なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

マタイによる福音書による説教(31)棕櫚の主日

   「嘲りの声の中で」マタイ27:27-44、2019年4月14日(日)船越教会棕櫚の主日礼拝説教
                

・今日は棕櫚の主日で、今日から受難週です。イエスの苦難と十字架を想い起こす時ですので、マタイに

よる福音書の27章27節以下のイエスの受難の箇所から私たちへの語りかけを聞きたいと思います。この箇

所は、イエスが人々から嘲られているところです。


・先ず「嘲りということ」を考えてみたいと思います。


・現代の日本においては、人が人びとから嘲られながら殺されていくということは、ほとんど皆無に近い

のではないでしょうか。同じようなことが考えられるとすれば、いじめによる殺人(自死)が近いかも知

れません。けれども、時代を少し遡れば、この日本においても、嘲られながら人が殺されていくという事

例が見られます。


・時代劇などの映画を見ていて、犯罪人が町中を引き回されて、人びとから嘲られて、処刑されて獄門に

かけられるという場面が出てきたりします。おそらく殉教したキリシタンの多くの人たちは、人びとから

嘲られながら殺されていったのではないでしょうか。キリシタンの殉教の場面を想像するだけでも、恐れ

で体が震えてしまいます。


・今日のマタイによる福音書の記事は、死刑の判決を受けたイエスが、兵士たちから侮辱され、十字架に

つけられる場面です。この場面で、人びとがイエスにとった共通した態度が、嘲りです。新共同訳では

「侮辱した」と訳しています。そういうイエスを嘲った人々の中で、十字架を無理やり担がされたクレネ

人シモンだけが、特別な存在です。彼はこの場面の中で唯一イエスを嘲る人々の仲間には加わっていませ

ん。


・「嘲る」というギリシャ語はエムパイゾーという言葉で、「侮辱する」「あざける」「あざ笑う」「愚

弄する」「嘲弄する」「ののしる」などと訳されます。


・まず「総督の兵士たち」がイエスにしたことを思い起こしたいと思います。この総督の兵士たちとは、

エルサレムに常駐していた兵士だけでなく、過越祭の期間、総督と共にカイザリアから来た部隊もいるの

で、その数はローマ軍の編成部隊の数から考えて600ないし1,000名と推定されると言われます。また、ユ

ダヤ人は兵役を免除されていましたので、兵隊は主にパレスチナ内の他民族による傭兵でした。27節から

31節を、もう一度読んでみます。


・「それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集め

た。そして、イエスの着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に

葦の棒を持たせ、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。また、唾を吐きか

け、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服

を着せ、十字架につけるために引いて行った」。


・ここには、イエスが総督の兵士たちによって嘲られる様子が詳細に描かれています。彼らにしてみれ

ば、イエスが「ユダヤ人の王」と自称したということ自体が滑稽であり、なぶりものにして嘲って弄(も

てあそ)んだと思われます。その様子を想像しながらお聞きください。➀先ずイエスは彼らによって「着

ている物をはぎ取」られます。△修靴堂Δ陵茲討い覦疉?紡紊錣襦崟屬こ暗紊鮹紊察廚蕕譴泙后次に

王冠の代わりに「茨で冠を編んで頭に載せ」られます。い修靴鴇鵑梁紊錣蠅法岷手に葦の棒を持たせ」

られます。これはおそらく王を表わす身なりに、兵士たちによってイエスが無理やりにさせられたという

ことでしょう。兵士たちは、そのイエスの前で、王に従う臣従のポーズをして皮肉を楽しみ、イエスを侮

辱したのです。


・これがもし事実であるとしたら、イエスはこの兵士たちの嘲りにどのようにして耐えたのでしょうか。


・兵士たちは出て行くと、通りかかったクレネ人シモンにイエスの十字架(横木)を無理やり担がせ、

ゴルゴダという所、すなわち『されこうべの場所』に着くと、苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませよう

としたが、イエスはなめただけで、飲もうとしなかった。彼らは十字架につけると、くじを引いてその服

を分け合い、そこに座って見張りをしていた。イエスの頭の上には、『これはユダヤ人の王イエスであ

る』と書いた罪状書きを掲げた。折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右に、もう一人は左に、

十字架につけられていた」(32-38節)。


・そのとき「そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。『神殿を打ち倒

し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ、そして十字架から降りて来い』」と。「同じよう

に、祭司長たちも律法学者や長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人を救ったのに、自分は

救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼って

いるが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから』と。さら

にはイエスの右と左に十字架につけられた二人の強盗も、同じようにイエスをののしったというのです。


・ところで、ここでイエスをののしった総督の兵士たち、そして通行人であるユダヤの民衆や祭司長はじ

め律法学者、長老たちのようなユダヤの支配層の人たちは、そのことによって何を失っているのでしょう

か。


・ローマ総督の兵士たちは、「ユダヤ人の王、万歳」と言ってイエスを侮辱しました。そしてイエスの頭

の上には「これはユダヤ人の王イエスである」という罪状書きを掲げたと言われています。けれども、も

し本当にイエスユダヤ人の王となったら、権力を持って人びとを支配し搾取するローマ皇帝のような王

ではなく、この世の最も小さく貧しい人びとに幸福をもたらす、人々に仕える王となったに違いありませ

ん。そしてそういう王様がローマ皇帝に代わって世界の王になったら、ユダヤだけではなく世界中の人び

とに幸福がもたらされたことでしょう。兵士たちはイエスをののしり十字架につけることによって、総督

ローマ皇帝に仕え、イエスが王となる可能性を自ら否定してしまったのではないでしょうか。イエス

共に十字架を負うことをしなかったからです。それはイエスのもとにある私たちにとっての本当の命、命

そのものを否定したことを意味します。


・「神の子なら、十字架から降りてきて、自分を救え」とののしった、通行人のユダヤ人、祭司長、律法

学者、長老、二人の強盗たちも同じです。彼らはユダヤ人としてメシアを待望し、メシアが支配する神の

国の到来を切に願っていた人たちだったに違いありません。しかし、彼らの想像を超えた形でイエス

よってもたらされた神の国の到来を受けいれられず、エルサレムの神殿支配体制を選んだのです。彼らも

また、ローマ総督の兵士たちと同じように、すべての人を幸せにする命そのものを否定してしまったので

す。


・私は、ローマ皇帝を中心とする、こういう兵士たち、ユダヤの民衆や支配者たちがのさばっているこの

世において、すべての人を幸せにする命そのものは、十字架という形をとってしか表れないように思えて

仕方ありません。現代でも強権的な政治支配が続く国では、民衆の命と生活を護るために立ち上がって闘

う人たちが、政治犯として処刑されていっています。


・クレネ人シモンは、無理やりではありますが、イエスの十字架を担がされました。本来ならば、弟子た

ちが担ぐべき十字架ではなかったかと思います。イエスとは一番深い絆で結ばれていたはずの弟子たちは

いなくなり、全然縁もゆかりもないといっていいようなクレネ人が、イエスの一番近くで十字架を負って

刑場まで歩いていったというのです。


滝沢克己さんは、こう述べています。「こういうこともイエスの姿、イエスの身近につかえていたこと

が、決してそれで安心、そこに居座って良いということではない。或いはそれを誇るということが、人間

にはできないものだということです。しかし同時に他方では、おれは縁がないということのできる人は、

その人がなんと思おうと事実上はどこにもいない。イエスの十字架に無関係だと言う人は、ありようがな

い。そういうことは弟子達との対照で、クレネ人・シモンがここでイエスの十字架を負ったということ

に、非常によく出ているのではないかと思うのです」。


・イエスの十字架を負うということは、命そのものである神につながって私たちが歩むことです。クレネ

人・シモンのように、誰がイエスの十字架を負わされ、負って生きているかは、私たちには分かりませ

ん。


・ただイエスの十字架を前にして、逃げ去ってしまった弟子のようにではなく、また、イエスをののし

り、嘲る人びとのようにでもなく、そういう自分自身であり得ることを十分踏まえた上で、それにも拘ら

ず、クレネ人・シモンのように、黙黙とイエスの十字架を担いでイエスと共に、最後まで歩ませていただ

けるように、聖霊のとりなしを祈りつつ、私たちは今与えられていますそれぞれの場で歩んでいきたいと

思います。