なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(450)

 今日は3月12日です。千賀が帰天して9日目ですが、日を追って彼女との生前の生活のこと、彼女がどんな思いでいたのかなどが、私の脳裏を駆け巡っています。彼女はもういませんが、これらもずっと彼女と一緒の生活が続くように思えています。     3月12日朝

 

船越通信、№450  2020年3月1日   北村慈郎

・  23日(日)は礼拝後、船越教会の将来についての教会懇談会を予定していましたが、私の連れ合いの千賀のことで配慮してくださり、延期にしていただきました。教会懇談会がないと、第4週は庭の手入れと週報発送をすることになっています。週報にはその記載を失念してしまいましたが、急遽短時間でできる人で庭の手入れをすることにし、実行いたしました。週報発送は前月していますので、来月に回すことにしました。そのために私も比較的早く、午後1時前には船越教会を出て、連れ合いが入院している東海病院に向かうことができました。連れ合いは11日に緊急入院して、そのままずっと入院が続いていますが、25日には緩和病棟のある鶴巻温泉病院に転院が決まっていました。23日の午後には連れ合いの従兄弟夫妻と、その後教区の性差別問題委員会の委員2人が見舞いに来てくれました。2人は夕方暗くなって帰って行きました。私は連れ合いが夕食をほんの少しですが食べてから、面会時間の終わる午後7時少し前のバスに乗り伊勢原駅に出て、小田急で鶴巻の自宅に帰りました。

 

・  24日(月・休)も午前中に病院に行きました。この日は午後1時過ぎに、連れ合いが理事長を務めていたNPO法人の理事5人が見舞いに来てくれました。1時間ほどいてくれて、連れ合いの体をマッサージしてくれました。このNPO法人は重度障がい児の在宅支援を行っているところで、理事の方もほとんど看護師ですので、連れ合いのような病者への対応は心得ている方々です。連れ合いにとっては、このNPO法人との関りが晩年のライフワークだったのではないかと思いますので、この日の理事の方々の見舞いはうれしかったに違いありません。私はこの日も午後7時ごろまで連れ合いに付き添いました。

 

・  25日(火)は午前9時に東海大学病院の退院手続きをし、9時半に介護タクシー鶴巻温泉病院に転院することになっていました。私は8時15分ごろに連れ合いの病室に着き、その準備をしました。転院は順調に進み、午前10時には鶴巻温泉病院に到着し、連れ合いは車椅子のまま5階の緩和病棟の部屋に連れて行かれました。私は一階のロビーで入院の手続きをすませ、連れ合いのいる病室に行きました。病室には2,3名の看護師やリハビリの方がいて、連れ合いにいろいろと説明していました。私は荷物を整理して、洗濯は病院の方で業者に頼んでいるというので、用意してきたパジャマと下着にマジックで名前を書き込みました。一通り部屋の整理が出来て、一度家に帰ろうとしたときに、病棟の看護師から30分ほど今後の緩和ケアの方針について医師と看護師立ち合いでお話したいということで、事務室のようなところに案内されました。すぐ医師と看護師が来て、医師から連れ合いの病状と今後の緩和ケアの方針について話してもらいました。その医師の方針に私は了解して、家に帰ろうとしたときに、コロナウイルス対策の関係で、面会は2週間の間家族の方もできませんと言われ、何とかならないかお願いして病院を後にしました。その後病院から連絡があり、短い時間なら面会可能ということになりました。但し咳をしていないこと、手洗いを厳守し、病棟の受付で体温検査をした上での面会とのこと。25日の夜連れ合いに電話をしたところ、この日は午後に久しぶりにお風呂に入れて、気持ちよかったと、嬉しそうに話していました。26日(水)の朝8時半ごろ電話した時には、昨夜はぐっすりよく寝られたと言ってました。ところが、この日の午後面会に行きましたら、転院時の緊張や久しぶりのお風呂で疲れがどっと出たのか、これまでとは違って、身体全体の力が抜けたような感じて、うとうとしているような状態になりつつありました。「何をかんがえているの?」と言いましたら、葬儀の挨拶をという返事がかえってきました。「何を言いたいの?」と言いましたら、自分はやりたいことをやれて十分に生きられたことと、みんなから支えられて「ありがとう」と感謝したいと。「じゃあ、その二つを言えばいいのね!」と私は言いました。27日(木)も午後30分ほど面会に行きましたが、東海大学病院入院時には頻繁に電話やメールのやり取りをしていたのですが、その時はもう自分の携帯にかかる電話やメールも確認する気力を失っていました。連れ合いにメールをしても返事がないので、私の方にメールをくださった方もありました。28日(金)は午後娘と一緒に面会に行きました。娘はベットに横たわり、目を閉じてうとうとしている連れ合いを見て、東海大学病院入院時との変わり様が大きかったのでびっくりしたようです。

 

・  この日私は連れ合いに面会した後、午後6時半から紅葉坂教会で行われる支援会の世話人・事務局会に出かけました。支援会第8回総会を3月28日(土)紅葉坂教会で開催することになっていて、すでに案内のはがきも出していました。この日の世話人・事務局会の直前に3月20日に教区社会委員会主催で開催を予定していました平和フェスタの中止の連絡を受けていましたので、世話人・事務局会では総会開催の是非を話し合いましたが、総会は開催することにしました(注:支援会総会は延期になりました。3月12日記入)。また2月22日の教区総会で本来私の戒規免職撤回と聖餐論議の場設定の二つの教団総会議案を審議することになっていましたが、コロナウイルスのことで総会は午前中に終えましたので、この二つの議案は審議されず、6月総会の議案になりました。これらの議案を2月総会にかけたのは、2月総会で決議されたこの二つの教団総会議案をもって、4月末から5月にかけて教区総会を行う各教区に働きかけて、同じような議案を教区総会で議決してもらえないかお願いするためでした。世話人・事務局会では、議決はされませんでしたが、この二つの議案を各教区常置委員会に送って、同趣旨の議案をそれぞれの教区総会で議決してもらえないかお願いするのはした方がいいのではということになりました。この二つの議案は、今秋開催される教団総会に神奈川教区決議議案としてでると思われますが、今のところ大阪教区からも戒規免職撤回の方は教区総会決議教団総会議案として出てくると思われます。神奈川教区と大阪教区だけではなく、他の教区からも同主旨の議案が複数出てくれば、教団総会でも議事日程の段階で葬ることができず、審議せざるを得なくなるのではないかと思うからです。