なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(67)

         船越通信癸僑掘  。横娃隠嫁7月22日     

・15日の日曜日礼拝後に予定されていましたDVD「10万年後の安全」を観る会は、残念ながらパソコンとプロジェクトが機能せず、後日に延期することになりました。準備をしてこの日に臨んでくださったTさん、ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。それにしても機械の機能をマスターすることの難しさを痛感させられます。私なども、パソコンはワープロ機能を中心に使っている者で、後はメールのやり取りとインターネットの検索を時々するくらいです。自分のブログは大分前に娘に設定してもらい、毎日いろいろな書き込みはしています。ツイッターもできませんし、YouTubeも見れません。多分私のパソコンをYouTubeの動画を観れる設定にしていないからだろうと思います。昨年の12月3日の私の支援会発足集会の様子が一部YouTubeに流れました。その時いろいろ試みはしてみたのですが、動画をみることができませんでした。それ以来YouTubeを観るのはあきらめています。ですから、私はパソコンを使っていますが、パソコンのごく一部の機能の恩恵を受けているだけです。今のところそれで自分としては満足しています。

・15日の日曜日の夜には「かながわ明日の教団を考える会」が紅葉坂教会でありました。今回は前もって欠席の連絡をいただいていた人が多く、何時もよりは少なめの参加者でした。それでも25名の参加者がありました。6月30日にありました神奈川教区総会の評価と反省、秋の教団総会に向けて、来年2月の神奈川教区総会のことなど教団・教区に関わる課題を話し合いました。次に私の裁判のこと、神奈川教区の東日本大震災支援のこと(福島の子どもたちの保養プログラム、「リフレッシュ@かながわ」について、ボランティア派遣他について)、そして最後に「かながわ明日の教団を考える会」の今後について話し合いました。この会の若い人たちへの継承が課題ですが、若い人たちの中には「明日の教団を考える」という名称に抵抗のある人もいるようで、少しこの会とは距離を感じている人が多いようです。一方この会にずっと参加しておられる方々、特に信徒の方々は、教団教区の情報を得たり、教会や信仰にについて考える場として、また牧師も信徒も対等に自由に話せる場が他にはないので今までのようにこの会を継続して欲しいという意見も多くあります。いろいろ話し合った結果、「かながわ明日の教団を考える会」のシンポジュウムを計画することと、事務局を複数に整備しなおすことでいくことになりました。

・16日(月)には、朝から代々木公園で行われました反原発10万人集会に出かけました。会場はすごい人で、主催者発表では17万人。翌日の新聞では警察発表7万5千人ということでした。この日はすごく熱い日で、また風も時々強く、私と連れ合いと友人の5人は、メインステージがありましたサッカー場での集会に、強い日差しと時々起こる砂ぼこりに耐えながら初めから終わりまで参加し、その後3方面に別れてデモがあり、私たちはキリスト者平和ネットの旗の後について明治公園に向かうデモに参加しました。大勢で長い列のデモの参加者の一人として歩きながら、私は、この反原発の運動が反基地に繋がり、今までの社会の有り様が根底から変わり、誰も犠牲にならない形で人の命と生活が大切にされる平和な社会の出現を妄想していました。このデモに参加していた人の中には、表参道辺りを通っていたとき、道路を歩いている人たちに向かって、あなたがたはそんなのんきでいいのかと糾弾(?)するような物言いをしていた人がいました。私はその姿勢を共有することはできません。あたかもクリスチャンが非クリスチャンの人に回心を迫るような物言いでした。自分の方が正しく相手は間違っているという断定に基づいて、上から相手に説教するような態度に、私はある種の権力性を感じます。

・17日(火)夜は紅葉坂教会で私の裁判の訴訟対策委員会があり出席しました。

・18日(水)は鶴巻で3人の集会を持ちました。讃美歌を歌い、聖書を読み、私が話し、懇談し、最後に主の祈りをして終えました。既成の教会には躓き教会には行っていないキリスト者と道を求めて悩みを抱えている生活者に開かれた集いができないものかと話し合いました。

・19日(木)は、いつも国会前の辺野古基地建設反対の座り込みに参加している連れ合いが性差別問題全国連絡会のことで巣鴨ときわ教会に行くので、国会前の辺野古基地建設反対座り込みには私が参加しました。この日は座り込みに7人の参加があり、いつもよりにぎやかでした。辺野古のテント村の人からオスプレイ沖縄配備反対の横断幕が2枚とどき、その横断幕も張って座り込みました。この日の夜は寿地区活動委員会が寿地区センターであり、私は座りこみの後そちらに回り、船越には10時過ぎに着きました。

20日(金)にはピースサイクルの方々が船越教会にやってきました。午後4時半ごろに雨の中到着し、晴れていればバーバキューを予定していましたが、急遽室内で電気プレート2台を囲んで食事をしました。食事の準備も手際よく6時半までには終り、福島郡山出身のピースサイクルの全国事務局長のHさんが「ふるさとへの思いと今」と題して、今も放射線量が多く、除染もままならない地域に住んでいる福島の人たちの状況を話してくれました。昨年の東京電力福島第一原発事故後、ずっと福島にとどまって子供たちのために運動していた人の中には、もうこれ以上は福島にとどまれず、他県へ移住する人も出ているようで、福島はますます厳しい状況になっているとのことです。国と東京電力放射能被害を恐れて福島から他県へ移住する人に、福島で生活していた状態を保障するということも全くなく、移住する人の負担も大変大きいいということです。原発事故後の福島の状況がますます厳しくなっていることを思うと、この段階で大飯原発再稼働に踏み切った国と関西電力の行為を許すことはできません。その後交流会があり、9名が船越に宿泊し、翌21日(土)8時には次の目的地相模原に向かって出発していきました。土曜日の船越教会を出発する時には、新たに数名の参加者が加わり、10名前後の自転車が連なって、田浦方面に向かっていきました。船越教会の前の通りは一車線で大型トラックも良く通る道路ですので、自転車の横を走って行く自動車が気になり、無事を祈って送り出しました。

・この週は15日の日曜日から21日の土曜日まで毎日用事がある忙しい1週間になりました。