なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

牧師室から(15)

以下の文章は、かつて教会の機関紙に書いたものです。 牧師室から(15) 先日訪問の帰りに、本屋に寄り、書棚にあった『生かされて』という本が目に入り、その本を衝動買いしました。実は既に読みたいと思って買い込んでいる本が相当数あるのですが、この…

7月28日開催「報告・討論集会」

7月28日(土)午後1時から4時まで紅葉坂教会を会場にして、私の裁判支援会主催の「報告・討論集会」がありました。大変暑い日で、教会は夏期の行事に入っている時期にも拘らず、奥羽教区、兵庫教区からの参加者を含めて92名の方々が参加して下さいました。し…

船越通信(68)

船越通信癸僑検 。横娃隠嫁7月29日 ・22日の礼拝説教は、マルコ福音書14章1節以下のイエスに高価な香油を注ぎかけた女の物語を扱いました。28日の私のブログにその時の説教を掲載していますので、そちらをご覧いただける方はブログでお読みください。私は…

マルコ福音書による説教(57)

マルコ福音書による説教(57)マルコによる福音書14:1-11、 ・今日は、この所に記されていますひとりの女の行為に注目してみたいと思います。マルコによる福音書では、この女の行為の前には、祭司長たちや律法学者たちが策略をもってイエスを殺そう…

父北村雨垂とその作品(118)

昨日、今日と本当に暑い日が続いています。昨日は午後1時ごろ鶴巻を出て船越に移動しました。その時もうだるような暑さで参りました。今日は、寿で寿地区センター主催の「青年ゼミ」があり、朝早く船越から寿に出かけました。炊き出しの準備に間に合うためで…

黙想と祈りの夕べ通信(129)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(129[-24]2002.3.17発行)復刻版 今は受難節の時期を過ごしています。私は、病気で入院している方を見舞うときに想い起す聖句があります。それはマタイによる福音書8が要17節です。元来イザヤ書53章の苦難の僕の歌の一節ですが(4節)…

牧師室から(14)

以下は以前に教会の機関紙に書いたものです。 私は小学生時代の3人の友人と今でも付き合いがあります。と言っても、会うのは多くて年に一度で、数年会わないこともありますが、会えばそれぞれ別の道に長いこと生きていますが、昔のように何の隔てなく心が通…

黙想と祈りの夕べ通信(128)復刻版

「父北村雨垂とその作品」の続きは、後日に回させてもらいます。後残されているのは主に4冊のノートです。今日は、「黙想と祈りの夕べ通信」(128)復刻版を掲載します。 黙想と祈りの夕べ通信(128[-23]2002.3.10)復刻版 今日(3月3日)の礼拝後に役…

牧師室から(13)

以下の文章は、4年前に教会の機関紙に書いたものです。 ちょうど2008年10月開催の第35(合同後20)回教団総会が終わった後です。この時期は、教団総会で議長による戒規申立てを無効とする第44号議案が可決されて、私の戒規問題はこれで終結したのではと…

船越通信(67)

船越通信癸僑掘 。横娃隠嫁7月22日 ・15日の日曜日礼拝後に予定されていましたDVD「10万年後の安全」を観る会は、残念ながらパソコンとプロジェクトが機能せず、後日に延期することになりました。準備をしてこの日に臨んでくださったTさん、ありがとうご…

マルコ福音書による説教(56)

マルコ福音書による説教(56)マルコによる福音書13:14-37、 ・終わりの切迫。:先程、読んでいただいたマルコによる福音書13章14節以下の「大きな苦難を予告する」記事は、「憎むべき破壊者が立ってはならない所に立つのを見たら~読者は悟れ…

父北村雨垂とその作品(117)

父北村雨垂とその作品(117) 1964年(昭和39年)日記より(その9) 十一月一日の休みにKo氏長男のT君の車へ同乗、富士五湖の秋を楽しんだ。橋本から大半出来た城山ダムを車窓から賞め、オリンピックの競技場となった相模湖を経て、猿橋、大月を経て河口…

黙想と祈りの夕べ通信(127)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(127[-22]2002.3.3)復刻版 今年になってからずっと風邪気味の状態が続いていましたので、病気の方やお年寄りの見舞いを控えていましたが、先週は大分体調が回復しましたので、気がかりな諸兄姉の所に行ってきました。今年5月が来…

父北村雨垂とその作品(116)

父北村雨垂とその作品(116) 1964年(昭和39年)の日記より(その8) 生きる努力といふものは水と陸の境界を示す汀の様なものではない。いはばギリギリの生活線を往くといふことではない。といふのは、汀の様な最底の線を往く生活はすでに死の方がはる…

牧師室から(12)

昨日は「さよなら原発 10万人集会 7/16」に参加しました。代々木公園サッカー場にメインステージがあり、12:15から15:00まで集会がありました。私は最初から参加し、その集会場のステージ近く、「キリスト者平和ネット」のグループの場所に座っていまし…

