なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

講演「中世の魔女狩りか異端審問か?~教団における私の戒規免職処分~」

親愛なる皆様へ 

 

 3月21日(火)神奈川教区社会員会主催の「オンラインフェスタ」で、私が戒規免職問題の講演をするように頼まれました。私は、「中世の魔女狩りか異端審問か?~教団における私の戒規面即処分~」と題して、1時間弱の話をしました。それが、神奈川教区のホームページからYou Tubeライブ配信されています。下記のリンクから見ることができます。

 

  https://youtube.com/live/Lp1k8yd7wfE?feature=share

 

 私の教団における戒規免職処分とは何かを、私の立場からまとめて話していますので、教団信徒・教職である皆さんの友人知人に、このリンクから私の話を聞いてもらえるようにお勧めいただければ幸いです。

 既に教団から私が免職処分を受けて12年強の時間が経っています。私は、昨秋開催された教団総会で選出された三役・常議員全員と現教区総会議長宛てに、資料を添えて私の免職処分の不当性を訴え、速やかに処分撤回を諮り、私を復職させるように手紙を出しました。

 私の支援会世話人代表をしてくださっていた関田寛雄先生も帰天し、私も81歳になっています。神が与えたもう時間が、私にどのくらいあるのかは分かりませんが、私が此の世に生きている内に免職撤回が実現できればと願っています。

 そのためにも、この私の問題を教団信徒・教職の出来るだけ多くの方々に理解していただき、それぞれの場所から声を上げていただく必要があると思います。

 ご協力いただける方は、どうぞよろしくお願いいたします。

 

                  2023年3月22日

 

                         北 村 慈 郎

 

なお、下記にその講演内容を、大部になりますが掲載しておきます。

 

「中世の魔女狩りか異端審問か?」~教団における私の戒規免職処分~ 

                               北村慈郎

 (2023年3月21日(火)13:30 オンラインフェスタにて)

 

  • 今回社会員会の平和フェスタ(オンラインフェスタ)で、私の戒規免職問題についてお話をする機会を与えられまして、心から感謝しています。
  • 最初この平和フェスタで、何故戒規免職の問題で、社会委員会が私に話をするようにと言うのか、少し戸惑いがありました。しかし、よくよく考えてみますと、社会委員会は平和と人権を大切にしていろいろな切り口から活動をしているわけですから、ある意味で人権侵害に当たると思われる教団における私の戒規免職問題を取り上げて下さるのは、理にかなっているのではないかと思うようになりました。私たちは日本基督教団に属する信徒・教職ですから、自分がその構成員の一人である日本基督教団という組織が一人の教師を不当に免職処分したとすれば、教団における私の免職処分は、その構成員の一人である私たち自身の問題でもあるからです。社会の中で起こる人権侵害や差別を問題にして、平和な社会を求めて活動している社会委員会が、自らの足下である日本基督教団の中で起こっている人権侵害に当たる私の戒規免職問題に光を当てるのは必然ではないかと思うからです。
  • ということで、今日のオンラインフェスタでのお話をお引き受けしました。題を「中世の魔女狩りか異端審問か?」とつけたのは、私の支援会通信第30号に昨秋開催された教団総会の感想を書いてくださった京都教会牧師の入治彦さんの文章からです。入さんはこのように記しています。「総会直後の常議員会で気になったことは、教団の常設委員会、常設専門委員会の委員確定にあたって、常議員4~5名が『この委員として推薦されている中に、教憲教規に違反している人はありませんか』といったチェックを入れようとしたことでした。それについて議長は『ありません』と答えていたものの、そこには中世の魔女狩りか異端審問のような空気が流れていました」。この部分から今日の題をつけさせてもらいました。
  • 私自身も2010年に戒規免職処分を受けた時に、「私はサヴォラローラか?」と題して『福音と世界』に文章を書いています。サヴォラローラは絞首刑の後火刑に処せられた人です。
  • さて私が日本基督教団から戒規免職処分を受けた理由として挙げられているのは、紅葉坂教会の1999年3月総会で、「教会規則第8条① 聖餐にはバプテスマを受けた信徒があずかるものとする。②幼児バプテスマを受けた者は、信仰告白式をおえるまでは聖餐にあずかることはできない」の削除を決議し、教団はそれを認めていないにもかかわらず、その後洗礼を受けていない者にも希望者には陪餐させる、いわゆる「開かれた聖餐」を行なっているということです。
  • 支援会では第10回総会を、4月15日に紅葉坂教会で開催しますが、その総会の協議会で、私が教団の教師委員会から免職処分を受けて、やむを得ず上告しましたので、審判委員会ができましたが、その審判委員の一人である、兵庫教区の佃真人さんに「最終審判委員会の審理について」話してもらうことになっています。そこで改めて私が書いた上告理由と、裁判した時に教団側から出て来た証拠書類の一つである「第36総会期日本基督教団審判委員会審判結果」を読み直してみました。すると「上告理由3 教師と教会との関係」という項目があり、私の書いた上告理由とそれに対する審判が記してありました。簡単に言えば、「私は教会総会決議によって、教会の決断に従って『開かれた聖餐』を執行しているので、一教師である私を教団が免職処分にするのは腑に落ちない」という私の主張に対して、審判委員会は、「教憲教規違反の教会規則第8条削除の議案を教会総会に上程したのは、教会を指導する立場にある教師としてあるまじき行為である」というものです。教会規則第8条の削除が教憲教規違反とは、私は思いませんが、そのことには触れません。ただ、いわゆる「開かれた聖餐」を行なっているのは、私だけではありません。そもそも教団においては、聖餐について一致した見解はありません。いわゆる「開かれた聖餐」は教団の中では、ある程度容認されてきたと思います。私は当時の山北宣久教団議長から教師退任勧告を受けた時に、教団新報に「不当な教師退任勧告を受けて」という文章を書いています。2008年4月19日付教団新報4648号です。その文章の中で、教団における聖餐問題は歴史的にははっきりとは未定型(はじめからはっきりとは定められていない)であることを書いています。少し長くなりますが、それを紹介します。

