なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№438  2019年12月1日   北村慈郎

・  今日からアドベントです。今年もクリスマスがもうすぐやってきます。心備えをしてクリスマスの時を待ちたいと思います。クリスマスの出来事を、マタイ福音書4章16節ではこのように伝えています。

・  ≪暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。≫

・  「暗闇に住む民」「死の陰の地に住む民」と言われていますが、この民とは、私たち自身でもあるのではないでしょうか。私たちはイエスという光を与えられていますが、今なお歴史を生きる者として「暗闇に住む民」「死の陰の地に住む民」であり、そのような者としてイエスに光を見ているのではないでしょうか。≪暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。≫からです。クリスマスはそのような暗闇を照らす光の物語です。今年も新たな想いでクリスマスを迎えたいと思います。

・  11月24日(日)は礼拝出席者が7名と少なかったのですが、残れる人でアドベントの準備をしました。講壇の前に机を出し、テーブルクロスを敷いて、船越教会独自のアドベント・クランツ(通常は円をしていて4本のローソクが置かれていますが、船越教会のは平面に横一列に4本のローソクが並んでいます)を設置しました。今年も昨年同様クリスマスツリーは無しにしました。玄関掲示板下の飾りつけもHさんが準備してくださいました。一方Iさんは例年のように船越教会がお世話になった先生方や教会には来れない仲間へのクリスマス・カードを準備してくださり、お茶の時にそのカードにそれぞれ名前を書きました。不思議なものでそんなことをしていると、気分は段々とクリスマスになってきます。アドベントの準備後お茶を飲みながら自由な懇談の時を持ち、その後散会しました。私も来週の準備をして鶴巻に向かいました。

・  さてこの週(11月24日〔日〕月30日〔土〕)は、教区の委員会等で出かける必要もなく、一週間私的なことのために時間を使いました。25日(月)は午前中私の前立腺経過観察の診察日で秦野の病院に行きました。医者から調子を聞かれて、「変わりありません」と答えて、薬の処方をしてもらい、次回診察日を確認して診察は終了しました。5分もかかりませんでしたが、この日は患者が多かったのでしょうか、待ち時間が約1時間半もありました。そういうことは、連れ合いが治療している大学病院ではめずらしいことではありませんが、私の診察に行く病院では、約2年半ほど3か月に一回診察に行っていますが、今まではありませんでした。それにしても連れ合いかかっています大学病院にしろ、私のかかっている病院にしろ、病院に行くと、いかに病気の人が多いかということで驚かされます。

・  26日(火)から27日(水)にかけて伊豆の一碧湖近くにあるホテルに連れ合いと行ってきました。28日(木)は連れ合いの抗がん剤投与の日で大学病院の第一外科の診察を受けましたが、主治医は血液検査の結果を見て、白血球の数値が低いので今日は抗がん剤投与はできないので、白血球を増やす注射をして、その結果を見て来週にしましょうということになりました。この日に抗がん剤投与をすると、46時間かけて投与する容器を家に持ち帰って、それが空になると針を抜かなければなりません。その針を抜くのは私の担当ですので、抗がん剤を投与した場合、30日の土曜日夕方に針を抜くことになります。そのために、最初30日(土)に教会の給湯器設置を業者にお願いしていましたが、日を変えて12月3日(火)午後にしてもらいました。予定は未定というか、がん治療の予定は未知としか言えないのでしょう。

・  連れ合いが直腸がんステージ4と宣告されたから1年3か月が経ちました。この間私は食事作りをはじめとして、洗濯は連れ合いがしていますが、部屋の掃除など家事労働をできるだけするようにしています。連れ合いが病気になる前にも、必要があるときは私も食事作りはしたいました。掃除は大体私がしていました。しかし、連れ合いが病気になってからの私の家事労働にかける時間も神経も、それ以前とは格段に違っています。連れ合いが元気なころは、連れ合いはNPOの理事長をしていて、週に3日くらいその事務所に行き、さらに教区の委員会の仕事などもあって、一週間休めるのは1日か2日でした。私の方が家にいる時間が多いくらいでした。そういう私も教会と教区関係の仕事のほかに農伝の講師もしていましたので、二人で自前の食事をつくり、ゆっくり食事をするということが少なく、食事は外食や買い食いに頼っていたのが実情でした。その頃は食材そのものに思いが及ぶことも少なかったように思います。ところが、連れ合いが病気になって、癌だけでなく糖尿もあるということで、何を食べるか、気を付けなければならなくなったわけです。新鮮な野菜や食材を選ばなければなりませんので、食事の食材に気を配り、食材をつくる生産者のことも考えるようになりました。私自身も頻繁に食事作りをするようになって、以前よりもずっと食材の生産者に思いを馳せるようになりました。健康に良い食材をつくる生産者がいて、はじめて私たちも健康に良い食事をつくることができるのです。そういう意味で、食事は消費の世界というよりも、生産の世界と深くかかわっているのではないでしょうか。