なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(527)

船越通信、№527 2022年8月7日(日)北村慈郎

 

  • 31日(日)は礼拝後食事を済ませて、12時30分から平和と人権を考えるDVD鑑賞会を行いました。一緒に観たDVDは、NHKホームページETV特集ドキュメンタリー番組『義男さんと憲法誕生』です。これは「ギダンさんの愛称で親しまれた福島県の政治家にして法学者・鈴木義男らの提案によって、GHQ草案になかった第9条の「平和の文言」の加筆や、25条の生存権の追加、さらには国家賠償請求権や刑事補償請求権の追加など、憲法誕生の陰で長く忘れられていた日本人による追加修正に光を当てるものです。参議院選後の自民党による憲法改定の動きが顕在化している時期にタイムリーなDVD鑑賞会だったと思います。現在の日本国憲法の中に良識ある先人の思いが込められていることを思うと、現憲法が自分たちが選び取ってできたものではなく、当時の占領軍に押しつけられたものであるという憲法改定の一つの論拠が成り立ちません。このDVDを観て、現憲法制定時にもこの憲法を主体的に受け止めた日本人は少なくなかったのではないかと思います。鑑賞後の感想の中に、今の国会審議と比べて、憲法を審議する当時の与野党議員には知性を感じるという発言がありました。DVD鑑賞会には一人地域の方の参加がありました。出席者は8全部で名でした。散会後私は後片付けをして、庭で草刈りをしてくれていた関本さんに挨拶をして鶴巻に帰ってきました。
  • 8月1日(月)はお昼ごろ横浜駅東口郵便局前で待ち合わせして、名古屋と横浜在住の小学校時代の友人2人と再会し、昼食をともにし、友人の発案で連れ合いの千賀が埋葬されている紅葉坂教会の墓地に3人で行き、お花を供えて、新横浜でお茶を飲んで別れました。
  • 2日(火)からは、4日(木)も雨で国会前の座り込みがお休みでしたので、どこにも出かけず鶴巻で過ごしました。
  • 本日は「平和聖日」ですので、以下に「戦責告白」を転載します。

 

「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」 

わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。

 まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。

 わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。

 明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。

 わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。

まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。

 しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。

 心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。

 終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。

1967年3月26日 復活主日
日本基督教団総会議長  鈴木正久