なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

説教「真理による自由」ヨハネ福音書8:31-32

「真理による自由」ヨハネ8:31-32

               2020年2月16日(日)船越教会礼拝説教

 

  • さて今日は、先週の火曜日11日に連れ合いが緊急入院して、昨日まであわただしく過ごしていましたので、礼拝予告とは違って、以前東京の荻窪教会に招かれたときにした説教をほぼそのままの形でさせていただきたいと思います。荻窪教会のK牧師からは、私の信仰者としての歩みについても話して欲しいと言われて、その説教の中で私の個人史についても少しお話させてもらいました。船越教会のみなさんにとっては初めてだと思いますが、お聞きいただければ幸いです。
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  • 私の名前を見て、クリスチャンの方から、「牧師にふさわしい名前ですね。ご両親もクリスチャンなのですか」と言われることがよくあります。私の名前「慈郎」の「慈」は慈愛の慈であり、慈しみとも読みます。神の慈しみと言われる場合もありますので、「慈郎」の「慈」は、キリスト教信仰とつながりのある言葉といえるでしょう。ですから、私の名前を見て、「牧師にふさわしい名前ですね」とか、「ご両親はクリスチャンですか」と言われるのではないかと思うのです。

 

  • けれども、私の家族の中には誰もクリスチャンはいません。私一人だけ洗礼を受けてキリスト者になりました。高校3年のクリスマスです。中学校からバプテストの関東学院というキリスト教主義の学校に入学していましたが、関東学院に入ったのは、教育熱心だった母親の意志によるものでした。他の私学も受けましたが、合格したのが関東学院だったというだけでした。中学、高校と6年間キリスト教主義学校で学びましたが、高校3年の10月ごろまでは、どちらかというとアンチキリスト教だったと思います。ただ高校1年の後半ごろから母が筋萎縮症で全身が動かなくなり、寝たきりになりました。ちょうど母が寝たきりになった頃に父が責任を持っていた薬の仲卸の会社が倒産しました。この二つのことがあって、私自身も大学受験に専心することができない状況に陥りました。それ以前は、ある面で甘やかされてのほほんと生きていたと思います。

 

  • ナチス強制収容所を体験して生き延びた精神医家のフランクルが、その体験を書いた『夜と霧』の中で、強制収容所で亡くなった若い女性のことを書いています。その若い女性がフランクルに言った言葉が紹介されているのですが、それは、「以前、なに不自由なく暮らしていたとき、わたしはすっかり甘やかされて、精神がどうこうなんで、まじめに考えたことがありませんでした」という若い女性の言葉です。母が病気で寝たきりになったり、父が責任を持っていた会社が倒産する前の私は、この若い女性とおなじようでした。しかし、この二つの出来事が重なって起きたことによって、私は悩みを抱えざるを得ませんでした。そういう中で、高校3年生の11月初めに、親しい友人に誘われて紅葉坂教会の礼拝に行くようになりました。

 

  • 悩みを抱えてからの私は、ある意味で人間不信に陥っていたと思います。一つは自分に対してであり、もう一つは他人に対してです。

 

  • 自分に対しては、母が寝たきりでしたから、その世話を家族がしなければなりませんでした。当然高校生であった私にもその荷が課せられることがありました。そういう時に、時々自分の都合を優先させて、母の思いを無視してしまうことがありました。自分では水を飲むことも、体を動かすこともできない母でした。当然食事も排泄も、寝返りを打つことも誰かが手を貸さなければ、自分では全くできません。父親は倒産した会社の整理や今後の自分の生活の道を求めて、ほとんど家にいませんでしたので、妹と兄と私で母の世話をしていましたが、どうしても友人に誘われたりすると、私がしなければならない時も、兄や妹に押し付けて出かけていきました。その自分の行動に対して、何らかの負い目を感じていたのではないかと思います。他者である母が自分を必要としているときに、私は自分のことを優先して、その母の思いを裏切っているという罪の感覚といったらよいのでしょうか。自分は間違ったことをしているという思いです。

 

  • もう一つは、父の会社の倒産で、その会社には40人から50人くらいの人が働いていましたが、薬の卸でしたが、その薬を横流して、裏切りと言いましょうか、自分の懐に入れていた人もいたりして、父親だけが苦しんでいるように思えて、人間って信じられないものだという人間不信の思いが自分の中で増幅していました。

 

