なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(483)

船越通信、№483 2021年4月11日 北村慈郎

  • 4日(日)はイースターの礼拝でした。昨年のイースターは4月12日(日)で、その少し前の4月7日に第1回緊急事態宣言が出て、会堂での礼拝を休止するようにした初めての日曜日でした。ですから昨年のイースターは会堂での礼拝はありませんでした。今年は第2回目の緊急事態宣言が3月21日(日)に解除されましたので、3月28日(日)から会堂での礼拝を再開しました。そのため4月4日(日)のイースターの礼拝を船越教会の会堂で行うことができました。イースター礼拝のご案内もごく限られた方々にだけは差し上げましたが、その案内には「無理されませんように。ご案内まで」と書いておきましたので、イースターの礼拝に出席されたのは、普段の礼拝に出席している方々だけでした。それでも14名の出席者がありました。
  • イースターの礼拝では、いつも行っている聖餐式は行いませんでした。また、いつものイースター礼拝では、礼拝後会食をしていますが、今年は昨年のクリスマス礼拝同様お弁当をパックにして、ペットボトルとともに出席者にお配りしました。持ち帰る方、集会室や会堂で分散して食べていかれる方、どちらでも自由にしていただきました。教会で食べていかれた方が多かったようです。その後皆さんが散会した後、役員会を行いました。
  • 役員会では、4月18日(日)礼拝後に予定しています2021年度教会定期総会の準備を中心にしました。2020年度の会計報告、2021年度の基本方針及び事業計画を審議し、承認しました。ただ2020年度の教会活動総括については、いつも役員会書記が用意するのですが、私が役員会書記のNさんに前もってその旨連絡するのを失念し、後日メールでNさんがまとめてくれました2020年度教会活動総括を送っていただき承認しました。2020年度の会計報告については、N・Jさん、N・Kさんに監査をお願いし、会計のHさんと共にこの週のうちに会計監査を行っていただくようにし、11日(日)に総会資料を教会員の方々に配布するのに間に合うにしました。2020年度も、コロナウイルス感染拡大により例年のようなわけにはいきませんでしたが、会計も少し余剰金がでるようですし、皆さんに支えられて教会活動を続けることができたことは感謝です。
  • 役員会は午後1時半ごろに終わりましたが、私は洗濯などをしてから、午後3時ごろ船越教会を出て、鶴巻に向かいました。午後5時過ぎに鶴巻の自宅につきました。
  • この週は、6日(火)午後6時から蒔田教会礼拝堂で教区の常置委員会があり、私も出席しました。この日の議事も、必要最低限の議事を扱うだけでした。3月末で常置委員の大船教会牧師松下道成さんが転任されたので、6月末の教区総会までの残任期間を次点の横浜指路教会牧師藤掛順一さん常置委員になりました。その他書面決済で行った第145回教区総会に関する件、按手礼式に特化して行い、定足数不足で開催できなかった第146回臨時教区総会に関する件が、報告承認として議事になりました。按手礼式に特化した臨時教会総会が定足数不足で不成立になったこと、それにも拘わらすその場で臨時常置委員会を開催して、常置委員会決議による按手礼式執行を強行した教区執行の姿勢について、一人の常置委員会陪席者から批判的な発言がありました。教師検定については歴史的に受験拒否の問題があり、その問題が解決されずに今も継続している中で、この教師検定問題を問う作業を放棄して、按手礼式執行のみを強行するのはいかがなものかという批判です。この批判は教団の歴史を考えると大切で本質的なものだと思いますが、私はかつて受験拒否を10年間し、正教師検定試験を受験し、按手礼を受けて正教師になりましたので、彼の批判の正当性は認めつつも、同じような立場をとることができず、正教師試験を受けて、按手礼を受けようとする教師の方々の按手礼執行を、常置委員会や教区総会の質疑応答において意見は申し上げますが、容認せざるを得ません。
  • 7日(水)は20:30から支援会の世話人・事務局会をズームで行いました。昨年10月31日に早稲田奉仕園のスコットホールで開催した支援会第8回総会の講演を含めた報告を中心にした通信第25号を5月10日に発送することなどを話し合いました。
  • 斎藤幸平『人新生の「資本論」』⑧

▼(米国において温暖化防止と経済格差の是正をもたらす形で行う経済刺激策を意味する)グリーン・ニューディールは、再生可能エネルギーや電気自動車を普及させるための大型財政出動公共投資を行う。そうやって安定した高賃金の雇用を作り出し、有効需要を増やし、景気を刺激することを目指す。好景気が、さらなる投資を生み、持続可能な緑の経済への移行を加速させると期待するのだ。▼だが、それでも問題は残る。それが果たして、地球の限界と相容れるかどうか、という疑問が湧いてくるからだ。「緑」と冠をつけたところで、成長を貪欲に限りなく追求していけば、やがて地球の限界を超えてしまうのではないか。そもそも技術がいくら進歩したところで、効率化には物質的限界があるのだ。効率化が進んでも、半分の原料で自動車を作れるようなわけがない。▼また、産業革命以来の資本主義の歴史を振り返ればわかるように、二十世紀の経済成長は、化石燃料を大量に使用することによって可能となった。経済成長と化石燃料は、分かちがたく密接に連関しているのだ。それゆえ、従来どおりの経済成長を維持しながら、二酸化炭素排出量を削減していくことに、物理的な困難が伴うのは自明の事実なのである。▼逆説的に聞こえるかもしれないが、グリーン・ニューディールが本当に目指すべきは、破局につながる経済成長ではなく、経済の脱成長化なのである。

・ 斎藤幸平は、最近よく見かけるSDGs(持続可能な開発目標)についても、「政府や

  企業がSDGsの行動指針をいくらなぞったところで、気候変動は止められないのだ。

  SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しか

  ない」と言い、経済の脱成長への方向転換を促しています。(続く)