なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(456)

船越通信、№456 2020年6月21日 北村慈郎

  • 本日の礼拝説教で触れます紅葉坂教会時代につくった「わたしたちの告白」という信仰告白を下記に転載しておきます。
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『わたしたちの告白』

 

わたしたちは神さまを信じます。

神さまは、見えるものと見えないもの、すべてを創造されました。

そして今も創造のわざを続けています。

 

神さまはイエスさまを通して、ご自分をあらわされ

わたしたちを愛し、和解させ、新しくされました。

エスさまは、弱く小さくされた人々とともに生き

十字架につけられ、死んで、よみがえられました。

そしてイエスさまは、絶望の中に生きるものに希望を与え

新しいいのちへと招かれます。

 

神さまは聖霊によってわたしたちひとりひとりに働き

すべてものの内に働いています。

また、わたしたちの間にいて、さまざまな違いを越えてひとつにします。

 

神さまはわたしたちを招いて下さいます。

エスさまとともに生きる群れ(教会)となるために

神さまがともにいてくださることを喜び、祝うために

かけがえのないいのちを大切に生きるために

他者を愛し、平和を実現するために。

いのちある時も、死の時も、死のかなたにある生においても

神さまはわたしたちとともにいてくださいます。

私たちはひとりではありません。

 

神さまに感謝します。

アーメン。

 

紅葉坂教会、礼拝を考える会・日曜学校スタッフ作、2008年2月16日)

                              (下線筆者)

  • 14日(日)は礼拝後2020年度の船越教会定期教会総会を開催しました。本来ならば4月19日(日)礼拝後に開催予定でしたが、4月12日(日)のイースター礼拝から緊急事態宣言発出による自粛要請により、教会での礼拝は中止し、メール配信による各自分散礼拝にしましたので、総会を延期していました。14日は出席者8名、私を入れて9名で総会を行うことが出来ました。30分で終わる予定でしたが、1時間弱かかりました。本日の週報「お知らせ」欄に記載していますように、2020年度の4人の役員も選挙で選ぶことができました。これからの1年は新型コロナウイリス感染問題を抱えながらの教会の活動になりますので、可能な限り教会での礼拝を続けることに集中することになると思われます。人の集まる集会やいろいろな運動も、今までのようにはできないと思いますので、それだけに自分と向き合う時間が多くなるのではないかと思います。

 

  • 教会では夏に行うキャンプや修養会を「リトリート」(retreat)と呼んで、日本語では「退修会」と言ったりしています。リトリートとは「退却」「後退」という意味で、一般的には、仕事や学校などの日常生活からいったん距離を置き、心身ともにリセットするのがその大きな目的の一つです。日常とは少し違うゆるやかな時間をすごしながら、それぞれの人生などについてゆっくりと語り合いながら考えてみることが目的です。しかし教会でのリトリート(退修会)は、自分を見つめ、神との対話の時ではないでしょうか。このリトリートは多くの場合集団で行いますが、例えば瞑想のような一人で行うのもリトリートの一つの形と言えるのではないかと思われます。今私たちは人との接触を避けて自粛生活を強いられているわけですが、この時をリトリートとして、聖書を通した神との対話による自分を見つめ直す時間にすることもできるのではないでしょうか。瞑想(黙想)の時を持つのもよいかもしれません。通常「瞑想は目を閉じ、気持ちを落ち着かし、呼吸を整え、自分の中の考えや気持ちを冷静に捉えることができます。無になる時間を作ると、奥深くにいる自分自身と会話をできるキッカケにもなる」と言われます。

 

  • 創世記では、人は神の似姿に創られたと言われます。そのような神の似姿としての自己は、社会生活をしているときには自分の奥の奥の方に隠れてしまっているのではないでしょうか。日常を生きる自分は、神の似姿とは程遠い自我によって生きていて、いつの間にか非人間的なこの経済優先の現代社会に巻き込まれ、その現代社会を下支えしている生活をしている、ということになってしまっているのではないでしょうか。そのような自我に対する自己嫌悪を覚えながら・・・。新型コロナ感染の問題で、今までの社会の在り様が問われ、私たち自身の生活様式も変えなければならないというこの時は、私たちにとって本当に大切な時なのかも知れません。

 

  • 私自身は連れ合いが帰天して3か月半が過ぎて、やっと少し前に向かって歩めるかもしれないという感触を得ています。連れ合いがいないという淋しさと空しさを抱えながらではありますが・・・。