なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(542)

船越通信、№542 2022年11月27日(日)北村慈郎

 

  • 20日(日)は礼拝後、アドベントの準備を有志でしました。主にH・Tさん、H・Sさん、T・Tさんの3人が作業をしてくれました。庭からガイヅカイブキの枝を切って来て、今年から新しく購入した赤い30センチ位のローソクを、四つ燭火台にセットする作業をはじめ、その四つの赤いローソクを立てた燭火台の周囲を古木とカイヅカイブキで囲み、テーブルに置かれた横並びになった4本のローソクのクランツが完成です。私はしばらく見ていましたが、3人に任せ、2回の牧師館に行き、この日午後4時から蒔田教会礼拝堂で行なうことになっていた2022年度第2回オリエンテーション(テーマ:合同のとらえなおし)の準備をしました。このオリエンテーションは、神奈川教区が1967年の「戦責告白」以後の、万博・東神大問題、教師検定問題、合同のとらえのおしと実質化などの教団の問題を風化させずに、神奈川教区の教会・伝道所に着任した新任教師を中心に、神奈川教区常置委員会が設置したオリエンテーション委員会が行なっています。私は現在そのオリエンテーション委員会の委員長をしている関係で、オリエンテーションには必ず出席しています。この日は、オリエンテーションで配布する資料をキャリーバックに入れて、午後1時38分のバスで追浜経由上大岡に出て、京急のデパートの10階の食事処で食事を済ませて、午後3時40分ごろ蒔田教会に着きました。すでに数名が来ていて、受付に資料を置き、既に来ていたオリエンテーションの委員の方に受付を担当してもらい、私は礼拝堂で既に見えていた2,3の方と言葉を交わし、準備しながら、開会の時(午後4時15分)を待ちました。この日の発題は、オリエンテーション委員会の委員であり、沖縄交流委員会の委員でもある、湯河原教会のK・S牧師にお願いしていました。この日西湘南地区の信徒研修会があり、K・S牧師はダブルブッキングでしたが、オリエンテーションの発題をお願いしてありましたので、西湘南地区の方々には申し訳ありませんでしたが、オリエンテーションの方に来ていただきました。4時15分に私が開会の祈祷をし、出席者の簡単な自己紹介をしてもらい、その後K・S牧師に発題をしてもらいました。K・S牧師は、最初に自分で用意した資料に基づいて、神奈川教区の沖縄交流委員会の活動と交流の旅の歴史を、時系列に沿って、詳しく話されました。その後、「合同のとらえなおし」とは何かについて、沖縄交流委員会によって開催された合同問題協議会でのU・S牧師の講演記録に基づいて話されました。K・S牧師の資料は、神奈川教区の沖縄交流委員会の記録ですので、教団の「合同のとらえなおし」の歴史や資料はありませんでしたので、私が用意した『資料集 日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしと実質化の討議のために』(日本基督教団「合同」特設委員会編、1998年3月)が、その欠けを補いました。発題後少し休憩の時間を入れて、その後質疑応答と協議の時を持ちました。予定した午後6時半を5分ほど過ぎましたが、今回の今年度第2回オリエンテーションを終えました。司会は私がしましたが、いつもなら最後には一言ずつ参加者全員から発言してもらうのですが、今回は司会の私がすっぱりそのことを失念してしまい、会を終えてしまいました。参加者は17名。次回は来年2月19日(日)に2022年度第3回オリエンテーションとして「教師検定試験問題」を扱います。発題は私がすることになっています。オリエンテーションを終えて、鶴巻には午後8時過ぎに着きました。
  • この週の前半は、鶴巻にいましたが、私がかつて牧会した教会である足立梅田教会や紅葉坂教会の方から個人的な電話をいただいたり、寿地区センターのことで個人的な電話をしたりしました。23日(水)勤労感謝の祝日は比較的強い雨の一日でした。お昼ごろ前日夜に鶴巻に来ていた娘と一緒に車で平塚の朝つゆ広場(JAの地産物の販売所)に行き、早夕食の買い出しをしました。何時も込み合っている所ですが、さすがに強い雨の日でしたので、人もまばらで、すぐに品物を選んで買い出しを終えて、車で帰ってきました。朝つゆ広場で購入した、新鮮なホーレン草と豚肉で、早夕食は除夜鍋にしました。この除夜鍋には思い出があります。神学生時代、私は高3の時に洗礼を受けた紅葉坂教会に、当時井之頭公園の近くの牟礼にあった東神大の寮から日曜日の礼拝に通っていました。土曜日は教会の和室に泊まり、日曜日の夕拝に出て、牟礼の寮に帰ってくるというような生活をしていました。ですから、その当時の牧師の家庭の食事に度々与っていました。その牧師宅の食事で、冬の時期には何度かこの除夜鍋がありました。除夜鍋をいただく度に、そのお世話になった牧師宅の除夜鍋を思い出すのです。
  • 24日(木)は、前日の強い雨の日から一変して快晴でした。何時ものように午前11時15分ごろ鶴巻のマンションを出て、小田急代々木上原まで行き、地下鉄に乗り変え国会議事堂前で降りて、歩いて10分弱で参議院議員会館前の辺野古新基地建設反対の座り込みの場所に着きました。この日も既に一人の方がいて、石壁に横断幕他を貼り始めていました。大きな横断幕を貼るのを手伝った後、私のものを貼っていましたら、若い警察官が近づいて来て、参議院議員会館前ではなく、衆議院議員会館前に移動するように言ってきました。私は、ここでの座り込みは2004年以、18年間も続いていることで、あなたにとやかく言われるいわれはないと、言い返して、作業を続けました。すると警官は私のところから去っていきました。座り込みをずっと続けて来た方の一人に、今警察官にこう言われたがというと、今までも若い警察官に言われたこはあるということでした。この日も4人で座り込みました。この日はカメラを抱えた報道関係の方が、石垣島から来て、今院内で防衛省交渉しているという報告を、私たちの座り込みを見て話して行かれました。また、この日は一人のカメラを抱えた女性の方がいろいろと私以外の座り込んでいる3人の方々に話しかけて来て、別れ際にご自分が写真と文を書いている機関紙と名刺を私にも置いて行かれました。名刺の裏には、「ここ数年ほどは親の介護もあり、主に介護関係や、南西諸島の軍事化問題に目が向いています」とありますので、辺野古新基地建設反対の私たちの座り込みを見て、話しかけてきたのでしょう。この国会前に座っていると、時々このような人とので出会があります。この日は、座り込みを終えて、鶴巻にではなく、寿地区活動委員会がありましたので、なか伝に直行しました。委員会に出て、この日鶴巻に帰ったのは午後10時過ぎでした。