なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(482)

船越通信、№482 2021年4月4日 北村慈郎

  • 「主イエスの復活をお祝いいたします。十字架の苦と死からの主の復活であったことを思い、私たちもそれぞれに与えられた十字架を負うことによって、主の新しい命に与りたく願うものです」(関田寛雄先生からいただいた葉書から)。
  • 3月28日の日曜日は、久しぶりに船越教会の会堂での礼拝を行うことができました。首都圏の緊急事態宣言が21日(日)までで解除されたからです。私は日曜日の準備を鶴巻で終えて、電車の過密時間を避けて、27日(土)の夜10時ごろに船越教会に来ました。それから約3か月空けていた2階の牧師館の掃除をして、これも3か月間使っていなかった船越に置いてある私のパソコンで週報、船越通信、礼拝式及び説教原稿を開いてみました。最初なかなかWordもメールも開けませんでしたので、階下和室の教会のパソコンや電話機が置いてあるところにあるランの状態を見に行きました。機材が三つあるのですが、そのうちの二つが机の下に横倒しになっていましたので、その二つを立てて、電源が入っているかを確認しました。私は機材に関する技術的な知識はありませんので、ちょっと心配でしたが、牧師館の私のパソコンを操作したところ、何とかWordを開くことができましたので、その夜の必要な作業をすることができました。説教は大体準備していましたので、3時間ほど寝てから日曜日の午前2時半ごろ起きて、メール配信のため文章を整える作業をし始めましたが、思わぬほど時間がかかり、やっと出来たのが6時半ごろになってしまいました。それからメール配信作業を始めましたが、送信すると私の受信欄にも出るようにしてあるのですが、なかなか受信欄に出てこないので、あわててしまいました。いろいろやっているうちにやっと送信することができ、ほっとしました。
  • その後階下に行き、礼拝の準備を終えて、牧師館でサンドイッチと紅茶で朝食を取りました。それからしばらく休んで、久しぶりの会堂での礼拝に臨みました。この日は礼拝後有志による教会掃除がありました。この日の掃除では、大分前にN・Hさんが作ってくださった、台所の外にある洗濯用の物干し棒で出来ていた棚が壊れかけているので、その撤去をすることにしていましたが、雨のためその外掃除は中止し、内掃除だけ行いました。
  • 3日(土)午前10時から清水ヶ丘教会で教区総会があり、私も出席しました。ところが77名の定足数に出席者が足りず、総会は成立しませんでした。急遽総会会場で常置委員会を開き、常置委員会決議で3人の按手礼志願者の質疑応答と承認議決を行い、総会出席者は常置委員会陪席ということで、按手礼式を行いました。この日は一度鶴巻に帰って、夜船越に来ました。
  • 斎藤幸平『人新生の「資本論」』⑦

  ▼資本主義の歴史を振り返れば、国家や企業が十分な規模の気候変動対策を打ち出す見込みは薄い。解決策の代わりに資本主義が提供してきたのは、収奪と負荷の外部化・転嫁ばかりなのだ。矛盾をどこか遠いところへ転嫁し、問題解決の先送りを繰り返してきたのである。/実は、この転嫁による外部性の創出とその問題点を、早くも十九世紀半ばに分析していたのがあのカール・マルクスであった(42頁)。▼・・・資本はさまざまな手段を使って、今後も、否定的帰結を絶えず周辺部へと転嫁していくにちがいない。/その結果、周辺部は二重の負担に直面することになる。つまり、生態学帝国主義の掠奪に苦しんだ後に、さらに、転嫁がもたらす破壊的作用を不平等な形で押しつけられるのである(50頁)。▼・・・外部化や転嫁が困難になると、最終的に、そのツケは、自分たちのところへと戻ってくる。これまで、海に流れて見えなくなっていたプラスチックごみは、マイクロ・プラスチックとして、魚介類や水などのなかに混じって、私たちの生活に舞い戻ってきている。実際、私たちは毎週クレジットカード一枚分のプラスチックを食べているといわれている。また、二酸化炭素も、気候変動を引き起こし、その影響が熱波やスーパー台風という形で日本を毎年襲うようになってきた。/また、ヨーロッパではシリア難民が大きな社会問題となり、それが右派ポピュリズムの台頭を許し、民主主義を脅かしている。実は、シリアの内戦も、原因のひとつは気候変動だといわれている。シリア一帯で続く長期の干ばつによる不作で人々は困窮し、社会的紛争の勃発する可能性が高まっているというのである。/アメリカでも同様である。ハリケーンの大型化はもちろんのこと、アメリカの国境には、ボンジュラスからの難民キャラバンが押し寄せている。彼らもまた単に暴力や政治的不安定さから逃れようとしているだけでなく、気候変動による農業の困難さとそれに伴う困窮状態を訴えているという。・・・EUも押し寄せる難民をトルコに押しつけている。だが、それもいつまでも続けることはできないだろう。気候変動と環境難民は、これまで先進国で不可視だった帝国的生活様式の矛盾を物質・身体として可視化し、既存の秩序を転覆しようとしている(53-54頁)。▼しかし、この危機の瞬間には、好機もあるはずだ。気候危機によって、先進国の人々は自分たちのふるまいが引き起こした現実を直視せざるを得なくなる。外部性が消尽することで、ついに自分たちも被害者となるからである。その結果、今までの生活様式を改め、より公正な社会を求める要求や行動が、広範な支持を得るようになるかもしれない。/ウォーラースティンの言葉を借りれば、これこそ、資本主義システムの危機がもたらす「分岐」である。外部の消尽は、今までのシステムが機能不全を起こす歴史の分かれ目に、私たちを連れて行くのだ(55頁)。/だから、外部の消尽が起きた今こそ歴史の分かれ目だと、ウオーラスティンは言い残したのだった。資本主義システムが崩壊し、混沌とした状態になるのか、別の安定した社会システムに置き換えられるのか。その資本主義の終焉に向けた「分岐」が、いまや始まっているのである(56頁)。

・ 斎藤によれば、今私たちは「資本主義システムが崩壊し、混沌とした状態になるのか、別の安定した社会システムに置き換えられるのか」という歴史の分岐点にいるのだというのです。今回はここまでにしておきます。