  • そういうことがあって、友人に誘われて、高3の11月初めの日曜日にはじめて紅葉坂教会の礼拝に出席しました。私は数回礼拝に出て、また教会の人たちとの交わりにも支えられたのでしょう、その年のクリスマスに洗礼を受けました。その時の紅葉坂教会の牧師は平賀徳造という方で、同志社神学部の出身ですが、当時東京神学大学の説教学の教授もしていた方です。平賀先生に受洗志願の思いを伝えたとき、先生は来年のイースターでもいいのではないかとおっしゃいましたが、私の気持ちを変わりませので、クリスマスに受けさせてくださいと言って、強引にお願いしてクリスマスに洗礼を授けてもらいました。1959年12月20日です。その時私が洗礼を受けようとしたのは、人間は人を裏切るが、イエスは人を裏切らない、だからイエスに従って生きていこうという思いです。ただそれだけでした。キリスト教のことについてよく知っていたわけではありません。むしろアンチキリスト教でしたが、イエスとの出会いによって、私はこのイエスに最後までついて行こうと思ったのです。

 

  • もう一つ私の個人史の中で大きく思える出来事は、神学生時代から最初の任地である足立梅田教会時代の10年間に関わった廃品回収を生業(なりわい)としていた人たちとの出会いです。当時そのような人たちを括弧つきで「バタヤさん」と呼んでいました。足立梅田教会がある地域は梅田町ですが、その梅田町に隣接して関原町や本木町がありました。本木町に「バタヤさん」が多く住んでいました。仕切屋という「バタヤさん」が集めてきた廃品を買い取るところがあって、その仕切屋さんが長屋を持っていて、そこに「バタヤさん」が住んでいました。その長屋は、3畳ほどの部屋が並んでいる隙間風が入る劣悪な建物でした。すでにその頃東京都が仕切屋さんの場所を買い上げて、そこに5階建てのアパートを作り、「バタヤさん」を入居させていましたが、まだ仕切屋さんの長屋で生活していた人も結構いました。私は神学生時代から本木町にあった隣保館というセツルメントで行っていた「バタヤさん」の集会の責任をもっていましたので、足立梅田教会の牧師になってからもその集会を続けていました。「バタヤさん」の中に洗礼を受けた人がいて、足立梅田教会のメンバーに数名の人がなっていました。その一人の方が真冬心不全で仕切屋さんの長屋で亡くなりました。島田さんという、相当目の不自由だった人ですが、私はその知らせを受けて、長屋に行き、島田さんが亡くなっている状態を見ました。集めたくずの山の中でかろうじてつくられている寝床で冷たくなっていました。猫がいて、布団の周りには猫の糞が散乱していました。私は仕切屋さんと福祉の方にお願いして、教会で葬儀を出すようにしました。そして島田さんのお骨は、当時足立梅田教会には墓地がありませんでしたので、東京教区の墓地にカロートを買って、埋葬しました。島田さんのような方が他にお一人いて、二人の方のお骨が東京教区の墓地に埋葬されています。今は合葬になっていますが、二人の身元引受人に私がなりましたので、今でも東京教区の墓前礼拝の案内が私の所に来ます。

 

  • 私は、この本木での経験を通して、イエスは誰のために死んでくださったのかということを考える時に、「バタヤさん」のようなこの社会の中で最も小さくされている方々のためではないかと思うようになりました。そのようなイエスの生涯と死が、わたしへの問いであり、そういう形で私のためでもあるのではないかと思うようになっていきました。

 

  • 洗礼を受ける時に思った、「人間は人を裏切るが、イエスは決して裏切らない」ということと、イエスの生涯と死と復活は、この世で最も小さくされている人のためであり、そのことによって、私たちすべてのためのものではないかということとが、私のイエスに理解の根幹になりました。聖書を自分の与えられた生活の中で読むときに、どうしてもそのようなイエス理解にならざるを得ないというのが、今でも私の思いの中にあります。 

 

  • 私は、その生き方や信仰観からすれば、1960年代後半に山谷に入って活動された伊藤之雄さんの影響を強く受けていますが、伊藤さんより先に山谷で活動していた中森幾之進さんの「下に登る」や売春婦の更生施設かにた村をつくった深津文雄さんの「底点志向者イエス」と言われるようなイエス理解に共感を覚えています。イエスは、上をめざしたのではなく、「下」を、「底点」をめざして生きて、死んで、甦って、今も私たち一人一人を「わたしに従ってきなさい」と招いておられるのではないかと思うのです。

