なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(489)

 

 

 衆議院選挙が終わり、政党の獲得して議席数の構図は今までとほとんど変わりませんでした。むしろ維新が増えて、自公と維新の議席数を加えると全体の三分の二以上になり、憲法改変という点で今までよりもその危険性が高まったと言えるかも知れません。

 今回の選挙で私が残念に思うことは、約30年に及ぶ新自由主義的な資本主義経済によって日本の社会にこれほどの格差が生まれて、苦しむ人が多いのにも拘わらず、社会的に弱い立場の人も切り捨てられない、皆が共に助け合って生きていくことの出来る社会のイメージや経済のあり方を提示した政党がほとんどなかったということです。私がこの船越通信で紹介しています斎藤幸平の『人新生の資本論』の「脱成長コミュニズム」は、今世界で問題になっている地球温暖化の危機を乗り越えられる可能性を秘めた社会像として提示されてますが、私にもそのように思えます。経済成長(と分配)という甘い幻想を振りまくのではなく、経済成長などあり得ないという現実を直視し、それに即した政治の在り方を示して欲しかったと思います。残念ながら既成政党には期待しても無理なのかも知れません。

船越通信、№489 2021年10月31日 北村慈郎

・ 23日(土)午後3時過ぎに鶴巻を娘の運転する車で出て、ナビが茅ヶ崎方面から船越に行く道順を指示しましたので、それに従って走っていましたが、ナビが途中から東名に入る道順に変わりましたので、結局前週と同じ東名・横横と高速道路で来て、逗子インターで降りて船越教会まで送ってもらいました。24日(日)は礼拝を終え、30日(土)の講演会の準備をしてもらい、散会しました。この日はまだ少し不安でしたが、杖をつきながら自分で公の交通機関を使って鶴巻に帰ることにしていました。みなさんが早めに散会しましたので、私も12時46分の梅田(バス停)からJR田浦駅行きのバスに乗ろうと、梅田のバス停に行きました。ところがバスが4分程遅れで来たため、JR田浦12:58発の横須賀線に乗れず、田浦駅で20分ほど待って次の電車に乗り、大船で乗り換えて藤沢に出ました。藤沢からは小田急で相模大野乗り換え鶴巻温泉駅で降り、歩いてマンションまでたどり着きました。約2時間半かかりました。いつものルートは鶴巻温泉―海老名―横浜―京急田浦ですが、家から教会までちょうど2時間です。杖を突いてゆっくり歩くには、海老名と横浜の乗り換えを避けたいと思い、今回のルートにしてみました。

・ 29日(金)夕方、鶴巻で期日前投票をしてから、24日の日曜日の帰りと同じルートで30日(土)の講演会のために船越教会に来ました。30日(土)午後1時半から教区婦人委員会、性差別問題特別委員会共催講演会が紅葉坂教会を会場に行なわれ、船越教会も東湘南地区のYouTubeライブ配信のサテライト会場となり、7名が出席しました。講演は「ビジュアルが語る女性像と社会的影響~みんな知って知らない世界~」と題して、フォトジャーナリスト・ライターの大藪順子(のぶこ)さんでした。「普段目にするポスターやテレビのコマーシャル。気づかないうちに『女性はこうあるべき』を押し付けられていませんか? 『みんなちがってみんないい』を拒む自己肯定感のなさ、心のどこかにありませんか? 日本にあふれるビジュアルからその原因について考えてみましょう。」というチラシの呼びかけ通りの講演でした。特に女性がひとりの人間としての尊厳において大切にされるのではなく、性的な対象としての商品価値としてポスターやテレビのコマーシャルで消費されていることが、大藪さんの講演を聞いて、よく分かりました。日本社会にはまだ根強く父権制社会の男権主義的な文化の残滓があるのでしょう。私の中にもあるに違いありません。頭ではそれなりに分かっていても、体にしみついた負の遺産はなかなか払拭できないものです。自己正当化に居直ることなく、批判から逃げずに少しずつ変わっていく以外にないように思われます。講演会後出席者の7名で講演の感想を話し合うことができました。7名のうち2名は横浜港南台教会の方で、そのうちのお一人が婦人委員会から派遣された方でした。

★ 斉藤幸平『人新生の「資本論」』⑫

・ 斉藤は「実は、マルクスにとっても、『コミュニズム』とは、ソ連のような一党独裁と国営化の体制を指すものではなかった。彼にとっての『コミュニズム』とは、生産者たちが生産手段を<コモン>(コモンとは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す)として、共同で管理・運営する社会のことだったのだ。さらに、マルクスは、人々が生産手段だけでなく地球をも<コモン>(common)として管理する社会を、コミュニズム(communism)として、構想していたのである」と言う。また、「マルクスは、<コモン>が再建された社会を『アソシエーション』と呼んでいた。マルクスは将来社会を描く際に、『共産主義』や『社会主義』という表現をほとんど使っていない。代わりに使っていたのが、この『アソシエーション』という用語なのである。労働者たちの自発的な相互扶助(アソシエーション)が<コモン>を実現するというわけだ」。「このような意味での<コモン>は、21世紀に入ってからの新しい要求ではない。今、国家が担っているような社会保障サービスなども、もともとは人々がアソシエーションを通じて、形成してきた<コモン>なのである。/つまり、社会保障サービスの起源は、あらゆる人々によって生活に欠かせないものを、市場に任せず、自分たちで管理しようとした数々の試みのうちにある。それが、20世紀に福祉国家のもとで制度化されたにすぎないのだ」。「マルクスによれば、人間はほかの動物とは異なる特別な形で、自然との関係を取り結ぶ。それが『労働』である。労働は、『人間と自然の物質代謝』を制御・媒介する。人間に特徴的な活動なのである。ここでのポイントは、労働のあり方は時代ごとにさまざまに異なるということである。それに合わせて、『人間と自然の物質代謝』も大きな影響を被ることになる。とりわけ、資本主義においては、極めて特殊な形で、この物質代謝が編成されるようになっていく。資本は自らの価値を増やすことを最優先するからだ。そして、この価値増殖という目的にとって最適な形で、資本は『人間と自然との物質代謝』を変容していく。/その際、資本は、人間も自然も徹底的に利用する。人々を容赦なく長時間働かせ、自然の力や資源を世界中で収奪しつくすのだ。もちろん、新技術のイノベーションも、人間や自然の利用をできるだけ効率よく進めるための手段として開発・導入される。その結果、効率化のおかげで、人々の生活は、これまでとは比較にならないほど豊かになる。/ところが、ある一定の水準を超えると、むしろ否定的な影響の方が大きくなっていく。資本は、できるだけ短期間に、より多くの価値を獲得しようとする。そのせいで、資本は人間と自然の物質代謝を大きく攪乱してしまうのだ。/長時間の過酷な労働による身体的・精神的疾患も、この攪乱の現れであり、自然資源の枯渇や生態系の破壊もそうである。/『自然的物質代謝』は、本来、資本から独立した形で存在しているエコロジカルな過程である。それが、資本の都合に合わせて、どんどん変容させられていく。ところが、最終的には、価値増殖のための資本の無限の運動と自然のサイクルが相容れないことが判明する。/その帰結が「人新生」であり、現代の気候危機の根本的な原因もここにある」と言うのである。