 

  • 洗礼を受けていない者にも開かれた聖餐(以下開かれた聖餐)を執行しているということで、私は山北議長の提案によって常議員会から教師退任勧告を受けた。しかしこの私への教師退任勧告は明らかに不当である。まず私のような開かれた聖餐を執行している教師は、礼拝出席者が少なく、さまざまなしがらみで洗礼は受けられないが礼拝には毎週出席している方を排除できないという理由で、数は少ないが教団の成立時からいたと思われる。
    1960年代後半からは、いわゆる最後の晩餐の記事だけではなく、5,000人の共食、被差別者とのイエスの食事などにも聖餐との関わりがあるという聖書学の知見や神-世界-教会というミッシオ・デイによる宣教論、教会論の知見により、開かれた聖餐を自覚的に執行する教会や教師が出てくるようになった。
    そのことは1987年発行の日本基督教団宣教研究所編による『聖餐』によって明らかである。同書所収の論文で村山氏は、「宣教の現場の闘いから出てきている聖餐の問題を、始から秩序の乱れとして切り捨てては真の対話は生まれない。ここにこそ今日の宣教の課題が具体的に提示されているのであるから、今後相互批判による対話を深めていく必要があろう」と言って、今後の課題として以下の問題を挙げている。①サクラメントとは何かの問題。②未受洗者陪餐の問題。③礼典執行に絡む二重教職制の問題。④聖礼典に介在する国家権力の問題(「救世団」合同加入時の問題を踏まえつつ、今日の課題として考える)。⑤式文改訂問題である。
    ここに挙げられている五つの問題は、少なくとも聖餐に関わる教団教会の本質的な問題である。私たち教団に所属する教会、信徒、教職は、各個教会の現場での取り組みを重んじながら論議を積み重ねていく中で、戦時下戦争協力という誤りを犯し戦責告白においてその誤りを反省した合同教会としての日本基督教団の教会建設を共有するために招かれているのではないか。少なくともそのような形成途上の教会として日本基督教団は存在していると私には思われる。
    ところが、山北議長をはじめ私の教師退任勧告に賛成する方々は信仰告白・教憲教規遵守違反としか言わない。開かれた聖餐について話すのはいいが、執行はいけないの一点張りである。それでは山北議長及び山北議長を支持する方々が、今までどれだけ議論の場を誠実に作ってきたかと言えば、ほとんど皆無である。聖餐についての自由な懇談会だから記録もとらないと昨年7月の常議員会で私に発題させ、10月の常議員会で教憲教規違反だからと私に教師退任勧告を山北議長は出してきた。今の教団常議員会は驚くべき強権政治の場となっている。丁寧な議論によってお互いの意見にある真理性に耳を傾けつつ一つの道を決断するというのではなく、意見は言わせるが、最初から方向は決まっている。民主主義の原則である少数者の意見が重んじられるということはほとんどない。すべてが多数決の論理で事が進められている。
    「正しい聖礼典の執行」を繰り返し主張している山北議長への私の根本的な問いは、そう簡単に正しい聖礼典の執行というようなことが言えるのかということにある。私は第35合同後20回教団総会で行われた聖餐式の陪餐には与からなかった。沖縄教区との関係の修復がなされ沖縄教区から教団総会議員が出席できるようになってこそ、教団総会で行われる聖餐式がふさわしい聖餐式だと考えたからである。山北議長は正しいとは信仰告白、教憲教規に則っていることだと言う。信仰告白、教憲教規に則り、沖縄教区を切り捨て、また私のような開かれた聖餐を執行する教師を切り捨てて成立する日本基督教団が、果たして教団成立以来の歴史にきちんと責任を負える合同教会としての日本基督教団になり得るのであろうか。私にははなはだ疑問に思えるのだが。
    (教団常議員・紅葉坂教会牧師)

