なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(484)

 4月25日(日)からまた船越教会の会堂での礼拝はしばらくお休みにします。従って、船越通信もしばらくお休みします。

 

船越通信、№484    2021年4月18日   北村慈郎

  • 10日の土曜日は午後船越教会に来て、総会資料を作成し、「船越の丘から」14号の印刷、それから教会裏の崖地のことで、「急傾斜地崩壊危険区域指定と防災工事」の県と横須賀市に提出した要望書のコピーを協力して下さった近隣の方々に送るために、その印刷もしました。このところ新型コロナウイルス感染があって、印刷機を使うのは、会堂で礼拝がある時に週報を印刷くらいでしたので、久しぶりに印刷機でまとまった印刷をしました。印刷が終わって、総会資料を綴じ、「船越の丘から」を折ってから、横浜駅で買ってきた崎陽軒のシュウマイ弁当を夕食としていただきました。夜は最後の説教の準備をして、翌日の日曜日の朝早めに起きるために、0時前には寝ました。
  • 11日(日)の礼拝には耳の不自由なOさんが出席しました。今回はパソコン筆記を準備できず、T・Tさんに横についてもらい文字筆記で対応してもらいました。Oさんは礼拝に来るときには、必ず私への質問を用意して来られます。今回も礼拝後、新型コロナウイルス感染のために教会の礼拝もみんなが集まってする礼拝ではなく、リモートで一人一人が各自守る礼拝を行っているところも多いが、それは礼拝としてどうなのか? また、見ない教会と見える教会の関係はいかがなものか? などの質問を受け、私なりに文字筆記で応えました。
  • 礼拝後役員書記のN・Kさんが、県と横須賀市に提出した教会裏崖地の「急傾斜地崩壊危険区域指定と防災工事」要望書コピーと、手紙を添えて、要望書に署名捺印してくださった近隣の方々に封書にして届けてくださいました。実はこの要望書が受け入れられたとしても、工事が始まるのは、行政の方によれば約20年後ということでしたので、近隣の方々には代が変わっても、この件についてそれぞれの家の方に継承してもらいたいと思い、要望書のコピーと何れこの要望が承認された時には、その承認書もお送りすることに、役員会で相談して決めていたからです。N・Kさんには、要望書のコピーと共に、この日の礼拝に欠席した会員の方へ郵送する総会資料を封筒に入れる作業もしていただき、私がそれを鶴巻に持ち帰って、翌日郵便局で出すようにしました。
  • その後、皆が帰った後残っていました二人の方と私とで、しばらく話し合いの時を持ち、午後1時半ごろ散会しました。私は午後2時過ぎに船越教会を出ましたが、京急田浦駅近くに来て、携帯を忘れたことに気づいて、教会に戻りました。2階の牧師館の私の机の上に携帯が置いてあり、それを持って、また京急田浦に向かいました。段々こういうことが頻繁になるのでしょう。鶴巻には午後5時ごろ着きました。
  • この週は比較的忙しく過ごしました。支援会の通信第25号の原稿のまとめの作業があり、13日(火)には編集して下さる人にその原稿を送りました。教区の二つの委員会の年度報告もまとめなければなりませんでしたので、それも原案を書き上げました。オリエンテーション委員会の方はメールで各委員に送り、意見を聞いて完成することにしました。寿地区活動委員会は、今年度は新型コロナウイルス感染のために、例年の活動は出来ず、イレギュラーな形になり、その現状を私自身は十分把握していませんので、地区センターのそれぞれの働きに対する評価もいつものようには書けません。一応私が原案を書いて、委員会は16日(金)にありますので、その前に各委員にメールで送り、委員会までよく読んでもらい、修正のある人は委員会で修正意見を言ってもらうようにしました。16日(金)午後6時半からなか伝道所で行われた委員会では、大分修正意見があり、委員会中に修正文案を書いてもらう人も二人いて、それらを持ち帰って、鶴巻に帰ってから、原案を直し、教区に提出する会計報告と共に、各委員へメールで送りました。終わったのは0時を大分過ぎていました。
  • 15日(木)には午後4時半から高座渋谷教会で、基地・自衛隊問題小委員会が久しぶりに開かれました。委員全員が集まり、年度報告の確認や次年度のことを話し合いました。基地小も集会の計画はありますが、まだしばらく新型コロナウイルス感染の状況を見ることにしました。14日(水)に自宅の冷蔵庫が壊れ、近くの量販店で買った新しい冷蔵庫を15日(木)に来るというので、最初時間が何時になるかわかりませんでしたので、基地小の委員長にはメールでもしかしたら委員会を欠席せざるをえないと連絡しておきました。しかし幸い新しい冷蔵庫は15日(木)午前中に来ましたので、基地小の委員会に出席することができました。
  • 斎藤幸平『人新生の「資本論」』⑨

▼斎藤は「経済成長」はグローバル・サウスの人々には必要であることを認めている。「ただし、はじめにひとつ確認しておこう。電力や安全な水を利用できない、教育が受けられない、食べ物さえ十分にない、そういった人々は世界に何十億人もいる。そうした人々にとって、経済成長はもちろん必要だということである」。しかし先進国を含めて世界の国々がこのまま経済成長を続ければ、環境破壊による地球の滅亡は避けられない。「私たちが、環境危機の時代に目指すべきは、自分たちだけが生き延びようとすることではない。それでは、時間稼ぎはできても、地球はひとつしかないのだから、最終的には逃げ場がなくなってしまう。/今のところは、所得の面で世界のトップ10~20%に入っている私たち多くの日本人の生活は安泰に見える。だが、この先、このままの生活を続ければ、グローバルな環境危機がさらに悪化する。その暁には、トップ1%の超富裕層にしか今のような生活は保障されないだろう」。「だから、グローバルな公正さというのは、抽象的で、偽善的な人道主義ではない。他者を切り捨てる前に、他者の立場に立ち、明日は我が身だということを想像してほしい。最終的に自分自身が生き延びるためにも、より公正で、持続可能な社会を志向する必要があるのだ。それが、最終的には人類全体の生存も高めることになる。/それゆえ、生存の鍵となるのは、「平等」である」。平等・公正さは資本主義においては不可能であることを斎藤は認めている。(続く)