なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(402)

       船越通信、癸苅娃押   。横娃隠糠3月3日   北村慈郎


・2月24日(日)は礼拝後臨時教会総会を開催しました。案件は船越教会境内地売却です。内容は以下

の通りです。【 ㋐ 隣家売主S氏が船越教会の所有部分の土地(約1.59平方メートル)を永年にわ

たって使用してきたが、今回S氏が同氏の住宅土地を売却することとなった。/ ㋑ ㋐に際して、船越

教会所有部分の土地(約1.59平方メートル)を買い取ってもらうこととした。/ ㋒ S氏との間の

売買契約書の要点は以下の通り。/ ・土地の売買代金は金1円として本件不動産の所有権移転登記手続

と引換えに行う。/ ・本件土地に関する公租公課は平成31年1月以降、買主(S氏)が負担をする。

/ ・本件土地を船越町7丁目60番地の2(教会本体の所有地)から分筆するための測量、分筆登記費

用および所有権移転の費用は買主(S氏)の負担とする。】総会では全員賛成で可決承認されました。こ

の案件が生じたのは、昨年10月頃ですが、ここに至るまで隣地売り主の仲介不動産会社とのやり取りに時

間がかかりました。この案件が総会で承認されましたので、後は教区を通して教団の同意を得るだけで

す。そのために用意する書類を教区主事代行の方に問い合わせて、3月5日の陽区常置委員会には船越教会

からの申請を承認してもらうようにしたいと思っています。それにしても、たとえ僅かの土地であっても

(今回は船越教会の境内地1.59屬鯲拊禄衢者に売却する)、売却するとなると、その交渉と手続きに相

当の時間をかけなければなりませんでした。大地自然は神の賜物なのですが、それを人間は所有物として

己の財産としているわけです。その土地の有効利用が高ければ高いほど、財産価値も高くなります。今回

は船越教会の境内地1.59屬髻∧筆及び登記費用を隣地所有者に支払ってもらうという条件で、売値は1

円にしました。しかし、同じ1.59屬任癲銀座のど真ん中だったら、何千万円になるわけですから、現代

日本の資本制社会というのはおかしな社会です。それはともかくとして、隣地との境界線問題は、船越教

会の申請が教団の同意を得ればすべて終わることになります。


・臨時総会後、残れる人でお茶を飲みました。この日の礼拝には昨年のクリスマス礼拝以来久しぶりに船

越教会の礼拝に出席したOさんも、臨時総会を傍聴してくれて、お茶の会で懇談の輪に加わってください

ました。加齢による歩行困難にも拘わらず、Oさんは杖をつきながらゆっくり歩かれます。金沢八景のマ

ンションに住んでいますので、所属教会のM教会に行くより船越教会の方が近いので、この日もタクシー

で礼拝に来てくれました。帰りはM・Yさんの自動車に同乗させてもらって、帰って行かれました。皆が散

会した後、私も来週の準備を済ませて、午後1時過ぎに船越教会を出て、鶴巻に向かいました。教会の外

階段を降りて、京急田浦駅をめざして歩き始めて、しばらくすると、福岡在住のWさんが歩いて来るでは

ありませんか。道端でしばらく話をして、もう船越教会のメンバーは皆帰ったことを伝え、東京飯田橋

ホテルに帰るというWさんと歩いて、話しながら京急田浦駅に行き、京急に乗り、横浜でJRに乗り換えるW

さんと別れて、私は相鉄に乗り、海老名で更に小田急に乗り換えて、鶴巻の自宅に帰ってきました。


・24日の日曜日は沖縄の辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票の日でした。結果が気になっていまし

たが、自公が非協力にも拘わらず52%の投票率で、70%を越える反対票、玉城知事の得票数39万を越える43

万超であったということを知って、辺野古新基地建設に対する沖縄県民の反対の意志の強さを改めて感じ

させられました。本来ならば、この県民投票の結果によって直ちに辺野古新基地建設工事は中止にすべき

なのですが、政府・防衛省は、世界で最も危険な基地普天間の返還という沖縄の基地負担軽減のために

は、辺野古新基地建設しかないということで、県民の意志を無視して工事を止めません。25日の月曜日

も、インターネットを見ましたら、キャンプシュワブに入る、辺野古の海を埋め立てる土砂を運ぶダンプ

カーの長い列は止まりませんでした。翁長知事、玉城知事を選び、今回の県民投票で投票者総数の70%を

越える反対票を投じた沖縄県民の新基地建設反対の意志の持続、「あきらめないこと」には頭が下がりま

す。私たちも平和を求めて粘り強く闘っている沖縄の人びとを見倣って、あきらめないで粘り強く、辺野

古新基地建設反対を貫き、安保条約と地位協定による日本の国のアメリカへの従属関係を変えていき、憲

法第9条による軍事力によらない世界平和の実現を求めていきたいと思います。


・この週は、3月2日土曜日の午後に船越教会に移動するまで、2月24日の日曜日に船越教会から鶴巻

に帰ってから、ずっと鶴巻にいました。連れ合いが病気になってからは、昨年9月以降、私は船越教会の

働き以外は、自分が責任を持つ教区の委員会や集会、支援会の活動、農伝の講師の働きにしぼって動いて

きました。農伝の講師も1月末で終わりました。この週には私が責任の一端を担う集会や委員会は何もあ

りませんでした。25日(月)は気候が春の陽気でしたので、午前10時半過ぎに鶴巻のマンションを出

て、連れ合いと曽我の別所梅林に行きました。午後2時過ぎには鶴巻のマンションに帰って来ましたの

で、約3時間半の外出です。連れ合いが病気になってから約半年になりますが、外出らしい外出は今回が

初めてです。連れ合いは鶴巻に引っ越してから毎年私が一緒に行かれない時にも一人で、2月には曽我梅

林に行き、梅の花の香りを楽しんでいます。横浜の大倉山にも梅林がありますが、彼女は戦後大倉山の近

くに疎開して住んでいたことがあり、また私たちが結婚して初めての住んだのが大倉山のアパートでした

ので、大倉山の梅林には特別な思いがあります。その関係で鶴巻に来てからは曽我梅林を知り、毎年欠か

さず行っているのです。先週娘と行く予定でしたが、天候が悪く見送り、今年は曽我梅林行をあきらめて

いたのですが、25日の月曜日の朝天気が良かったので、急遽行くことにしたわけです。彼女は今年も曽我

梅林に行けて、喜んでいました。1日(金)には紅葉坂教会時代の4人の女性が彼女を訪ねて来てくれ

て、楽しいひと時を過ごしていました。