正しいとする者がのさばっていました。神の支配が到来したときに、最も小さくされている者たちが中心になる社会が実現すると、バプテスマのヨハネは信じていました。そしてそのような神の支配の到来は、神から使わされるメシヤ(キリスト)によってもたらされると信じていました。

 

  • エスの活動を獄中で知ったヨハネは、もしやこの人がメシヤ(キリスト)ではないかと考えました。そこで自分の弟子たちをイエスのところに遣わせて、先ほどの質問をさせたのです。イエスの答えは、前回に学んだ通り、イエスがなさっておられる力ある業を、見聞きしたとおりヨハネに伝えなさいということでした(11:4)。

 

  • その力ある業とは、岩波訳によれば、「盲人は見え、かつ足萎えは歩む、/らい病人は清められ、かつ聾者は聞く/また死人は起こされ、かつ貧しい者は福音を告げ知らされる。/実に幸いだ、私に躓かない者は。」(11:5-6)です。

 

  • 今日のマタイによる福音書の11章20節では「それからイエスは、数多くの奇跡(力ある業)の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。」とあります。イエスの数多くの奇跡(力ある業)を見て、信じて悔い改めなかった町々は、イエスに躓いたわけです。先ほどの「盲人は見え、・・・」に始まるイエスの言葉には、最後に「実に幸いだ、私に躓かない者は」とありました。そうしますと、イエスに躓くことは、「実に不幸なことだ、わたしに躓く者は」ということになります。

 

  • 「それからイエスは、数多くの奇跡(力ある業)の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。」(11:20)という言葉を、実際にイエスが語ったかどうかはわかりません。けれども、最初期の教会はイエスがこの言葉を語られたと証言しているのです。そしてイエスに躓くか=悔い改めないか、躓かないで受け入れるか=悔い改めるか、その二者択一が最後的に決定的なことであると証言しているのです。

 

  • エスが叱ったと言われている町は三つ、コラジン、ベトサイダ、カファルナウムです。≪ゴラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ≫(21節)。≪また、カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。/陰府にまで落とされるのだ≫(23節)と。

 

  • これは三つの町を擬人化して、ガリラヤの民衆がイエスの奇跡を見ても悔い改めないことを批判し、終末の審判に滅び去る運命を免れ得ないと告発しているのです。

 

  • このことは何を私たちに語りかけているのでしょうか。

 

  • ここで語られています三つの町には、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしが来たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」(マルコ2:17)といわれたイエスを必要とする人もいました。そのような人々に対して、イエスの奇跡(力ある業)は一方的な神の恵みとして行われました。そしてイエスにおいてキリストを見る信仰が彼ら、彼女らを救ったのです(マタイ9:22,マルコ5:35)。

 

  • しかし大部分の町の人々は、「丈夫な(と思っている)人」であり、「義人(と思っている人)」でありました。彼ら・彼女らは「病める者」への同情を知らない「丈夫な人」です。また、「罪人」というような弱虫や落伍者のことは眼中にもない「義人」です。ですから、イエスの「力ある業」を見て大いに感心はしても、それを惠として、自分への必然性として感じることがなく、したがってイエスに対しても、病める隣人や罪を犯した人に対しても冷ややかな傍観者的態度で対処するのでした。

 

  • 彼ら・彼女らの根底に共通して一貫しているのは自己中心です。「私」というものがいっさいの判断の評価の基準になっているところでは、それがどんなに敬虔な形をとっていた場合にも、否、敬虔な形を取れば取るほどまさに決して「悔い改め」は起こり得ません。そこでは「しるし」を求める(マタイ16:1,マルコ8;11)ことはあっても「悔い改め」はありません。「しるし」を見る「私」が判断の基準だからである。「キリストは私のために十字架にかかられた」とはきわめて福音的な言表のように聞こえます。しかしそれはややもすると「わたしの実存にとって意味ある限りのキリスト」という形で、キリストを限定し、キリストに優先する「私」という基準を押し出してくる危険はないでしょうか。それはもはや「悔い改め」ではありません。

 

  • 「悔い改め」とは、「私のためのキリスト」から「キリストのための私」に転ずることです。前者は後者を生み、後者は必ず前者から生まれる。前者において自足するのは信仰ではありません。いやしもゆるしも「キリストのための私」になるためではないでしょうか。あの「力あるわざ」を必要としなかったガリラヤの町々の人は、こうしてイエスに躓いたのです。

 

