なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(423)

 7月末から今住んでいます鶴巻の近くにあるトランクルームを借りて、本の整理をしています。今の自

分の部屋は本でいっぱいで、机の前の椅子の部分だけが動ける場所で、後は本棚を何重にもして本を詰め

ていますので、読みたい本を探すのもままならず、ベットを入れる余裕はもちろんありません。

 連れ合いから、何かあった時に自分の部屋で寝られるように、ベットくらい入れられるように、本の整

理をしたら、と言われて、というその作業に取り掛かったという次第です。本を整理しては、キャリア

カーでトランクルームに運ぶわけですが、猛暑の中ですから、なかなか作業が進みません。マンションの

前の道路では水路の工事が行われていて、そこにガードマンの方がたっています。キャリアカーで本を運

ぶ私の姿を見て、何度も何度もトランクルームとマンションを往復しますので、「ずいぶん本がおおいで

すね」と声をかけられました。

 まだその作業が終わらないでいますが、一応ひと段落したところです。ということで、しばらくブログ

への記事のアップに手が回りませんでした。 下記は8月4日(日)平和聖日の船越通信です。
 

         船越通信、癸苅横魁   。横娃隠糠8月4日   北村慈郎


・8月4日は平和聖日ですので、「戦責告白」を下記に記しておきます。


・「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)

 わたくしどもは、1966年10月、第14回教団総会において、教団創立25周年を記念いたしました。今やわ

たくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。わたくしどもは、これを主題として、教団が日本

及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。/まさにこのときにお

いてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今

一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。

 わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請

いたしました。/明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日

本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府

の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。/わたくしどもはこの教団の成立

と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる歴史の主なる神の摂理を覚え、

深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。/「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦

争に同調すべきではありませんでした。まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、

国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。/しかるにわたくしどもは、教団の名において、あ

の戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。/ま

ことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。わた

くしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主

にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞

にこころからのゆるしを請う次第であります。/終戦から20年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国

は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れま

す。この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に

負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての

決意を表明するものであります。/1967年3月26日 復活主日日本基督教団総会議長  鈴木正久


・7月28日の日曜日は礼拝の終わる頃、ホームレスの方が教会を訪ねて来ました。私は説教中でしたの

で、最初受付担当のMさんが対応し、その後TさんとHさんが対応し、お握り二つを差し上げて食べても

らったようです。礼拝が終わって、私も玄関に出てその方と話したところ、横浜駅近辺で野宿しているの

で、横浜まで帰りたいということでした。お金がないので歩いて横浜まで行くというので、京急田浦から

横浜までの土日休日回数券を1枚あげて、これを京急田浦駅に入る時に改札の切符を入れる機械に通し、

その切符を持って電車に乗り、横浜駅では改札の切符を入れる機械にこの切符を入れれば、改札を出るこ

とができるからと、説明しました。その方は切符を受け取って教会から出ていきました。その時Sさんに

京急田浦駅の方向が分かるように教会の下まで一緒に行ってもらいました。すぐ教会に帰って来たSさん

によれば、その方は切符はいらないと返してきたということでした。


・その後、この日は何時ものように残れる人でお茶を飲みながら懇談しましたが、比較的早めに散会しま

した。来週の平和聖日には聖餐式がありますので、その準備を配さん担当のIさんがしてくださっていま

したが、Iさんも12時半過ぎには帰りました。私もその少し後には、庭掃除をしていたSさんに挨拶をし

て、船越教会を後にして鶴巻に帰りました。


・30日(火)は午後4時半から高座渋谷教会で基地・自衛隊問題小委員会(基地小)があり、午後3時頃

鶴巻を出て高座渋谷教会に行きました。基地小では、厚木、座間、横須賀、沖縄などの現状報告を各委員

会ら伺っていますが、今回は6月23日の沖縄慰霊の日を挟んで6月末に沖縄に行かれた藤沢大庭教会のY牧

師からその報告を伺いました。現在名護市安和の琉球セメント桟橋にダンプで運ばれる土砂を船に積んで

辺野古に持って行っているので、名護市安和の琉球セメント桟橋での抗議行動が続いています。Y牧師は

その抗議行動にも参加してきて、抗議行動の参加者が多い時には、相当ダンプによる土砂の船への積み込

みを遅らせることができるが、人数が少ないと、辺野古への土砂搬入が加速してしまう現状を伺いまし

た。その報告の中で、辺野古への土砂搬入への抗議行動をする中で、同じ港から土砂を宮古自衛隊基地

建設のために運ぶと思われる船を無抵抗で出してしまった痛みを語られました。そのことをお聞きしなが

ら、目取真俊さんが訴えている、「抗議行動に参加する人が多ければ多い程、工事を止めることができる

ので、現場に来て抗議行動に加わって欲しい」という呼びかけには、なかなか応えられないでいる私です

が、自分のできることをするとともに、抗議行動に参加している方々のことを憶えていたいと思います。

また、辺野古の海に出ている人の話では、最近辺野古の海でウミガメを見ることが多いそうです。Y牧師

も、これまでは辺野古の海に抗議船で何度も出ていても、一度も見なかったウミガメを、今回は見たそう

です。辺野古の海の埋立てによって、産卵の場所を失ったウミガメがその場所を探して辺野古の海を浮遊

しているのではということです。この事実は、ジュゴンのことと共には辺野古新基地建設は取り返しのつ

かない自然破壊・環境破壊をもたらしていることを証明しています。最近の参議院選挙でも沖縄では辺野

古新基地建設反対の人が当選しています。再び沖縄の民意が示されているので、政府は又も沖縄の民意を

無視しています。何という政府でしょうか。基地小では今年度の講演会を矢部宏冶さんを講師に計画しま

したが、矢部宏冶さんから著述に専念しているので講演は引き受けられないという回答がありましたの

で、今年度は基地小の公開学習会として宮古自衛隊基地建設と辺野古の現状報告を2回に分けて持つこ

とにしました。