なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(346)

      船越通信、癸械苅供   。横娃隠固1月14日   北村慈郎


・7日(日)の日曜日は新年のはじめての礼拝でした。昨年12月の待降節降誕節の礼拝説教のテキスト

は聖書日課の中から選びました。ですから、新年になってから月の第二週はマタイ福音書から、後の日曜

日はエレミヤ書からという、今までの形に戻っています。7日はエレミヤ書31章15=20節をテキストにして

説教をしました。この日は大変寒く、礼拝堂にいて下半身が冷えてしまったのでしょうか、説教をしてい

いて、その途中でどうしても尿意に耐えられず、説教を中断させていただいて、トイレに行ってから、又

講壇に戻って説教を最後まで行いました。特に体調が悪かったのではないのですが、冷えで我慢できな

かったのだと思います。これも加齢と前立腺肥大を抱えていることから来たと思われますが、50年近い牧

師生活の中で、礼拝の途中にトイレに行かせていただいたのは初めてでした。これからは礼拝に臨む時に

は、十分注意して準備をしたいと思いました。この日礼拝に出席された皆さんには、私の予想外の行為に

びっくりしたり、ご心配をおかけしたのではないかと思います。冷えへの対策を怠ってご迷惑をおかけし

て申し訳ありませんでした。


・さて、この日の礼拝後はクリスマス用に礼拝堂にあったローソクなどを皆で片づけた後、いつものよう

にしばらくお茶を飲んで懇談して、散会しました。私はその後来週の準備をしてから、この日は午後2時

過ぎに連れ合いと船越教会を出て、鶴巻に帰りました。日曜日としてはめずらしく、鶴巻には午後4時過

ぎには着きました。


・昨年のクリスマスが終わってから、私は昨年11月23日に紅葉坂教会で開催しました、神奈川教区主催の

「戦責告白50年を覚える記念集会」の報告集をまとめるのを、実行委員会で私が担当になっていましたの

で、その作業を集中して行いました。当日の録音の再生の音が全体に小さく、聞き取りにくかったのです

が、何とか文章化しました。7日から、それをもう一度整理して、それぞれの発言者に原稿を送って、発

言者に手を入れていただき、完成原稿にする作業にかかりました。一番大変だったのは、当日の講演者I

さんの講演の文章化でした。Iさんの講演は、お聞きになった方はお分かりのように、とつとつと、

「えーと」とか、「…けれども」という言葉が頻繁にあって、文章が切れ目なく、延々と続くような語り

でしたので、それを文章化して、読んで一応分かり易くなるには、私の方で文章を切って、まとめる必要

がありましたものですから、相当時間がかかりましたが、何とか本人に手を入れてもらうまでにして、送

ることができました。これで何とか、2月24日の教区総会までには報告集を完成できる見通しが立ちまし

た。Iさんの講演は、戦責告白を沖縄や奄美群島キリスト教史から見直すというもので、一つ一つの歴

史的な事実の掘り起こしをしていく中で、本土の教団との間にある善意のすれ違いを明らかにしてくれま

した。その点で非常に参考になったと、私自身は思っております。他者をどのように受け止め、その他者

とどのような関係を構築していくのかという根底的な問題と課題を、Iさんは私たちに突きつけたように

思っています。報告集ができましたら、どうぞ丁寧に読んでいただければ幸いです。


・9日(火)は農伝の説教演習を終えて、町田から蒔田の教区事務所に向かい、戦責告白50周年集会の実

行委員会がありました。そこで上記の報告集の話をして了解して頂きました。その後午後6時から常置委

員会があり、私も陪席しました。この日の常置委員会で2月総会の予算及び負担金の審議がありました。

財務部から出された資料を見ていて、船越教会の2018年度の負担金が2017年度55,000円から159,000円に

なっていましたので、私はそれが何故なのが質問しました。すると、財務部委員からは、船越教会の教師

は代務者の関田寛雄牧師一人で、関田牧師に支払われたのは30,000円だから、船越教会の教師謝儀控除は

30,000円ということで計算した負担金が159,000円になったとうのです。神奈川教区では実質的に私を船

越教会の牧師として認めて下さっていますので、常置委員会では財務部提案に代わって修正案が通り、昨

年度とほぼ同じ負担金になりました。これは教区総会に提案する原案ですので、教区総会で財務部の意見

がまた出て来るかも知れません。政治というものはそういうものなのでしょうが、関わり続けていない

と、どうなるか分かりません。教団における私の免職決定から満7年が過ぎていますが、これから何時ま

で関わり続けなければならないのかを思うと、常置委員会の議論の時にも、私の心の中に少し暗い思いが

沸き起こってきました。この日の常置委員会の後、有志の方々と会食を共にしてから、同じように常置委

員会の陪席者である連れ合いと鶴巻に帰りました。午前様にはなりませんでしたが、マンションに着いた

直後に、日が変わりました。


・10日(水)は夜大和で県央共闘会議幹事会があり、私は基地小の代表として出席しました。県央共闘

会議とは、厚木基地を中心とする基地反対の共闘会議です。労働組合や市民団体によって構成されていま

す。基地小もこの会議のメンバーですので、私が出席しています。いつもは殆ど報告や意見をお聞きする

だけですが、この日の会では沖縄で米軍ヘリからの落下物や不時着が続いていますので、そのこととの関

連で沖縄との連帯の話がでました。そこで、私が属する教会関係の会で沖縄に行った時に、平良修さんか

ら「辺野古の座り込みに来てくれのは感謝だけれども、安保や地位協定がある限り、辺野古の現在のよう

な状況が次々に生み出されるので、本土の人は安保と地位協定の破棄の運動をして欲しい」と言われた話

をしました。県央共闘会議は現場での反対行動を基本にしていますので、安保や地位協定の破棄という政

治運動を目的としているのではありません。基地反対運動の結果として安保や地位協定がなくなるという

方向性の運動ではないかと思います。この日も会議の中でもそのような発言を伺いました。この会には、

私は何時もは出席して帰って来るだけですが、この日は帰る時に二人の方から声をかけられました。最近

私自身は、憲法体制の上ある日米合同委員会による密約の問題についての本を読んでいます。吉田敏浩

『「日米合同委員会」の研究~謎の権力構造の正体に迫る』を読み終えたところです。


・12日(金)は夜船越教会の聖書研究会がありました。何時ものようにH・Sさん、H・Tさん、Tさんと

私の4人で汽謄皀5:17-25を読み、話しがいろいろと広がりました。