  • これらのガリラヤの町には会堂があり、ヘブライ語聖書(旧約聖書)ですが、聖書の言葉が読まれ、礼拝が行われていました。しかし、そこに集まる人は、みな丈夫な人であり、義人でした。病気の人や罪人は来れなかったのです。ですからこれらのガリラヤの町の人々は信仰を軽んじたわけではありません。その信仰が自己中心的になっていたからではないでしょうか。「私のためのキリスト」から「キリストのための私」への方向転換(これが悔い改めということ)が不断になされていないと、信仰はいつでも自己中心的な信仰という、神への信頼としての信仰が私物化されていくのです。

 

  • 沖縄のことも、性差別のことも、信仰の一致、証しの多様性ということで切り捨ててしまう信仰は、神に代わって教会の教義が信仰の内容になっているに過ぎません。

 

  • そういう信仰においても自己中心的になれるのが、私たちが抱えている闇の現実ではないでしょうか。この闇は否定されなければなりません。そういう自己中心性をかかえたままで、神の国の住民となることは出来ません。

 

  • 私が名古屋時代に接した一人の信徒の方を紹介したいと思います。この方は10代で着物の紋を描く仕事をしていたおじさんのところに丁稚奉公をします。最初は何回か丁稚奉公に耐えられないで、自分の家に逃げ帰ったこともあったそうです。そのたびにおじさんに謝ってまた丁稚奉公を続けるという生活が続いていました。ある時路傍伝道で聖書に接し、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉に衝撃を受け、受洗してキリスト者になりました。丁稚奉公での生活でこの人は仲間のみんなが自分中心にしか生きていないことをしみじみと感じ、自分もそのような人間の一人にすぎないと思っていたので、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」という言葉に衝撃を受けたようです。そしてイエスのことを知れば知るほど、隣人を愛して十字架の人となったイエスに従って、自分も「自分を愛するように隣人を愛する」人になりたいと、強く思うようになっていきました。

 

  • それから丁稚奉公にも身を入れて修行をするようになります。洗礼を受けてキリスト者になりましたので、日曜日の礼拝に行くようになります。当時丁稚奉公の人は盆暮れしか休みはありませんでした、日曜日の礼拝には何かの用事をつくって密かに出席していたようです。時々親方に見つかると大変叱られたそうです。それでもこりずに日曜の礼拝には出席を続けたと、言っていました。

 

  • 当時丁稚奉公においては、紋の技術を教えてもらえることはなく、自分で先輩の技術を盗んで習得したそうです。ところがこの人は自分の磨いた技術を、「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」というイエスの教えに従って、求めてくる後輩に喜んで教えたというのです。紋の描き方だけでなく、苦労して習得した着物の汚れをとる技術も、求めてくる人には隠さず教えてあげたというのです。他の業者より、その人が習得した着物の汚れを落とす技術が優れていれば、その技術を誰にも知らせずに自分だけのものにしておけば、商売の儲けにつながるわけです。でもその人は求める人には喜んで教えたそうです。そのために、その人とは違って、合理的に利潤を求める仕事をする息子たちが親の仕事を継ぐようになってから、会社は大きくなりました。

 

  • 息子たちに仕事を任せてから、その人は、今でいえばボランティア活動に専心しました。聖書を配るギデオン、賀川豊彦の関係のイエスの友の会、そして超教派の朝祷会などで働くとともに、教会員の病気の人を見舞って、その病人の方に受け入れられれば、その人独特の指圧を施すこともありました。
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  • 70年前後に私が牧師をしていた教会では、青年からの突き上げがあり、現代社会における信仰の在り方をめぐって、相当厳しい議論がありました。私が行く前の数年間で礼拝の出席者が半減するほどでした。しかし、その人は黙々と礼拝に出席し、教会を支え続けました。その時の議論の内容をどれだけ受け止めていたのかわかりませんが、決してその議論を上から抑えることなく、おそらくその人の信仰を披瀝しながら関りつづけたのです。また、多くの信徒から批判された牧師に対しても、考え方が同じだというわけではないと思いますが、その牧師を最後まで支えました。

 

  • 私も、その人の葬儀をするまでの約10数年間、物心共に支えられました。

 

  • エスが三つの町を叱ったということは、ある種の覚醒を促したということではないかと思われます。そこに住む自己中心的な人々の行きつく先は滅びであり、神の審判だと言って突き放して終わっているのではないと思うのです。悔い改めて、神と隣人である他者と共に生きること。それこそが命そのものではないかと。

 

  • 今日はイエスの否定的な警告の言葉の中に秘められた積極的な意味を確認したいと思いました。