なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(559)

船越通信、№559 2023年3月26日(日)北村慈郎

  • 19日(日)は礼拝後、しばらくしてから京急田浦駅前に行き、約40分間「ウクライナに平和を!」のスタンディングをしました。この日の参加者は6人で、募金は1,530円(3人)でした。教会員の募金を加えて、7000円をユニセフに送りました(Nさんの報告による)。この日はコロナウイルスの感染も大分収まってきていることもあり、京急田浦駅前の人の出入りが何時もより多かったように思われました。スタンディングを終えて、NさんSさんと私は船越教会に戻りました。Nさんは会計の仕事をして帰りました。Sさんは庭の掃除をして下さっていて、スタンディングから教会に帰って、一時間ほど洗濯をしたり、後片付けをしてから私が教会を出た時にもまだいましたので、Sさんに挨拶をして私は京急田浦から鶴巻に帰ってきました。この日は帰天した連れ合いの誕生日でしたので、生前連れ合いがよく作ってくれたお手製の餃子を娘が作っていてくれて、夕食は娘と餃子をいただきながら、連れ合いを思い出しました。この日娘が横浜へ帰った後、21日(火・祝)の教区社会員会のオンラインフェスタ(平和フェスタ)で話すことになっていた、私の戒規免職問題の原稿のまとめをし、翌日の20日(月)に最終的な原稿の確認を終えました。
  • 21日(火・祝)はオンラインフェスタは午後1時半から翠ヶ丘教会でありますので、12時前には鶴巻を出て、翠ヶ丘教会に向かいました。以前教区で作られた教区の教会の最寄駅からの行き方が書いてある教会案内をもって、迷ってもその案内にある地図を頼って行けばよいと思ったからです。以前にも翠ヶ丘教会には何度か伺っているので、迷うことがないと思って、教会案内の地図と記憶によって小田急相模原駅を下車して歩きだしました。ところが、迷ってしまい、翠ヶ丘教会のI牧師に電話をして、今自分のいる所を言って、翠ヶ丘教会に行く道を聞きました。すると、I牧師は迎えに来て下さるというので、先生の好意に甘えて、待ち合わせ場所を東海大学付属高校の、校内の校舎の壁に何本も全国大会優勝などの幟のある出入り口にさせてもらいました。するとしばらくして、大船教会のN牧師が運転し、助手席にI牧師がいる車が来て、それに乗って翠ヶ丘教会にたどり着くことができました。お二人にはお手数をおかけしてしまいました。先週は夜でしたが関内駅からYMCAに行く道を迷いましたので、二週連続の失態です。今回は早めに鶴巻を出ていましたので、オンラインフェスタの開始時間より大分前に翠ヶ丘教会に着くことができ、みなさんにご迷惑をかけないで済みました。オンラインフェスタは、最初社会委員会の委員長であるS・Tさんの挨拶と祈祷があり、その後紹介されて私が、「中世の魔女狩りか異端審問か~教団における私の戒規免職処分~」と題して話を1時間弱させてもらいました。その後教区の社会員会関係の諸委員会のアッピールがあり、オンラインフェスタは午後3時半過ぎに無事終了しました。私が当事者として、戒規免職問題についてまとまった話をするのは、今回が初めてです。
  • 23日(木)は朝から雨が降っていました。この日は国会前の座り込みの日でしたが、午前10時半ごろいつも一緒に座り込んでいる方から連絡があり、この日はお休みにするということでした。この日は夜寿地区活動委員会がありましたので、午後4時頃鶴巻を出て、委員会が行なわれるなか伝道所に行きました。なか伝道所に来た委員は、主事を含めて9名、オンライン参加がC宣教師他1名、1名はコロナ感染で欠席でした。今回の委員会はちょうど年度替わりの時期でしたので、次年度委員の候補者の件も議事の一つでした。前回の委員会で委員長が数名の方に当たることになっていましたが、今回一人の方が2023年度から新しい委員に加わって下さることになりました。寿地区活動委員会としては、久しぶりの新委員加入で、元気を与えられました。今寿地区センターが直面している問題は、一つは、関内に3,000名強の学生が学ぶ関東学院大学の建物が出来、旧市庁舎の建物は星野リゾートのものになっていて、今後改築が行なわれるでしょうし、寿地区の中でもドヤがマンションに建て替えられるところも出て来ていてい、寿地区の街全体が大きく変わろうとしている状況に直面しているということです。その状況の変化にどう対応していったらよいのかという問題です。もう一つは、炊き出しや越冬のような運動を支えてきた働き手が高齢になったり、病気になったりして、今までのようにはいかなくなってきているということです。その運動の支え手は、今まで行政交渉を繰り返しながら、寿地区の人々への手厚い行政の施策を引き出してきているのではないかと思われます。そいうことが今後続けられるかというと、難しい時期に来ているのではないかと思うのです。そういう点で寿地区のあり様が変りつつある現状を十分踏まえて、寿地区センターの今後の働きを見定めていかなければなりません。寿地区活動委員会は、主事と共にこの課題と取り組んでいくことになるでしょう。この日の委員会は午後8時半過ぎに終わり、鶴巻に帰ったのは午後10時過ぎでした。
  • 25日(土)は、娘に自動車で送ってもらい、午後2時から始まる某教会の幼稚園の理事会・評議会に出席しました。私はしばらく前にその幼稚園の監事を依頼され、引き受けていたからです。今回が2回目の出席になります。私は神学校を出て牧師になってから、足立梅田教会牧師(5年)、紅葉坂教会伝道師(3年)、御器所教会牧師(18年)、紅葉坂教会牧師(16年)、船越教会牧師(12年を経て現在も)と、4教会で働いてきていますが、付属幼稚園や保育園のある教会はありませんでした。御器所教会だけが元々は付属幼稚園がありましたが、私が赴任する数年前に閉園していて、私が行ったときには無くなっていました。キリスト教幼児教育は大切な働きですが、その運営には大変なご苦労が伴うに違いありません。この幼稚園の働きに少しでも力になれればと思っています。