北村裁判支援会「報告・討論集会」のご案内

今日は私の裁判支援会の「報告・討論集会」のご案内をさせていただきます。 いらしていただければ幸いです。 報告&討論集会のご案内 北村慈郎牧師戒規免職撤回裁判は、4月26日開催の第一回口頭弁論後、裁判官と原告及び被告弁護士に よる論点整理の準備手続…

船越通信(66)

船越通信癸僑供 。横娃隠嫁7月15日 ・7月8日(日)の礼拝後、最近船越教会の礼拝に来られた方と午後1時半ごろまでお話しをしました。彼女は、近所に住んでおられるカトリック教会の信徒で今は教会に行っておられない方の紹介で船越教会の礼拝に来ました…

マルコ福音書による説教(55)

マルコ福音書による説教(55)マルコによる福音書13:1-13、 ・最近タワーと言えば、東京スカイツリーが話題になっています。昨日も義理の兄の一周忌があり、その義理の兄の妹が墨田区に住んでいて、近くに東京スカイツリーがあります。彼女からまだ…

黙想と祈りの夕べ通信(126)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(126[-21]2002.2.24)復刻版 昨夜(17日午前1時)R.姉の帰天の知らせが、お連れ合いのK兄からありました。新横浜の病院からです。昨夕今晩が山かも知れないと医者に言われたので、祈って欲しいとK兄から電話があり、私は病院に駆け…

黙想と祈りの夕べ通信(126)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(126[-21]2002.2.24)復刻版 昨夜(17日午前1時)R.姉の帰天の知らせが、お連れ合いのK兄からありました。新横浜の病院からです。昨夕今晩が山かも知れないと医者に言われたので、祈って欲しいとK兄から電話があり、私は病院に駆け…

黙想と祈りの夕べ通信(126)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(126[-21]2002.2.24)復刻版 昨夜(17日午前1時)R.姉の帰天の知らせが、お連れ合いのK兄からありました。新横浜の病院からです。昨夕今晩が山かも知れないと医者に言われたので、祈って欲しいとK兄から電話があり、私は病院に駆け…

父北村雨垂とその作品(115)

7月9日~10日に行われた教団常議員会で、今秋の教団総会に二つの議案が提案されることが決まったようです。一つは、「日本伝道の推進と教団の教師養成の重要性をふまえ、教団と東京神学大学との関係を回復する件」が議長提案で。もう一つは、「『信仰告白』と…

牧師室から(11)

以下は以前に教会の機関紙に書いた文章です。 牧師室から(11) 佐藤研さんが『禅キリスト教の誕生』という本を出しました。Sさんが二月三日の週報のコラムでも触れていますが、既成のキリスト教に対する大変刺激的な問題提起に満ちた本です。目次を見ます…

父北村雨垂とその作品(114)

父北村雨垂とその作品(114) 1964年(昭和19年)日記より(その6) 十月拾日 オリンピックの開会式があるというので、大方の会社がりん時休業をした。日本人が如何にお祭り好きかを、端的に見せつけられた様に想え、何とも馬鹿馬鹿しい話である。もっと…

マルコ福音書による説教(54)

マルコ福音書による説教(54)マルコによる福音書12:38-44、 ・今日私たちに与えられていますマルコによる福音書12章38-44節には、前半に「律法学者」について記されています。前回同様イエスは、律法学者をイエスに従う弟子たちが決して見…

船越通信(65)

船越通信癸僑機 。横娃隠嫁7月8日 ・7月1日(日)礼拝後テーマ話し合いを持ちました。今回は船越教会の「平和センター宣言」についてです。発題者のS.N.さんが欠席で、S.N.さんが用意してくれましたレジメを最初に話し合いの司会をした私が読み、その後この…

黙想と祈りの夕べ通信(125)復刻版

黙想と祈りの夕べ(通信125[-20]2001・2・17発行)復刻版 今日の午後に紅葉坂教会で教区の集会がありました。核問題小委員会と基地問題小委員会の共催で開かれた公開学習会です。テーマは「9・11後の“平和”とは?基地・核~憲法~」で、講師はダグラス・…

黙想と祈りの夕べ通信(124)復刻版

黙想と祈りの夕べ(通信124[-19]2002・2・10発行)復刻版 かつて私は名古屋にいたときに、G教会の開拓伝道の場所であった赤池に近い日進町に住んでおられる未知の一人の姉妹から、お手紙をいただきました。その方はAさんの友人であり、一年以上Aさんを通…

父北村雨垂とその作品(113)

今日は「父北村雨垂とその作品(113)」を掲載します。1964年の日記の中に下記の句が記されていました。 1964年と言いますと、父は64,5歳ではなかったかと思います。この日記を見ますと、しきりに体力の衰えを記しています。今の私は70歳で…

牧師室から(10)

今日は、以前に教会の機関紙に書いた文章を掲載します。以下の中には、ちょうど2007年でしたが、私が当時の常議員会で教師退任勧告を山北宣久議長から受けた頃に書いた聖餐に関する文章も含まれています。 牧師室から(10) 九十年代初頭にアメリカと…