 

  • もし審判委員会の論理でいわゆる「開かれた聖餐」を執行している教師を免職処分にするなら、日本基督教団の相当多数の教師を免職処分にしなければなりません。しかし、私が免職処分を受けてから12年になりますが、私に続いて免職処分を受けた教師は一人もいません。
  • ということは、私が日本基督教団から免職処分を受けたのは、表向きは「開かれた聖餐」執行になっていますが、別に理由があるのではないかと思わざるを得ません。私が思い当たるのは、先ほどの教団新報の記事にも書いてありますが、2006年の教団総会の礼拝で行なわれた聖餐式の陪餐に、沖縄教区から総会議員が選出されて出ていませんでしたので、私は与りませんでした。その総会で私は常議員に選ばれて、総会後の常議員会に出たのですが、その時私が教団総会で行なわれた聖餐式で聖餐に与らなかったことが問題とされて、次回の常議員会で記録を取らない懇談ということで、私に聖餐についての発題をするようにということになりました。私は紅葉坂教会の聖餐理解について話しました。御存じの方も多いと思いますが、私は話す時に、少し笑いながら話すところがあるようです。その時も私が聖餐の発題をしている時に、「北村、いつまでも笑っていられると思うなよ!」とどなった人がいました。その常議員会の次の常議員会で山北議長から私に「教師退任勧告」が出たのです。私はそれを拒否しました。その後2回目の「教師退任勧告」が出ましたが、それも私は拒否しました。すると常議員会が提訴者になって私を戒規にかけるように教師委員会に提訴しました。たまたま私の戒規にかけるようという常議員会の提訴を教師委員会が受理する前に、2008年の教団総会があり、そこで柴田もゆるさんが提案者となって出ていた、戒規の申立者に常議員会がなるのは、教師委員会から戒規を受けた教師がそれを不服として上告するところが教団総会議長(常議員会)なので、教規違反であるという第44号議案が可決しました。これは不思議な神の導きというか、この議案の審議が昼食休憩直後でしたので、たまたま昼食が長引いてこの議案の審議に間に合わなかった総会議員が結構いたのです。その後山北議長は私に電話をかけてきて、私と話がしたいというので、私は、みなと未来のホテルのトゥーランドットという中華店でお昼を御馳走して話を聞きました。すると山北さんは、総会での第44号議案の可決に「聖霊の導き」を感じたと言って、紅葉坂教会役員会と話し合いたいので、私にその場を設定してくれと言うのです。そこで、私はその場を設定しました。山北さんは、「紅葉坂教会は『開かれた聖餐』の旗を降らないでくれ。その代わり戒規で脅すことはしない」言うので、紅葉坂教会は『開かれた聖餐』の旗を振るなどとは考えてもいませんでしたので、山北さんの提案を受け容れました。このことがあって、私も紅葉坂教会役員会も、もう私が戒規にかけられることはないと思ったわけです。
