なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(556)

船越通信、№556 2023年3月5日(日)北村慈郎

  • 2月25日(土)には午前10時から清水ヶ丘教会で第150回神奈川教区総会が行なわれました。この総会で准允(1名)・按手(2名)の執行がありました。准允・按手の執行前に、神奈川教区では毎回志願者の受けた教師検定試験が「不当とまでは言えない」と議決しています。前々から議場からはこの議決は必要ないのではないかという意見が出ます。今回もその意見が出て、相当長時間にわたって議論しました。その結果この議決をとることを議場が求めて、議決を取った後に准允・按手の執行が行われました。今回の総会では三役、常置委員の選挙がありましたので、選挙を挟みながら准允・按手執行の議事を進めましたので、准允・按手が執行されたのは、午後1時近くなっていました。その後お昼の休憩に入り、午後の議事は1時50分から再開することになりました。毎回の教区教区総会では、お昼の休憩に仲間の人たちと近くの中華店に行くのですが、今回は寿地区センターの配布物があり、お昼は食べないことにしました。午後は2月総会の定例の議案である来年度の活動計画と予算案、選挙などの他に、二つ特別な議案がありました。一つは、「ひの木教会の解散申請に関する件」と、もう一つは、「安保関連3文書の閣議決定に抗議し、防衛費増強、敵基地攻撃能力保有に対する反対声明に関する件」です。後者は基地・自衛隊問題小委員会の一委員が原案を書いて下さり、私が手を入れて常置委員会に出し、常置委員会での意見を踏まえて再修正したものです。議案は常置委員会提案でした。議場から、「岸田政権は日本を取り巻く戦争の可能性と危険性をことさらに煽り、日本を再び軍事大国化させようとしています。日米両政府が作為的に作り上げた『台湾有事』というシナリオをもとに、…」の箇所に対する修正意見が出ましたが、議場は原案通りの文案で可決しました。選挙では、議長、副議長、書記は再選されました。常置委員の選挙は行われましたが、結果は総会会期中には出ませんでしたので、旧常置委員会付託になりました。この日の総会は最後は出席者100名強にまで落ち込み、総会正議員232名ですから半数以下でした。午後4時半ごろ終了し、私はそのまま上大岡で早夕食を済ませて、船越教会に来ました。
  • 26日(日)は礼拝後12時半から平和と人権を考えるビデオ鑑賞会がありました。中村敦夫の「朗読劇・線量計が鳴る」(元・原発技師のモノローグ)です。長時間でしたが中村敦夫の語りが説得力があり、チラシの【あらすじ】「原発が作られ、日本に入ってきた事情。原発の仕組みや福島事故の実態。さらに、主人公はチェルノブイリイ視察体験から被曝による医学上の諸問題と現実に加え、原発を動かしている本当の理由と利権に群がる原子力ムラの相関図まで網羅し、放射線医学界の謎に迫ります」にありますように、話は網羅的でしたが、引き付けられるように聞くことができました。改めて原発の問題の重要性を想い起こしました。今回のビデオ鑑賞会には地域の方も数名参加してくださいました。ビデオ鑑賞会は、船越教会の平和センターの活動として行っていますが、今後に繋げていきたいと思います。
  • 2月28日(火)は、以前に頼まれていた東京の「戦争をゆるさないキリスト者の会」(略称「ゆるキリ」)の例会で、私が「沖縄から基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会」(略称“もとすす”)と神奈川教区の「基地・自衛隊問題小委員会」の話をする日でした。午後6時半から8時半までZoomでの集まりでした。この話をするために、随分調べる時間がかかりましたが、何とか1時間弱で話をまとめることができました。東京だけでなく、神奈川の人も福島の人も参加してくれました。30名くらいいたように思います。
  • 3月1日(水)は16:30から高座渋谷教会で基地小委員会があり、私も出席しました。基地小では、私の提案で通信を発行することになっています。1月25日に基地小の委員会内学習会で、講師に「防衛費の増額は何を狙っているのか?―南西諸島(琉球弧)でおきていることー」と題して講演してもらいました。この講演をテープ起こしして、通信に掲載することになっています。そのテープ起こしは私の担当ですが、2月は突然葬儀の司式もあって、3月5日以降にすることにしています。神奈川教区から沖縄本島宮古島に行っているKさんとOさんの原稿も通信に掲載することになっており、すでに二人からは原稿が寄せられています。3月中には通信を発行する予定です。その他基地小では、3月21日の拡大社会委員会のユーチュブでの基地小のアッピール(絵本を読む)などを話し合いました。鶴巻には午後7時過ぎに帰ってきました。
  • 2日(木)は3週間ぶりに国会前の辺野古新基地建設反対座り込みに参加しました。この日は初め暖かでしたが、風が強く、辺野古反対のグッズを石壁の溝にはめ込んで留めている発砲スチロールが、度々道路に飛んで行ってしまし、それを拾い歩くのを何度も繰り返しました。私のものは幸いほとんどA3くらいの大きさなので、飛ぶことはありませんでした。午後3時半が過ぎたころ、急に空が雲に覆われ、寒くなりましたので、この日は早めに終わろうと言うことになりました。私は国会前から地下鉄で代々木上原に出て、小田急に乗り換えて帰って来るのですが、この日は電車の乗り換えがうまくいって、午後5時過ぎには鶴巻に着きました。この日は午後7時から“もとすす”のZoomによる世話人・事務局会がありました。
  • 3日(金)は連れ合いの千賀のちょうど3年で子どもたちとお墓参りをしました。お墓は横浜市営の三ツ沢墓地の中にある紅葉坂教会の墓地で、彼女の両親も埋葬されています。私たちが帰る時に、千賀の保専時代の友人二人に会い、二人を墓地に案内してから帰ってきました。