なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(308)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(308)復刻版を掲載します。2005年8月のものです。

 既に日は6日になっています。今日は朝8時には、寿の青年ゼミ寿わーくに参加し、午後3時に

人と会い、その後日比谷の音楽堂で行なわれる特定秘密保護法案反対集会に参加します。


       黙想と祈りの夕べ通信(308-47]2005・8.21発行)復刻版

 7月20日の黙想と祈りの夕べの聖書朗読の一つは、マタイによる福音書25章14節以下の「タラン

トの譬」でした。分かち合いの時に、このタラントの譬はいつ読んでもよく分からないと発言した

方がありました。そこで私が調べてくることになっていました。7月27日は盲伝の集会に参加し、

黙想と祈りの夕べはお休みしましたので、また8月は今日が最初の黙想と祈りの夕べですので、タ

ラントの譬のお話をさせてもらいます。この譬に出てくる三人のことを利潤や搾取が問題となる財

産の増殖という行為で見ると、この譬を何度読んでも分からないということになるのではないでし

ょうか。もしこの譬の原型をイエスが語られたとしたら、イエスの聴衆の中には財産の増殖が彼

ら・彼女らの日常生活での体験と重なるような人は、ほとんどいなかったのではないでしょうか。5

タラント、2タラント、1タラントはあくまで譬えであって、やはり各自に与えられている賜物と

考えるべきでしょう。地の中に隠して置いた1タラントの人は、「御主人様、あなたは蒔かない所

から刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい方だと知っていましたので、・・・」と言ってい

ます。まともなことを言っているようですが、自分がなにもしないことの自己弁護のようでもあり

ます。マタイ福音書には、「明らかにキリストの再臨~「旅立ち」、「帰って来た」~が考えられ

ており、再臨の時に行われる審きに備え、キリストから与えられた賜物を十分に活かすことが勧め

られ、それを怠る者からは賜物をさえ取り上げられることが警告されている。これは典型的な『中

間時の倫理』であろう」(荒井献)と言われています。この譬えの根底には、「人間は、いくら失

敗しても、神からの問いかけに答える存在なのです」(並木浩一)があり、土の中に1タラントを

隠していた人は、神からの問いかけに応答しなかった人なのでしょう。

 以上の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。イエスはどんな顔だったのか。た

またま「働く人」に教団の山北議長が書いている「『平和』戦後60年を覚えながら」という文章を

読んだ。その中に「『凄い眼つきをした平和運動家』という形容矛盾がある。平和を主張するな

ら、その語り方も平和的でなければならないはずだ」とあった。この山北さんの文章から辺野古

非暴力で闘っている一人の牧師のことが浮かんだ。山北さんもその牧師のことを思い描いていたの

ではないかと想像する。辺野古海上で非暴力で闘い、いつ命を落とすかわからない状態の中で厳

しい顔をしていて当たり前ではないか。イエスも当時のユダヤの社会の中で活動していたとき、厳

しい目だったのではないか。抑圧的な社会の中で解放のために働いたイエスだから。でも子どもに

は優しい顔をしていたろう。16歳から辺野古に行き、現在21歳の青年がいる。彼が今東京に来てい

て、今日午後学芸大学前で彼の報告会があり参加してきた。彼も辺野古海上阻止行動をしている

が、その時はピリピリしている。テントに帰って話すと優しい顔をしている。真に平和をもたらす

ということは、他者の足を踏まないということであり、それは現実にはどこにも足を下ろせないく

らい厳しいことであり、厳しい顔をして当然であろう。自分は平和を祈ってきたが、実際に平和の

ために働いている人と接していると、厳しい顔になって当たり前に思える。私自身がどういう顔に

なっていくのか分からないが、自分なりに歩んで行きたい。

 また別の方の発言がありました。5月以降体調を崩していた。しばらく療養というか、体が元気

になることを一番の目的にして暮らしてきた。昼寝するので、いつの間にか夜のラジオ深夜便を聞

くようになり、音楽もよくお話にもはっとさせられる時が多く、自分にはすばらしい時間である。

特に8月に入り、15日が近づいてきて、戦争のこと、平和のことに触れるお話を聞き、いい時間を

過ごさせてもらった。いつも喜んでいなさい、いつも感謝していなさい、という言葉が身にしみて

感じられた。