  • とろが、その後、先ほど話した「北村、いつまでも笑っていられると思うなよ!」と怒鳴っていた、東海教区議長から「戒規の申立人に関する諮問」が信仰職制委員会に出されました。その諮問に対する信仰職制委員会の答申の中に、「現行の教団諸規則には、戒規発動の要請主体(誰が教師を戒規にかけるように申し立てるか)を特定する条文はない」という一文があります。この一文のある答申の項目の最後に括弧で、(但しこの事は「教憲教規の解釈に関する先例集96」の答申を否定するものではない。)とあります。(先例集96というのは、「教師への戒規申立てができるのは、教会役員会か教区常置委員会で、教会役員会の場合は教区常置委員会を通す」というものです)。この答申を受けて、教師員会は、その両者の「関係について説明してください」という諮問を信仰職制委員会に出しましました。するとその教師委員会の諮問に応えて、信仰職制委員会が出した答申の中に、「教団の諸規則上、戒規発動の要請主体を特定する条文はありませんから、理論上は誰でも要請主体になることが出来ることになります」という一文があります。教師委員会は、多分この信仰職制委員会の答申の一文に意を強くして、それまであった教師員会の「戒規に関する内規」では、戒規発動の要請主体は「教憲教規の解釈に関する先例集96」の答申を踏まえて、「教会役員会か教区の常置委員会、教会役員会の場合は教区常置委員会を通して」となっていたのですが、それを改定した新しい「戒規に関する内規」では、戒規要請主体についての文言は全く削除して、「戒規発動要請の受理」からにしているのです。すると、教師委員会が戒規に関する内規を改定したのが、2009年7月13日でしたが、同7月31日付けで小林貞夫他6名の信徒常議員によって、「北村慈郎教師への戒規適用申立書」が教師委員会に出されます。教師委員会は2009年9月にその常議員7人による申立を受理し、調査員会を立ち上げ、私に面談を求めてきました。その教師委員会の調査員会の長が、昨秋の第42回教団総会で選出された雲然俊美現教団議長です。彼の前の議長は、御存じのように石橋秀雄さんです。彼は私の最終審判委員会の委員長でした。現教団議長の雲然さんの名前で3回教師委員会から私への面談の申し出がありました。私は3回とも松井睦教師委員会委員長と雲然俊美調査員会委員長宛てに手紙を出し、紅葉坂教会役員会が、「教師委員会内規は教団規則なのか」という諮問を信仰職制委員会に出しているので、その答申が出るまで面談は待って欲しいと申し上げました。ところが、教師委員会は私との面談を一度もすることなく、2010年1月26日に私を戒規免職処分にしました。その時教師会委員7名の内2名は辞任していますので、5名の委員で私の免職処分を決定したのです。教師委員会が私を戒規免職処分にしたその同じ日に、信仰職制委員会も行われていて、紅葉坂教会と久世そらち(当時の)北海教区議長からの諮問への答申が出ました。その答申は下記の通りです。

 

「教師委員会により2006年1月27日制定され、2009年7月13日に改訂された『教師の戒規適用に関する内規』は教団規則に該当しません」。

「『教師の戒規適用に関する内規』は戒規発動要請の受理手続きから始まっており、戒規発動の要請主体については規定していません。これについては教師委員会が先の信仰職制委員会2009年3月11日付答申、および2009年7月11日(正しくは7日)付答申の通り、先例集96を指針として尊重することを望みます

 

[先例集96⑴(ィ) 教会担任教師の戒規提訴者は、教規第102条⑻および第71条⑸により、役員会また常置委員会はとする。ただし、役員会が提訴する場合は常置委員会を通じて行なう]

