なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(471)

船越通信、№471 2020年10月18日 北村慈郎

・   11日(日)は礼拝後、残れる人はH・Sさんが準備してくださったうどん汁を一杯いただきました。その後散会し、役員会を行いました。この日の礼拝後の報告でも触れましたが、役員会でも教会の道路側斜面について船越教会から横須賀市土木部道路維持課に出していた質問への回答がありましたので、その回答内容を報告しました。以下がその回答内容です。①道路側斜面(日向隧道の船越側、コンクリートで補修されている部分)の工事施工者は?⇒工事を発注したのは横須賀市で、工事は前田建設工業(株)が昭和58~59年に施工した。②道路側斜面の今までの工事記録は?⇒工事記録により、昭和58~59年にモルタル吹付(厚さ8mm)を行ったことが確認できた。工事施工者は前田建設工業(株)が昭和58~59年であることも併せて確認できた。③今後亀裂が生じた場合、補修工事を行うにはどのような手続きが必要か?⇒市道区域の法面に亀裂などの変状が生じた場合、市が対応するので、道路維持課へ連絡を。その他この日の役員会報告では、教会だより「船越の丘から」12号の原稿の集まり具合を確認し、原稿締め切りは10月18日。→年内発行予定を確認しました。もう一つ私の支援会の第8回総会(10月31日(土)13:30~15:00、早稲田奉仕園スコットホールで開催)の報告をさせてもらいました。主な議事については以下の通しです。①11月の役割担当を確認、②11月1日(日)永眠者記念礼拝を、聖餐式と昼食会は中止し、礼拝のみ行うことにしました。③人権と平和を考えるDVD鑑賞会については、次回は2021年2月14日(日)に実施し、今後内容を検討することにしました。

・   役員会後、何時ものように来週の準備をして、船越教会から鶴巻に帰りました。帰る途中、横浜で自然食品を販売しているお店でいくつか調味料を調達し、海老名では新聞広告を見て知った、斎藤幸平著『人新生(ひとしんせい)の「資本論」』を本屋で探しましたが、その本屋さんにはありませんでしたので、後日アマゾンで注文しました。15日(木)にその本が届きました。読み始めたら途中止められず、一気に読了しました。この本は今日の気候温暖化による「気候危機の時代に、より良い社会を作り出すため」に書かれたものです。後期マルクスの資料に基づく資本論の読み替えによる、資本主義の徹底的批判を通して新しい持続可能で公正な社会である、「相互扶助と自治に基づいた脱成長コムニズム」を提示しています。要するに資本や権力から解放されてわれわれが自治に基づく持続可能で公正な社会を築くことによって、気候温暖化による世界の破滅を防ぐことが、我々人類の喫緊の課題であると言うのです。理論だけでなく、様々な地域での実践例も記されているので、参考になります。多くの人に読んでもらいたいと思います。いずれもう一度丁寧に読み直して、メモを取りながらその内容をコンパクトに紹介できればと思っています。

・   この週は15日(木)に午前11時半、横浜YWCAの向かいにありますハローワークで、寿地区活動委員会の会計のMさんと待ち合わせをしていました。今度寿地区センターの副主事に就任した方の雇用保険加入の手続きをするためです。その手続きに私の登録している印鑑が必要だったからです。書類に代表者の私の名前と印鑑を捺印して手続きが完了しました。その後Mさんとは別れて、私は午後1時半横浜地裁前集合の安保違憲訴訟口頭弁論を傍聴するために、どこかで昼食をと思い、久しぶりに中華街まで足を延ばしました。死んだ連れ合いがよく観ていた「孤独のグルメ」というテレビ番組がありますが、その番組で最近放映されたのが中華街で中華釜めしを食べさせる小さなお店です。そのお店は加賀警察署の方から中華街のメイン道路を元町側まで行った、ちょうどメイン道路の左裏手にあります。小さなお店でしたが、その日は既に10人近い人の列がお店の前にできていましたので、あきらめざるを得ませんでした。来た道を戻って中華街のメイン通りの入り口近くの四川料理のお店で担々麺を食べました。まだ少し時間がありましたので、象の鼻公園まで足を延ばし、横浜港の様子を見てきました。大桟橋には飛鳥Ⅱが停泊していました。レンガ倉庫からランドマークを眺めながら、見慣れた風景を懐かしく楽しみました。午後1時半過ぎ横浜地裁に入り、中で係の弁護士の方から、今回は原告の一人として私も傍聴できると前もって連絡を受けていましたので、傍聴券を受け取り、横浜地裁101号法廷の傍聴席に座りました。この日はコロナのために傍聴席は3席に一人が座るように準備されていました。裁判は原告の一人である88歳の女性の方が証人として証人席に立ち、ご自身の横浜空襲の体験を語り、戦争の悲惨さを訴えました。裁判長との原告と被告である国側の弁護士とのやり取りで、被告側の弁護士の応答が余りに機械的であるので、原告側の弁護士の一人から、裁判官も原告・被告の弁護士も法律に仕える点では同じであり、被告の弁護士に原告が訴えている事実に向き合うようにという意見の陳述がありました。また別の原告の弁護士から安保法制が最近のアメリカとイランとの戦争の危機や敵地攻撃論などに鑑み、日本が戦争に巻き込まれる道を切り開くものであるこことを十分認識すべきであるとう意見書が提出されました。その後次回の裁判の日程と原告・被告の弁護団が次回までに準備する書類の確認が裁判長との間で行われ、この日の裁判は閉廷しました。閉廷後横浜YWCA3階の会場でこの日の裁判の報告集会があり、私はその報告集会にも参加しました。その報告集会で全国20数か所で行われているこの違憲訴訟で、7つは判決がすでに出て、すべて敗訴とうことでした。当然それぞれ高裁で争うことになっていると思います。長い闘いになると思いますが、最後まで関わっていきたいと思っています。

・   16日(金)は午後6時半からなか伝で寿地区活動委員会がありました。この日は最小限の教区の宣教方策会に提出する2021年度の活度計画・予算案他二つ議題を検討承認して、10月から新しく副主事に就任したNさんのささやかな歓迎会を行いました。この日は会の終了後、私は鶴巻に帰らず、船越教会に行きました。