なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(551)

船越通信、№551 2023年1月29日(日)北村慈郎

  • 22日(日)の礼拝後はしばらくそれぞれから報告を受けて懇談して散会しました。その後私は2月19日(日)16:00から蒔田教会で行われる教区の2022年度第3回オリエンテーションの案内を約60人分封筒に入れて出す作業をして、午後2時過ぎに船越教会から鶴巻に帰りました。その途中封筒はポストに投函しました。鶴巻に帰ってから、支援会の通信第30号を20部と10部、二人の方に送る作業を忘れたことに気づきました。支援会通信は船越教会に置いてありますので、船越教会に行かないと、その作業ができません。この週のどこかで船越教会に行って作業をすることにしました。
  • 23日(月)朝起きて、この日船越教会に行くことにしました。食事はこのところ一日2回にして午前9時半前後と午後4時半前後にしていますので、午前の食事を摂った後、鶴巻の郵便局に寄って2種類のレターパックを買って、船越教会に行きました。船越教会に着いたのは、午後1時少し前で、すぐ作業をして、午後1時41分バス停梅田発の追浜行きのバスに乗り、追浜の郵便局にレターパック2部を出して、鶴巻に帰ってきました。
  • 25日(水)は、17:00から高座渋谷教会で基地小の委員会、その後16:30から委員会内学習会「防衛費の増額は何を狙っているのか?~南西諸島(琉球弧)でおきていること~」と題して、「すべての基地に『NO!』を・ファイト神奈川」の木元茂夫さんの講演がありました。委員5名の外に6名の参加があり、講師含めて12名の集まりになりました。この木元さんの講演は私がまとめることになっていますが、木元さんの講演は、防衛費の増額は「敵基地攻撃能力」の強化をめざすものであり、日本時間1月12日にワシントンで開催された外務・防衛担当閣僚による安全保障協議委員会(2プラス2)の共同文書では、中国を念頭に置いた「戦力的競争での勝利」を同盟の目標と位置づけ、日本の反撃能力(敵基地攻撃能力)保有を巡り、「効果的な運用への協力を深化」と明記されたと言うのです。木元さんは、沖縄タイムス(2023年1月13日)に「沖縄の玉城デニー知事は12日、日米安全保障協議委員会(2プラス2)の共同発表に対するコメントを出し、日本側が示した反撃能力の保有に関し、『県内配備に断固反対する』と表明した」とあるのを紹介して、この玉城知事の表明を評価していました。沖縄以外の米軍基地や自衛隊の駐屯地がある県の知事からの表明はないということでしょうか。昨年12月16日の安保3文書閣議決定と言い、岸田政権の危うさが際立ってきているように思われます。私たちの教会は横須賀の米軍基地と海上自衛隊施設のすぐ近くにあり、施設の新設・拡充などを通して、横須賀でも日米軍事一体化が顕著に見られます。先日平和船団のHさんからいただいた『横須賀軍港フィールドワーク資料集、2022年・第2版』にも、「この冊子は、横須賀軍港にひしめく日米の軍事基地、出入港する軍艦等の現状をしるための資料として造られている。だから掲載される情報は全部が地域限定になっている。/編集会議で、『自衛隊の南西諸島等部隊配備』は横須賀外ではあるが掲載を決めた。横須賀母港の原子力空母レーガンの艦載機が行う飛行訓練基地として、馬毛島が名指しされている、ということもあるがそれだけではない。南西諸島で進められている自衛隊の進出は、日米の軍事拠点がおかれている横須賀市民にとっても他人事とは思えないからだ」と記されていて、「自衛隊の南西諸島等部隊配備」~南西諸島が戦場に~という記事があります。この事実にどう向かい合っていくのか、私たちの責任が問われています。平和をつくり出していかなければなりません。
  • 26日(木)は、13:00=16:00国会前で行われている辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。この日も大変寒い日でした。上も下も厚着して行きました。何時もいらっしゃる一人の方は、足の痛みがあり、この日はお休みとのことでした。それでも私を入れて5人での座り込みになりました。午後3時以降は、座ってじっとしていると体全体が冷え切ってしまいますので、ほとんど体を動かしながら立っていました。午後4時少し前に座り込みを終えて、壁に貼った垂れ幕やアッピールのグッツを、それぞれしまって、帰路に着きました。私は、そのまま国会議事堂前駅から地下鉄に乗って、明治神宮前で東急につながる地下鉄に乗り換えて、横浜まで来て、JRに乗り換え石川町駅で降りました。少し時間がありましたので、早夕食を済ませて、午後6時半からなか伝道所である寿地区活動委員会に出席しました。寿は昨年の年末から新年にかけて、越冬活動を行いましたが、今回私は一日も参加できませんでした。また、越冬活動でテントの設営をしたりする、実質的な担い手の減少や、今までできた方も高齢化や病気で難しくなったりして、今回は本当に大変だったという主事の報告がありました。寿の活動も少しずつ変わっていかなければならない状況に来ているのかもしれません。今回の委員会では委員会内学習会として、主事になって1年数か月になるNさんの発題がありました。委員会を終えて、鶴巻に帰ったのは午後10時半過ぎでした。