 

教師委員会は、私を戒規免職処分にした日の翌日、松井睦委員長、道家紀一幹事他教師委委員数名で紅葉坂教会に来て、私に戒規免職処分通告書を手渡ししていきました。私は彼らを紅葉坂教会の集会室に入れて、その「通告書」(実際のものを見てもらう!)を受け取りました。後で法律に詳しい方から、「そんな時は受け取らなかった方がよかったのよ」と言われました。

 

以上が、第36総会期教師委員会による私に対する戒規免職処分に至る経緯です。どう考えても、何がなんでも私を戒規免職処分にするのだという強い意志を教師委員会及び一部の常議員・教区議長に感じざるを得ませんでした。このような私の戒規免職処分に至る手続きには、明らかに瑕疵があると思わざるを得ません。

 

  • 常議員7名による私を戒規にかけるようにという申立は、実質的に第36回教団総会第44号議案可決によって無効とされた常議員会による戒規申立と変わらない。それを受理し教師委員会は教団総会決議違反をしていることになる。

 

この教師委員会による私の免職処分は、申立人が常議員7名であることからしても、第36回総会で承認可決した議案第44号が否定した常議員会による一教師への戒規申立による案件と同じであると言わざるを得ません。従って、その常議員7名による申立を受理した教師委員会は教団総会決議違反を犯したことになります。私は、教師委員会から戒規免職処分を受け、やむを得ず常議員会へ上告しました。その常議員会での審判委員選任においても、戒規申立者7人を含んでの選任ということで、5人の審判委員が選ばれ、その委員長が石橋秀雄前教団議長で、審判委員会は2対2のため議長も加わり3対2で、教師委員会の私への戒規免職処分を是とし、教団における私の戒規免職処分が最終的に決定しました。それが2010年9月15日です。その翌月に開催された第37回教団総会では、一つ一つの議事に対して、これは賛成、これは反対と明記された怪文書が一部の総会議員に配布され、石橋秀雄議長と雲然俊美書記が誕生しました。この総会では、それまで少数連記で行われていた常議員選挙が全数連記になり、一部の人たちによる教団執行部の専有ということになり、現在に至っています。

 

  • 教師委員会の戒規免職処分「通告文」【資料参照】には偽りがある。

 

教師委員会は、戒規免職処分通告文において「度重なる勧告を受くるにも拘わらず」と記していますが、私は前総会期に山北議長からは2度教師退任勧告を受けましたが、教師委員会から私の未受洗者への聖餐執行についての勧告は一度も受けていません。私を教師委員会に戒規適用を申し立てた常議員7人も、私の未受洗者への聖餐執行は、文書や記録を取らない懇談会という前提でした私の発題で知っただけで、実際に私が紅葉坂教会の礼拝で行っていた聖餐執行に一度も立ち会ったこともありません。一人の教師を戒規免職処分するのに、私や紅葉坂教会との一度の話し合いもなく、旧内規では教師の戒規提訴者(申立人)は「役員会か常置委員会、役員会の場合は常置委員会を通して」と明記されていたのを、その内規を変えて、提訴者(申立人)の部分を削除し、受理からの手続きにし、その内規変更から18日後に常議員7人による私への戒規申立書が教師委員会に提出され、教師委員会はそれを受理して、一度の私との面談もなく、私を戒規免職処分にしたのです。

 

  • 免職処分は、処分された者にとっては生活権の剥奪に等しい。

 

教団はこの私への教師委員会による戒規免職処分によって、年金を25パーセントカットしました。戒規免職処分を受けた教師は、通常教会担任教師になることはできません。牧師職によって生活をしている教師にとっては、戒規免職処分は生活権の剥奪に等しいのです。しかも教師にとって免職処分は強制的な隠退にも拘わらず、教団はこの12年間、私が申請しないからと言って、私に年金も支払わず。放置したままです。連れ合いが帰天した後、私は年金局に問い合わせをしました。その時の年金局理事長の中川さんからの手紙には、私をまだ隠退していない「無任所教師」だから年金は出ませんと書いて来たのです。それを私が教団議長と年金局理事長の二人に、確かめ抗議しましたら、中川さんと秋山総幹事から「無任所教師」であることの誤りを認める手紙が来ました。本当に教団は組織として無責任ないい加減なところです。