 

  • 先ほど読んでいただきましたヨハネによる福音書のところには、イエスは自分を信じたユダヤ人に対して「わたしの言葉にとどまっているならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」と語られたと記されています。

 

  • ヨハネによる福音書のこのイエスの言葉の後の記事を読みますと、このイエスの言葉に、それを聞いたユダヤ人たちは、自分たちは奴隷なのか、と反論したと言います。ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫であり、神の選ばれた民であり、奴隷などではない。立派な自由人であると考えていたのでしょう。ですから、ユダヤ人たちは、「今までだれかの奴隷になったことはありません。『あなたたちは自由になる』とどうして言われるのですか」と、イエスに言いました。

 

  • このユダヤ人が陥った自己理解に私たちも陥り易いのではないでようか。自分たちはキリスト者として『真理と自由』を既に持っている。獲得している者である。それを何とか人に伝える伝道が大事なことであって、既に自由な者が何故自由にならなければならないのかと。アブラハムの子孫としてユダヤ人は自分たちの正統性に自信たっぷりだったのです。

 

  • しかし、現実はイエスが言う通り、ユダヤ人はイエスを殺そうとする自己絶対化に陥っていますが、それに気づけません。信仰に誠実であると思えば思うほど、信仰から遠ざかってしまうという逆説に気づかなければなりません。「信じます。不信なわたしをお助けください」と言った人の信仰でなければならないと思います。私たちの信は不信をかかえているのです。私たちはイエスによって真理と自由に招かれながら、真理を所有する者でも、自由な者でもありません。

 

  • 真理とは偽りの覆いが取り除かれることによって、本当のものが明らかになることです。また自由とはさまざまな囚われからの解放です。私たちがいかに偽りの中で生きているか。また囚われの中で奴隷として生きているか。イエスとイエスの言葉にとどまっているならば、偽りと囚われの中にある己に恐怖し、そこから解き放ってくださるイエスに従って生きる希望と喜びに己を投げ出さないわけにはいきません。そのような意味で、「わたしの言葉にとどまっているなら、あなたたちは本当にわたしの弟子である。あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」というイエスの招きに静かに耳を傾ける者でありたいと願います。

 

  • 私はイエスが語った真理とは、仕える者の真理ではないかと思います。イエスは一番上をめざす弟子たちに対して、自分がこの世に来たのは「仕えられるためではなく、仕えるためである」と語られました。100匹の羊の譬えのように、99匹を放置して失われた一匹を探し求めるイエスにとって、一匹が失われることは、たった一匹が失われることではなく、残りの99匹と共に100匹全部が失われることでもありました。ですから、たった一匹でも失われてはならないのです。先ほど私の個人史の中での一人の「バタヤさん」の死との出会いをお話し、中森幾之進さんの「下に登る」と深津文雄さんの「底点志向者イエス」というコピーを紹介しました。私たちの現実の世界は縦のひし形をしています。一部の命と生活が脅かされえいる人たち、差別抑圧されている人たちが、その縦ひし型の底辺に追いやられています。権力や富を持った一部の人たちが、縦ひし形の上層にいます。そして圧倒的に多くの人々がその中間層にいるのです。イエスが宣べ伝えた神の国の福音は、神にあってすべての一人一人がかけがえの無い大切な人で、その一人一人の尊厳が認められて、すべての人が対等・同等な存在で、「みんなちがって、みんないい」(金子みすず)のですし、「バラバラの一緒」なのです。ですから、イエスの宣べ伝えた神の国は、上も下もないまわるい円盤の上に、みんなが手をつないで一緒にいるというイメージではないでしょうか。縦ひし型のこの世の社会が、みんなが対等同等で、それぞれが大切にされる円盤の社会に変わっていくことが、神の国の到来に近づくことではないかと思います。イエスにあって既に「神我らの共にある」神のみ国がこの世に到来していることを信じ、イエスに招かれ、そのイエスの招きに応えて生きようとする者は、今ここで、それにふさわしく生きていこうとするのではないでしょうか。

 

  • エスが語られた「真理はあなたがたを自由にする」とは、そのようなことではないかと私は思います。偽りの覆いがとりのぞかれた「真理」に立ち、さまざまな囚われから解放された「自由」をもって、イエスの後に従って共に歩んで参りたいと願う者であります。
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