なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(355)

    船越通信、癸械毅機   。横娃隠固3月18日   北村慈郎


・11日(日)は礼拝後いつものように残れる人でお茶を飲み懇談して、早目に散会しました。その後T

さんとIさんは、週報ボックスにたまった週報の発送と、信徒の友の日毎の糧2月12日の祈る教会が船越教

会でしたので、諸教会・個人からいただいたはがきや手紙に、船越教会としてのお礼のハガキを出すこと

になり、Mさんが用意してくださったものに手を入れる作業をしていました。私は来週の準備をして、午

後2時から京急逸見駅から徒歩10分ぐらいのところにある、横須賀生涯学習センター5階大学習室で上映

される映画「チャルカ~未来を紡ぐ糸車~」を観に行きました。この映画は原発から出る放射性廃棄物

問題を扱っています。10万年以上も毒性が消えない放射性廃棄物を生み出してしまったことが、人間の環

境破壊の究極ではないかと、この映画は私たちに問うているように思われます。同時に、そのような環境

破壊とは対蹠的な人間の生き方、自然との共生によって「自分の足で立って生きるということ」はどうい

うことなのかと、問いかけているように思われました。日曜日の午後は説教した後ですので、どうしても

睡魔が襲って来て、この日も映画を観ながら、瞼がくっついてしまう時がありました。映画が終わった

後、この映画の監督の島田恵さんのトークもありました。この方は元々は写真家で、チェルノブイリ原発

事故後、核燃料問題で揺れる六ヶ所村を初めて訪ね衝撃を受けそうです。1990年から2002年まで12年間

六ヶ所村に住み、写真集「六ヶ所村、核燃基地のある村と人々」(高文研)を出しています。チャルカは

映画としては第二作目で、3・11後に第一作の「福島 六ヶ所村 未来への伝言」を制作しています。映

画が終わってから私は早目に失礼して、京急逸見駅に出てそのまま鶴巻に帰りました。


・14日(水)は午後2時頃紅葉坂教会信徒のHさんのお宅を訪ね、支援会の会計監査委員として監査報告

書にサインと印鑑をもらいました。これで17日(土)の支援会第6回総会に準備する書類の原稿がすべ

て整い、後は印刷するだけになりました。この日の夜は大和で県央共闘会議幹事会があり、この会には教

区の基地自衛隊問題小委員会(以下基地小)を代表して私が出席しています。6月にこの会の総会があ

り、どういうわけか私に総会の議長をという声があり、引き受けることにしました。私はこの会に出て、

そこで得ました神奈川の米軍基地の状況を、基地小の活動に生かす役割あると思っていますが、ただ受け

るだけでは申し訳ないと思い、出来ることは協力しようと思い、総会の議長を引き受けました。午後8時

半過ぎに会議が終わり、大和から小田急の相模大野経由で鶴巻に帰ってきました。


・16日(金)は昼少し前に鶴巻を出て、船越教会に行きました。船越教会に着いたのは午後2時過ぎ

で、それから17日(土)支援会総会の資料を印刷してから、その日の夜寿地区センターでありました寿

地区活動委員会に行きました。この日の委員会は議事が少なく、午後6時半から始まった委員会は午後7時

40分ぐらいに終わりました。それから船越教会に帰り、17日(土)の支援会総会では後半の「講演と協

議」では私が「戒規免職処分を受けて~7年間の総括と今後に向けて~」と題して話をすることになって

いましたので、その最後のまとめに時間を使いました。


・17日(土)午後1時半から4時まで紅葉坂教会で支援会第6回総会がありました。


そこで私は、「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる宣言5項目」に即して、今

後の支援会としての行動提起を凡そ以下のように話しました。

【(1)宣言1「北村牧師の免職処分の即時撤回と教団教師としての復権を求めます。」

については、2018年度活動提案の「北村慈郎牧師の戒規免職処分の不当性と撤回の必要性を分り易い

リーフレットにして発行します。」を実行し、このリーフレットをいろいろなツテ、方法を通してまだ私

の戒規免職問題について正確に知らない、或は知らされていない教団の信徒・教職に幅広く配布する運動

をする。∈鯒10月28日開催の関西(大阪)出前集会でNさんが発言して下さいましたが、教団本部と議

長宅に集団行動を展開するというご意見に触発されましたが、毎月一回教団本部があるキリスト教会館前

で抗議行動の座り込みをお昼の前後2時間する(後の協議で反対意見あり。世話人会・事務局会で検討し

たいと思います)。(2)宣言2「聖餐についての論議の場が設定されることを求めます。」について

は、講演会や研究会、論文などを私たちの側から発信していくように努力する。私は聖餐の問題で一番大

きいのは戦時下の教団教会で行っていた聖餐をどのように止揚するかにあると思っています。昨年の大阪

の出前集会で発言をお願いした村山盛忠さんもその点を講演の中で述べておられたと思います。2006年1

月号でしたが「福音と世界」に書かせていただきました「聖餐につての個人的体験と一教会の試み」の中

でも、最後にこのように書かせてもらいました。「未受洗者(非受洗者)に開かれた聖餐は、教会の礼拝

に集うすべての人とともにこの世で最も小さくされた者のために全存在をささげられたイエスの出来事を

想起する教会的行為だと、私は思っている。それに加えて、現在も日本基督教団に所属する教会で執行さ

れている聖餐は、戦争責任の問題を避けては通れないと思う。戦争協力をした戦時下の教会でなされた聖

餐と現在教会でなされている聖餐がどう連続性を持ちうるのか。日本基督教団に所属し、聖餐を重んずる

全ての教会は、この問いに応えなければならない」。(3)宣言3「「戦責告白」の教団史における意義

について確認することを求めます。」については、神奈川教区の戦責告白50年を覚える集会のような形

で、機会を見つけて「戦責告白の実質化」を求めていく。(4)宣言4「沖縄教区に対する謝罪と関係回

復への具体的作業を求めます。」についても、この会としても具体的作業に取り組んでいく。(兵庫教区

の取り組みや「求め、すすめる連絡会」との関係を模索する)。(5)宣言5「一方的な「公同教会」の

主張を再考して「合同教会」の形成を求めます。」については、2018年度活動提案の「信徒・教職に関わ

らず、戒規による不当な除名・免職等あらゆる処分・抑圧に反対します。」と関連しますので、長野の佐

久教会の事例もありますので、神奈川教区と東海教区の違いを踏まえて、佐久教会を支えることのできる

運動ができないかを考えていかなければならないし、多様性を認め合う合同教会としての豊かな教団形成

をめざして、出来る所から教会間、教区間の連帯を築き上げていく必要があると思っています】。