 

私の免職処分の後に、教師委員会に個人による教師の戒規申立てがありました。私を戒規免職にした委員会の後で、逗子教会の牧師の小宮山さん委員長の時です。

 

  • 第37総会期教師員会は個人による所属教会教師への戒規申立を不受理とし、その理由として「教師に対する戒規発動の要請主体については、教会役員会または教区常置委員会とすること、また教会役員会の場合は教区常置委員会を通して行うことが原則です」という信仰職制委員会の答申を挙げて、「今回のケースは、この原則を適用する事案であると判断しました。よって不受理といたしました」としている。

 

 もし個人による教師への戒規申立が教師委員会の判断によって、その事案によって受理したり不受理にしたりできるとするならば、教師委員会の恣意的判断が入らざるを得ないのではないでしょうか。教師が特に免職や除名という戒規適用を受けることは、上に記しましたように生活権の剥奪を含む人権侵害になり得るのです。教師委員会の恣意的な判断でそのようなことが起こることを、日本基督教団は許容しているのでしょか。

 

  • 日本基督教団41総会期教師委員会に私は再審請求を出しましたが、教師委員会からの回答は、「既に、『戒規施行細則』第6条において、最終決定されています。問い合わせの案件は、教師委員会の手を離れています。教師委員会の扱えるのは、第8条のみであります」でした。

 

『戒規施行細則』第6条とは、教師委員会から戒規を受けて不服とする者は、教団総会議長に上告することができ、上告した場合は審判委員若干名による審判が行なわれて、審判委員による審判をもって最終決定とされるというものです。つまり、私の場合も上告して審判委員による最終決定がでているので、教師委員会による再審はできないというのです。『戒規施行細則』第8条というのは、「…処分を受けたるものの悔改めの情顕著にして復帰を願い出ずるときは、教師委員会において構成員の3分の2以上の同意を得て、之を復帰せしめることを得」です。ですから、戒規免職処分をした私に教師委員会ができるのは、私が悔改めれば復帰させることだけだと言うのです。

個人からの戒規申立てを、案件によって受け付けたり、受け付けなかったりできる教師委員会が決定した戒規免職であっても、審判委員によって最終決定された以上、教師委員会では再審請求は扱えないというのです。

教師委員会の手続きの瑕疵を挙げて、免職撤回を教区総会の議決を経て教団総会議案として教団総会に提案しても、教団総会では上程さえしてもらえないのが現状です。そのような状況の中で、これからどうするかということですが、教団総会には、免職撤回ではなく、教師委員会の私に対する戒規免職の手続きを検証する委員会の立ち上げをもとめる議案にして出したらどうかということで、その方向で考えて行こうと思っています。

  • おわりに、

 現在教団総会の常議員選挙は全数連記で行われていますので、教団総会で選ばれる三役・常議員会は一部の人たちによって独占されています。昨秋の教団総会で選ばれた常議員では、ただ一人だけ違う立場の人が入っているだけです。教団総会も180対150位の構図ですので、私の問題が教団総会議案として扱われても、現状では免職撤回までは難しいと思います。けれども、この私の免職問題は、どう考えてもおかしなことです。開かれた聖餐を行なっている教師は相当いると思われるのに、教団はスケープゴードのように私一人だけ免職処分にしているのです。そのような教団は一人一人の人権を大切にしているとは到底思えません。私たちが属している日本基督教団は、未だ中世の教会のような「魔女狩り」や「異端審問」を行なっているのです。これは大変恥ずかしいことです。

 皆さんがご自分の問題として、この私の戒規免職処分のことを考えていただいて、違いを持った者同士が、対話や議論を通して一つをめざしていくことにおいて一致できる「開かれた合同教会」に日本基督教団がなるように、自分の与えた場で努めていただければ幸いです。

 ありがとうございました。