なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(472)

船越通信、№472 2020年10月25日 北村慈郎

・   先々週の金曜日16日には、夜寿地区活動委員会に出て、そのまま船越教会に来て、18日の日曜日を迎えました。土曜日の17日は一日雨の日でした。久しぶりに船越教会で一日説教の準備をしてゆっくり過ごしました。12時過ぎにNさんが教会のお掃除に来てくださいました。私は二階の牧師館から朝起きてから寝巻のままでいましたので、「ご苦労様」と声をかけました。Nさんが3時過ぎに帰るときには、気を使っていただき、メールで「帰ります。」と連絡してくださいましたので、私もメールで「ありがとうございます」と返信しました。夕方5時過ぎに、雨もほとんど上がりましたので、追浜に出て夕食は外食することにしました。

・   追浜で外食するときに私がいつも行っているお店は、ほぼ4軒です。2軒は横浜系のラーメン屋さん、1軒は追浜の駅前のスーパーなどが入っているビルの地下にある寿司屋です。その寿司屋は一応回転ずしですが、椅子が10人分もないくらいのところで、庶民的な寿司屋です。スーパーに隣接しています。そしてもう1軒は、追浜からバス停二つ行ったところにある「とんかつ勝(まさる)」というお店です。ここは大変繁盛しているお店で、コロナ対策もよくできていて、お店に入ると、まず体温を検温されます。クリヤーすると、席に案内されます。土曜日はいつも混雑していますが、この日は午後6時前でしたので大丈夫だろうと思い、久しぶりにこのお店で夕食を済ませることにしました。このお店は千賀が元気なころ一二度来たことがあります。食べ終えて、バスで教会に帰ったのが午後7時過ぎでした。それからまた説教等日曜日の準備をして、この日は比較的早めに終わり、就寝することができました。翌日曜日の朝6時に起きて、最終的な見直しをして、7時半ごろ説教その他のメール配信をすることができました。

・   18日(日)は礼拝後、教会裏地崖を県に頼んでコンクリートにするかどうかについて県から回答がありましたので、その報告をしました。教会裏崖地は今は自然のままになっていますが、ここ最近の気候変動による台風や豪雨による崖崩れが心配ですので、教会道路側の吹きふけコンクリートに亀裂が入った時に、横須賀市と県の係の人に来てもらい、教会裏の崖地も見てもらっていたのです。その時に行政の崖地対策として教会の裏地崖もコンクリートにできないか問い合わせていたのが、県から回答があったというわけです。周辺の居住者の了解を得た上で、何年先になるかわかりませんが、可能とのことですので、教会としてどうするかを決めなければなりません。役員会で話しますが、その前にこの日の礼拝出席者に報告をして、必要とあれば教会懇談会を経て臨時教会総会ということになるかも知れませんので、その旨みなさんにお伝えしておいたとう次第です。

・   実は教会裏地崖は、1970年代中頃にそれまで教会の裏地は自然のままの丘だったところが宅地開発されて、業者は崖部分をコンクリート壁にしたのです。ところが、その開発を自然環境の破壊ということで、当時の船越教会は反対して、教会の崖地部分は業者にコンクリート壁を作らせず、自然のままに残したのです。ですから、教会のお隣のところまで崖地はコンクリートになっているのですが、教会のところは自然が残ったのです。それから約45年が過ぎて、最近の気象変動による自然災害を考えると、このままで大丈夫かということになっているのです。もし崖崩れが起きて、上にある建物が落ちてきたら、大変なことになります。ということで、今回の問題が起きているわけです。人間のやることには限界があるというか、難しいですね!

・   18日(日)はみなさん比較的早く散会しましたので、私も次週の準備をして、早めに船越教会から鶴巻に帰りました。18日の週は特に出席しなければならない集まりはありませんでしたので、ずっと鶴巻で過ごしました。斎藤幸平『人新生の「資本論」』と共にアマゾンで注文した2冊、斎藤幸平編集『~資本主義の終わりか、人間の終焉か?~未来への対分岐』(集英社新書、2019年)と白井聡『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年)を3日で読了しました。先週からこんなに集中して本を読んだのは久しぶりでした。3冊とも現在の新自由主義的なグローバル経済による気候危機を回避する道は何かを示すものです。そのために斎藤幸平も白井聡マルクスの『資本論』からヒントを得ているわけですが、改めてマルクスという人の凄さに圧倒されました。船越教会の裏地崖のコンクリート壁化の可能性を私たちが探り始めたのも、最近の気候変動がきっかけでした。前回の船越通信でも少し書きましたが、技術の進歩に頼り経済成長優先の政策を世界の国家が続けていくとすれば、2100年にはとんでもない状況がこの地球上に起こってしまいます。2018年にノーベル経済学賞を受賞したイエール大学のウイリアム・ノードハウスによれば、「私たちは、気候変動を心配しすぎるよりも今までの経済成長を続けた方が良い。経済成長によって、世界は豊かになり、豊かさは新しい技術を生む。だから、経済成長を続けた方が将来世代はより高度な技術を用いて、気候変動に対処できるようになる。経済成長と新技術があれば、現在と同じ水準の自然環境を将来世代のために残しておく必要はない」と言われます。「ところが、彼の提唱した二酸化炭素削減率では、地球の平均気温は、2100年までになんと3.5°Cも上がってしまう。・・・3.5℃もの気温上昇が起きれば、アフリカやアジアの途上国を中心に壊滅的な被害が及ぶことになる。だが、世界全体のGDP国内総生産)に対する彼らの寄与は小さい。むろん、農業も深刻なダメージを受けるであろう。しかし、農業が世界のGDPに占める割合は、「わずか」4%である。わずか4%ならば、いいではないか。アフリカやアジアの人々に被害が及ぼうとも――。こうした発想がノーベル経済学賞を受賞した研究の内実である」(斎藤幸平)と言うのです。資本制社会で豊かさを求めることは、外部であるアフリカやアジアからの収奪によるものです。1990年にソ連邦の崩壊によって、世界中の国々の政府はほとんど経済優先の新自由主義的な道を進むようになりました。しかし、コミュニズムの可能性がなくなったわけではありません。