なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(555)

船越通信、№555 2023年2月26日(日)北村慈郎

  • 18ひ(土)午前9時過ぎに鶴巻を出て、この日は紅葉坂教会のMさんの葬儀式が午前11時から紅葉坂教会でありましたので、紅葉坂教会に向かいました。葬儀式の司式を終えて、出棺までに少し時間がありましたので、久しぶりにお会いした紅葉坂教会の信徒の方々と言葉を交わしました。この日の葬儀式には、昨夜の前夜式よりも相当多くの紅葉坂教会員の方々が出席しました。式後の献花からの方も多くいらっしゃいました。葬儀社の方のお話では、前夜式と葬儀式に400名近い人が来たようです。紅葉坂教会では、コロナウイルス感染拡大以降、葬儀はほとんど少人数の家族葬で行って来たので、久しぶりの大人数の葬儀だったようです。交友関係の広いMさんにとっては、少しコロナが落ち着いて来たこの時期で葬儀ができたのはよかったことかも知れません。12時30分過ぎに教会を出棺して、私は家族の方々と共に久保山の火葬場に行き、火葬後のお骨拾いを終えて、教会に帰って来ました。ご家族の方々に挨拶をして、私は一度鶴巻に戻りました。鶴巻に着いたのは午後4時過ぎで、それから、しばらく休んで、軽く夕食を済ませ、娘に車で船越教会に送ってもらいました。鶴巻から車だと、高速道路で来るので、空いている時には電車だと2時間の所1時間強で船越教会に着きます。この日も午後8時頃に鶴巻を出て、船越教会には午後9時過ぎに着きました。
  • 19日(日)の礼拝には、今は山口県宇部にいますが、ご子息が横須賀学院の高校生だった時に、横須賀のご両親の家の近くいらして、船越教会の礼拝に出席されていたOさんが出席されました。またIさんも1か月ぶりに出席しました。しばらく懇談後、この日は、ウクライナに平和を!のスタンディングを京急田浦駅前で行いました。40分ほどでしたが、参加者9人、募金(6人)計2,791円、署名は3筆でした。24日がきますと、ウクライナへのロシアの軍事侵攻が始まって1年になります。なかなか戦争の終わる兆しが見えません。自然災害ではありますが、イラクとシリアで起こった大地震による死者や被災者も多く、また、世界には気候変動によると思われつ干ばつや水害地域も広がっていて、なかなか厳しい状況です。何とかこの状況を変えて、人びとが平和に生活できる世界となるために祈り、できることをしていいきたいと願います。
  • この日は午後4時から蒔田教会で、2022年度第3回オリエンテーションがありました。テーマは「教師検定問題(教職と教師検定試験)」で、私が発題をしました。今回は資料として、神奈川教区のオリエンテーションが合本製作した、70年代後半から90年代後半までの20年間、教団の教師委員会、教師検定委員会、信仰職制委員会の三委員会が問題提起者を含めて議論を積み重ねて来た教師検定問題の報告書と、辻健さんの「無教職論」と柏井創さんの「「二重教職制の歩み」を、参加者全員に配布しました。私の発題は、以前兵庫教区の教職制度問題協議会(2013年10月開催)で話したものの焼き直しです。今回のオリエンテーションは、何時も委員長として司会する私が発題をしますので、O・Hさんに司会をお願いしました。発題後の質問と意見表明は活発とは言えませんでした、前回のオリエンテーションでは私が司会をして失念してしまった、最後に述べてもらう一人一人の感想は、今回は大変活発でした。特に教師検定試験へのそれぞれの受験において、何回も落ちた人、試験を受ける前に、前もって教団新報に載った教師検定試験後の教師委員会の講評をよく読んで、傾向と対策を考えて試験を受けて、一発で合格した人が二人しかいなかった時の一人が自分だったと言う人、自分の思うところを書くのではなく、教師委員に合わせて、ある面で自分を偽らざるを得ない苦しさを訴えていた人、それぞれから様々な思いが語られました。それを聞いて、私は最後に、教師検定試験受験において、若い方々に自分を偽ることを強いさせている現状について、年を重ねてきている自分としては大変申しわけないと申し上げると共に、教団の教師養成は、神学教育については各神学校に委ねて、教団として独自に考えなければならないのではと申し上げました。教団の教師になる時は、2,3か月受験者と委員が共同生活をして、現場研修や話し合いを積み重ね、最後はそのレポートを出して、教団教師になっていくとか、教師になったら10年ごとに再教育の機会をすべての教師に与えるシステムが必要であるとか、本来教団の教師養成はそういうものではないかという話をしました。今の教団執行部には、そういう発想はありません。何しろ信仰告白と教憲教規の枠を守ることに腐心しているのですから。教会は、聖書(イエスの福音)と現実との往還から、苦しみながら言葉を紡いでいかなければ、生きた教会は生まれません。今の教団執行部のやり方では、みんなを委縮させるだけで、自由な発想や取り組みが生まれる余地はほとんどありません。聞くところによると、今の教団の常議員会は、さまざまな意見が突き合わされて、新しい発見が与えられる場とは正反対の議論が成立しない死んだ会議になってしまっているようです。それではこの難しい時代と社会にあって、教会は塩味を失った塩であって、世の光・地の塩にはとてもなることはできません。
  • この週私は28日にZoomの集会で、“もとすす”と教区の基地小について発題を頼まれていますので、その準備に時間を使いました。23日(木)も休日で、国会がお休みなので座り込みもありませんでした。しかし、23日(木)夜の寿地区活動委員会はありましたので、私はなか伝まで行って、委員会に出席しました。前回主事の発題で、寿の街が日雇い同労者の街から福祉の街に変わってきて、さらに変化しつつあり、寿地区のドヤが解体されて、マンションに建て替えられている建物も出て来ていて、何れ寿地区の住民が今まで以上に多様化していくのではないかという問題提起を、私としては受けたように思います。寿地区センターとしてそれにどう対応していくのかという課題が付きつけられています。25日(土)は教区総会です。