なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(616)

船越通信、№616  2024年5月12日(日)北村慈郎

  • 5日(日)は礼拝後、京都風お雑煮を皆でいただきました。甘みのある白味噌の汁にお餅が入っているだけで、他には何も具は入っていません。私にとってははじめての京都風お雑煮でしたが、美味しくいただきました。皆で京都風お雑煮をいただいた後、役員会を行ないました。この日の役員会は、4月21日に開催された2024年度の教会総会で新しく選ばれた役員による初めての役員会でした。既にこの日行なわれた役員会の議事録が、役員会書記から皆さんにメールで送られていますので、役員会で話し合われたことはその議事録でご確認ください。一つだけ今年は船越教会の創立70周年に当たりますので、教会だより「船越の丘から」70周年記念特集号を出すことと、12月8日(日)に記念礼拝と礼拝後に修養会を開いて、船越教会の歴史や将来像を語り合うことにしました。70周年特集号には皆様からの原稿をお寄せいただくことになりますが、どうぞよろしくお願いいたします。
  • この役員会では帰天されたNさんを偲ぶ集いを5月19日(日)のペンテコステの礼拝後に行なうことにしました。その話し合いの中で、「人間は死んだら終りで、天国などない」という主旨の発言がありました。私は船越教会に来る前には、紅葉坂教会でも、その前の名古屋の御器所教会でも沢山の方々の葬儀の司式をしてきました。その前夜式や葬儀式の説教で、何回か高村光太郎の言葉で「死ねば死に切り、自然は水際立っている」という言葉に触れたことがあります。この高村光太郎の言葉は吉本隆明の著書で知りました。この高村光太郎の言葉は、「人が死んだら、一切が消えて何もなくなる。死とはそういうもので、自然は極めて明快だ」ということでしょうか。吉本は、『遺書』の中で「僕自身は『死ねば死にきり』という考え方がいいなと思っているのですが、残念ながらそれを実感しているとまではいえません。というのは、死はこれとはまったく別のことだからかも知れません」と言っています。人間は死ねばすべては終りだということは、生命体としての人間としては事実ではないかと思います。問題は生きている者の死者に対する考え方です。私は、天国を実体としてあると思っているわけではありませんが、自分も死んだらイエスさまがいる神さまのところに帰って、既に先に死んで行った私の妻や仲間と再会することができるという信仰の物語を心の片隅に持っています。終末にはすべての人が、生前イエスを信じていた人も、そうでない人も、神の前に生前どう生きたのかが問われ、審判を受けて、イエスに似る者とされてすべての人が神の国の住民とされるという、最後の審判というキリスト教の教義による信仰の物語も、実体のない幻に過ぎないかも知れませんが、捨てがたいと思っています。私はドクマティスト(教義主義者)ではありませんが、生きている以上は、聖書の教えが持つ信仰の物語を大切にしたいと思っています。秋田稔著『聖書の思想』という本があります。聖書の「思想」ですから、思想とは人間の考えです。古代イスラエル人の神信仰による思想が旧約聖書にあり、イエスをめぐる初代教会の思想が新約聖書であるわけです。神などいないという唯物的な人間の考えも思想ですが、神が存在するという信仰も人間の思想と言えるのです。キリスト教では神についての教えを神学と呼んでいます。そして聖書の中心は何と言ってもイエスです。人間であるイエスに惹きつけられる人、キリスト(救い主)であるイエスに惹きつけられる人、教会に集う人でもそれぞれ違いはあるでしょうが、それぞれの人生で、イエスとの出会いを通して教会に結び付き、聖書を読み、イエスに惹かれ、イエスのめざした平和を求めて共に生きようとして、私たちは船越教会に集っているのではないでしょうか。Nさんは、歴史的に教会が犯した過ち、その過ちは現在の教会も犯しているために、宗教としての教会を否定的に考えていました。でも船越教会の人たちとの関係を否定しているわけではありません。またどんなに教会を否定しても、私たちがイエスを出会うことができたのは、イエスの弟子たちを中心とする最初の教会以来連綿と続いて来た教会の働きの故なのです。教会がなければ、新約聖書もなかったでしょうし、私たちはイエスを知ることはできなかったと思います。平和や人権を大切にする考え方も、人類の歴史では、聖書の影響が濃厚だと私は思っています。ということで、19日には葬儀式を拒否されたNさんですが、それぞれの考えを尊重し、船越教会を通して与えられた交わりに連なる者としてN子さんを偲ぶ集いをしたいと思います。
  • 私は7日(火)には、中高時代からの友人の連れ合いの葬儀式が12:00に紅葉坂教会で行なわれ、出席しました。葬儀の最後に挨拶に立った友人は、体調も優れないようで、私と同年ですが、大分衰えている感じがしました。年を取るということは、自分自身の心身の衰えと向かい合って生きるということなのだと、彼を見て、彼に主の支えを祈りつつ、改めて思わされました。葬儀を終えて、出棺に立ち合い、その後私は鶴巻に戻りました。午後3時ごろマンションに戻り、しばらく休んでから午後6時に蒔田教会で行なわれる常置委員会に出席するために、午後4時前には鶴巻を出て、蒔田教会に向かいました。途中食事をして、常置委員会に出ました。この日の常置委員会では、秋の教団総会に議案として出す私の戒規免職問題に関する議案と紅葉坂教会のTさんと教区総会に教団の問安使として来た現教団議長の雲然俊美さんとのやり取りの問題が、二つとも継続審議になりましたが扱われました。また、新任教師の面接では、かつて神奈川教区の教会に在任していた方が、神奈川教区形成基本方針を読んで、その重要さに改めて気づかされ、教団における北村牧師の免職処分はあってはならないことだと明言されました。教師の面接でははじめてのことで、私は感動しました。
  • 9日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。