なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(458)

しばらくブログから離れていましたので、順序を間違えてしまいました。

 

船越通信、№458    2020年7月5日   北村慈郎

・   28日(日)は雨の日曜日でした。午前7時半ごろにメールで礼拝式と説教原稿の配信をしましたが、一度でうまくいかず、二度配信してしましました。この日は礼拝後、Hさんの提案で空調の掃除をすることにしましたが、船越教会の空調には自動掃除設備があり、素人では掃除が難しそうですので、途中で断念し、今年はこのまま使って、来年冷房を使う前に業者に空調の掃除をお願いすることにしました。教会活動を継続するために、建物としての会堂をはじめ物質的基盤の維持をしなければなりません。船越教会は最低限のことしかできませんが、ここ数年修理等の案件が増えてきています。何とか持ちこたえながら、許される限り、宣教の働きを続けていきたいと思います。

・   みなさんが散会した後、私も船越から鶴巻に帰りました。途中横浜か海老名で食材を買ってと思っていましたが、どちらも人が多かったので、何処も寄らずに鶴巻に直行しました。午後2時半過ぎにマンションに着きました。私は新型コロナウイリス感染防止のために外出を控え、自宅で過ごす時間が多くなってから、連れ合いが帰天して心穏やかでないこともあるのですが、テレビを観て時間を過ごすことが多くなっています。特にサスペンスの番組を観ています。驚いたことにBSテレビを入れますと、古いのを何度も使っているのではないかと思われますが、ほとんど一日中何処かの局でサスペンスを放映しています。この日も夜に何かあったように思っていましたが、鶴巻に帰ってテレビをつけたところ、画面に「しばらくそのままお待ちください」という表示が出るのですが、一向にチャンネルの画面がでません。どうも壊れたようです。30日に近くの家電量販店に行って、新しいテレビを注文しましたが、配達は7月8日とのことでした。ですから、この週は全くテレビを観ることはできませんでした。幸い将棋の藤井聡太7段が挑戦する王位戦の第一局が7月1日~2日にありましたので、パソコンでその様子を時々観て時間をつぶすことができました。恥ずかしいのですが、連れ合いが帰天してからずっと、船越教会の毎日曜日の説教を準備するという最低限の務めはかろうじて果たしているつもりですが、それ以上のことにはなかなか手が付けられず、ボーと過ごすことが多くなっています。

・   2日に宮崎のK・Eさんから、Iさんから私の連れ合いの千賀が帰天したことを聞いたのでということで、お手紙をいただきました。その手紙の一節に、自分も連れ合いが亡くなって未だに大変つらいとあり、その後に「北村さんならもう立ち上がっていらっしゃるかも知れませんね? 千賀さんもKも霊はいますべての苦しみから解かれて主のみ許にあるのですから。」と書かれてありました。ありがたいことですが、なかなか立ち上がれないでする自分がいます。3日は千賀が帰天したのが3月3日ですから、ちょうど4か月目になります。名古屋の御器所教会時代の私たちと同年代の夫妻から千賀が好きだった向日葵の入った花束が届きました。この日を覚えていてくれたのが嬉しく、心癒されました。

・   辺野古の新基地建設の工事が再開されています。シュワブ・ゲート前他で市民の抗議行動が続いています。我が家は「東京新聞」を取っていますが、東京新聞には時々琉球新報の記事の紹介ですが、「辺野古・高江リポート」という記事でその日その日の辺野古の情況を伝えてくれます。「【26日】名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は、埋め立て区域への土砂搬入を続けた。米軍キャンプ・シュワブでは工事車両百三十八台が基地内へ資材を搬入した。新基地建設に反対する市民らは雨の中、各地で『違法工事をやめろ』などと声を上げた。」のように。7月3日の東京新聞には、別に「辺野古護岸 震度1で崩壊の恐れ」(完成後想定 専門家チーム解析)という小さな記事が載っていました。そこには「名護辺野古沿岸部の埋め立て予定海域で見つかった軟弱地番を独自に調査する専門家チームは2日、震度1以上の地震が発生すれば護岸崩壊の危険があるとの解析結果をまとめ、河野太郎防衛相らに文書を送付した。同様の解析を行い、結果を公表するように求める内容。」と記されていました。

・   辺野古新基地建設反対という沖縄の民意が選挙で示され、今回は地震の専門家によって完成後の辺野古護岸の強度に問題があることを学問的に指摘されましたが、これまでも軟弱地盤に杭を打つ工法そのものに実効性がないのではという指摘もあります。けれども政府が工事の強行を止めようとしないのは何故なのでしょうか。世界一危険と言われる米軍普天間飛行場の返還実現のためにと言われていますが、その移設予定の辺野古新基地が例え完成したとしても基地として使えないかもしれません。また、使えたとしても、その維持のために莫大な費用がかかるかも知れません。そのようなリスクが分かっていて、敢えて辺野古にこだわるのは、日本の安全保障上どうしても米軍を沖縄に駐留させておきたいので、普天間の代替は辺野古しかないという思い込みなのでしょうか。それとも米軍が沖縄(日本)から撤退しても、辺野古新基地は自衛隊が使えるからだと思っているからでしょうか。或いは、基地として使えようが使えまいが、辺野古新基地建設を利権としてとらえ、工事をすることによって経済的に恩恵に与る人がいるからなのでしょうか。今の政権は以上のような複合的な思惑で辺野古新基地建設を絶対にするのだと頑なに思っているのかも知れません。軍事力による国家の安全保障と経済至上主義の危険性は、富国強兵で邁進した明治以降敗戦までの日本の天皇制国家がたどった道であり、その悲惨さは敗戦によって見事に示されたのではなかったでしょうか。ところが現政府では、辺野古新基地建設に加えて、地対空迎撃システム「イージス・アショア」の導入断念と引き換えるように「敵基地攻撃」の議論が浮上しています。自民党は敵基地攻撃能力の保有も含む代替策を協議し、7月中に提言をまとめる方針を決めたということです。何という倒錯した考えでしょうか。この人たちには国の政治を委ねられません。458)