なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(516)

船越通信、№516 2022年5月22日(日)北村慈郎

 

  • 15日(日)は礼拝後、Nさんが作って来てくれたサンドイッチをいただいて、第2回目の「ウクライナに平和を!」のスタンディングを京急田浦駅前で、7人の参加者によって行いました。40分ほどでしたが、カンパをして下さる方や署名をして下さる方が、前回よりも多かったように思います。午後1時少し前に終了し、その場で散会しました。私とSさんの二人で教会まで戻りました。教会に戻ってから、Sさんも帰り、私も後片付けをして午後1時38分の追浜行のバスに乗り、鶴巻への帰途に着きました。この日はIさんのお見舞いカードに、出席者が一言を添えたり、名前だけの方もいますが、署名しました。ただ出席者が少なかったので、私がメールでみなさんにIさんの報告をして、遠くの方から寄せられたものを、22日(日)にお見舞いカードに代筆し、その日に投函することにしました。
  • 20日(金)午前中にIさんから電話をもらい、手術と術後の様子を伺いました。その電話のIさんの声は、入院する前のIさんの声よりも、大変元気に聞こえました。Iさんに現在の様子をうかがってから、「お元気な声で安心しました」と申し上げましたら、彼女も入院前はしんどかったのでと、おっしゃっていました。病院に検査に行ったら、あれよあれよと入院手術になり、びっくりされたと思いますが、術後しばらく経っていましたので、大分平常の状態に戻っているのではないかと思われます。ただ今後、お話をお聞きする限り、抗がん剤治療をするようですので、皆さんも、Iさんのことを覚えて、今後もお祈りくださいますようにお願いいたします。
  • この週の前半は、4月2日開催の私の支援会総会で発言してくださった元神奈川教区議長・元住吉教会牧師のMさんの発言(Mさんは講演ではなく、発言ということで引き受けてくれたとおっしゃっていますので、発言にしておきます)を、録音から文章化する作業をしました。Mさんに原稿をお願いしていたのですが、事情があって、今Mさんにはとても原稿を書く余裕がありませんので、私が文章化し、それをMさんに送り、手を入れてもらって、Mさんの発言を支援会通信の次号に掲載したいと思っています。その通信発行が6月10日前後を予定していますので、どうしても今月中には文章化した原稿を完成しなければならないからです。関田先生の支援会総会の挨拶も、先生の修正版をデータにして、先生に送って、手を入れてもらい完成稿が20日には出来上がりました。
  • 17日(火)夕方、紅葉坂教会時代の信徒の方で、町田に住んでいて、数年前にご夫妻で町田の教会に転会され、半年ほど前に妻であるお連れ合いが帰天したIさんから電話がありました。久しぶりに互いの近況報告を交換しました。Iさんの電話の目的は、80代後半になる方と二人で私のところに来たいということでした。一週の内で予定もなく家にいる日をお知らせしましたら、折り返し、もう一人の方と打ち合わせを下上で、電話連絡があり、来週火曜日24日の午後に二人で私の所に来て下さることになりました。
  • 19日(木)は、前週より小田急鶴巻温泉駅を20分ほど遅く、11:24の快速急行で国会前の座り込みに出かけました。それでも代々木上原で地下鉄千代田線に乗り換えて、国会議事堂前駅に着いたのが12時40分頃でした。まだ少し早いので、国会記者クラブ会館の中にある食堂でおそばを食べてから、参議院会館前の座り込みの場所に行きました。午後1時少し過ぎていましたので、既に二人の方が、横断幕やプラカードを石壁に貼っていました。私が到着したのと、ほぼ同時に3人組のもう一人の方も到着しました。アッピールのための準備を終えた頃、平和をつくり出す宗教者ネットの議員会館での集会に来た、東神大の一年後輩の友人ご夫妻と、久しぶりに会いました。彼は3年間国会前には来ていなかったので、3年ぶりに来た、と言っていました。私の連れ合いが元気なころに、私も国会前の座り込みに来て、宗教者ネットの集会に来ていた彼とは何度か会って、話をしていました。彼に私の連れ合いが2年ちょっと前に亡くなったことを話したら、彼はびっくりしていました。彼は私の支援会にも参加してくれていて、数年前から支援会通信を出しても戻って来て、音信不通になっていましたので、新しい住所を私のノートに書いてもらいました。音信不通になったときに、彼もそれなりの年なので何かあったのではないかと思っていましたが、今回元気な彼と再会できて、嬉しかったです。彼とお連れ合いが、宗教者ネットの集会に行った後、横浜から来た二人の座り込みへ参加者の一人の方が、私と話したいとおっしゃって、この日はその後座り込みの終わるまで、ほとんど彼と話していました。彼は、最初復活について、永遠の生命について、私がどのように考えているのか、質問してきました。復活については、教会だより「船越の丘」第18号に掲載しています、4月17日のイースターでの私の説教に基づいて、特にボンフェッファーの「新しい人間の創造」ということをお話しました。また、彼は「永遠の生命」と「永遠に続く」生命と受けとめて、疑問を抱いていたようでしたので、鈴木正久さんのマルコ福音書の説教集、確か『神の国のおとずれ』だったと思いましが、その中のどこかで、鈴木正久さんは「永遠の生命とは永遠に意味ある生である」という趣旨のことを言っています。彼にはそのことを紹介しました。他にも、キリスト教にとっては知的な神学的理解よりもイエスへの追従としての信仰者の生き方が大切ではないか。それがキリスト教の問題ではないかという趣旨のことを言われました。これには知性を重んじたテルトリアヌースに代表される西方教会と、感覚を大切にしたオリゲネスを代表とする東方教会の違いを説明し、知性も感覚も誤ることがあり、どっちもどっちで、イエスへの追従としての信仰者の生き方は、どちらからも生まれるし、どちらからも生まれないというものではないかという話をしました。その後お互いの信仰者としての歴史を披瀝し合う中で、彼が浅野順一牧師に師事していたことがわかり、私の最初の赴任した教会が、やはり浅野順一先生を師事していた藤村靖一先生が自宅で開拓伝道した教会で、私の3人の子供たちは浅野先生から幼児洗礼を受けていることなどを話し、浅野先生繋がりで、いろいろと話題が広がり話が盛り上がりました。気づいたら、座り込みの終わりの時間になっていました。