なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(557)

船越通信、№557 2023年3月12日(日)北村慈郎

  • 5日(日)は礼拝後、みんなでN・Sさんへのお見舞いのカードに名前やメッセージを書きました。この日礼拝に出席できなかった方からは寄せられたメッセージとお名前を代筆しました。そのお見舞いカードをN・Kさんが持ち帰って、投函していただくことになりました。N・Sさんはこの週の後半には退院されたようです。けれども体力の衰えが抜本的に解決されたわけではないでしょうから、これからも不安な日々を過ごされるのではないかと思われます。お体を大事にされる共に主の支えをお祈りいたします。この日はその後何もありませんでしたので、私は、比較的早めに教会を出て鶴巻に帰りました。
  • 2月から3月にかけて、三つの集会で私が話をすることになっていましたが、二つは終わり、あと一つになりました。けれども、もう一つ1月25日の基地小でお願いした講演「防衛費の増額は何を狙っているのか? ―南西諸島(琉球弧)でおきていることー」(K・Sさん)のテープ起こしを自ら買って出ていましたので、この週はまずそれをしようと計画していました。5日(日)夜から取りかかろうと思っていましたが、日曜日は体が動かず、6日(月)から取りかかりました。午前中からずっとテープ起こしを続けて、夜にはほぼ完成しました。一度見直し、メールで講演者のK・Sさんにその原稿を送り、校正をお願いしました。このK・Sさんの講演は、私が提案して出すことになりました基地小の通信に掲載することにしています。基地小通信は今月末の基地小の委員会で教区の教会・伝道所に発送することになっています。基地小では、「安保関連3文書の閣議決定に抗議し、防衛費増強、敵基地攻撃能力保有に対する反対声明」の原案を作り、それを常置委員会に提案者になってもらい、教区総会の議案とし、2月末の第150回神奈川教区総会で可決しました。それと共に現在の政府による防衛費の増強と南西諸島の要塞化の現実を、教区の方々にも知ってもらい、反対行動を起こしてもらいたいとの願いを込めて、今回通信を出すことにした次第です。
  • 7日(火)は16:00から蒔田教会教育館で常置委員会があり、私も出席しました。この日の常置委員会は、2月25日の第150回教区総会で選出された三役(3人とも継続)・常置委員と旧常置委員の合同の会でした。今回はほぼ通常の議題で、特に目立った議論はありませんでした。何人か新しい常置委員がいますので、議長は、それぞれの議事について丁寧な説明をしていました。常置委員会の議事の中には「鶴見教会問題に関する件」が長年継続議事とされてきていますが、今回当事者のO・Hさんに議長は説明を求め、O・Hさんが比較的詳しくこの問題について説明しました。また、私の問題も三つ、「北村慈郎教師の免職を無効とし、免職撤回を求める件」「第39回、第40回、第41回教団総会の議決結果への対応に関する件」、「北村慈郎氏の身分に関する件」毎回の常置委員会の議題に挙がっています。その都度、議長は私に「何かありますか」と言いますので、何もない時には「特にありません」と答えています。今回も同じでした。しかし、今回は二期常置委員を勤め、旧常置委員として出席していた紅葉坂教会のK・Kさんが発言し、紅葉坂教会での「希望すれば誰でも陪餐できる聖餐式」(開かれた聖餐)は教会総会での決定で、自分もその当時役員の一人で関わっている。紅葉坂教会役員会は山北元議長と面談し、山北元議長が「紅葉坂教会は『開かれた聖餐』の旗を振らないでくれ。その代わり戒規で脅すことはしないから」と言われ、紅葉坂教会としてはそもそも旗を振るつもりはないので、山北さんの提案を了承した。にもかかわらず、北村先生は戒規免職処分を受けた。このことを神奈川教区で継続し考えてもらいたいという趣旨の発言をしました。常置委員会が終わって、鶴巻に帰ったのは午後9時過ぎでした。
  • 8日(水)は18:00から大和のシリウスの中にある大和市生涯学習センターの会議室で行われた、2か月に一回の基地撤去をめざす県央共闘会議幹事会に出席しました。この会では、「報告事項」としてほぼ2か月間の基地関係の動きが報告されます。その中に「2月1日 陸自V22立川基地で初訓練」とありました。V22はオスプレイです。オスプレイは事故の多い機体です。この訓練範囲は、鶴見川から多摩川に出て横田基地の周辺を訓練範囲で行っているようです。オスプレイの飛行は鶴巻でも時々見られます。何だか段々きな臭くなっていくようで心配です。現在ロシアがウクライナに軍事侵攻していますが、湾岸戦争イラク戦争ではアメリカが軍事侵攻して、湾岸戦争の時には、日本は軍事的協力はできないのでお金を出しました。イラク戦争の時は軍事的にも多少協力させられたように思います。もし今後アメリカがアジアで戦争を引き起こすとすれば、日米軍事同盟によって日本の自衛隊も戦争に参加することになるでしょう。南西諸島におけるミサイル基地建設と自衛隊の派遣はその兆候ではないかと思えてなりません。軍事力による安全保障はありえません。対話という外交努力による信頼関係の構築をめざすべきです。
  • 9日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。この日は6名の参加者がありました。比較的暖かく、午後から強い風がでるという気象予報でしたが、それほどの風もなく、穏やかな日でした。午後1時から4時までの座り込みですが、この日は午後4時少し前に座り込みを終えて、散会しました。何時も地下鉄のホームまで一緒する一人の方は、官邸前で沖縄の土砂の辺野古埋め立てに反対している人と合流するのですが、ここ2回ほど官邸前に来ていた人は、新宿で署名活動をしているということで、一緒に地下鉄のホームまで行き、そこで分かれました。私は午後5時過ぎに鶴巻に帰ってきました。この日は夜支援会の世話人・事務局会がZoomでありました。4月15日の第10回支援会総会の準備を中心に話し合いました。