なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(615)

船越通信、№615  2024年5月5日(日)北村慈郎

  • 4月28日(日)礼拝後、京急田浦駅前で11:54~12:40、ガザのアハリー・アラブ病院支援の スタンディング行動を行いました。以下Nさんのメール報告を転載します。【ゴールデン・ウィーク2日目。初夏の陽気で気温も高く、立っているだけで汗ばむほどでした。参加された皆さんお疲れさまでした。昨年の10月にパレスチナ自治区ガザで始まったイスラム組織ハマスイスラエル軍の戦闘は、すでに半年を経過しましたが、休戦に向けた具体的な動きはいまだに見られません。イスラエル軍の攻撃で、ガザは至る所が破壊されて、すでに34000人以上の民間人が犠牲になっていますが、その大半は、幼い子供や女性たちです。連日の爆撃により、食料不足も深刻で、人道的観点からも1日も早い停戦が必要です。アメリカの大学で、パレスチナ自治区ガザ地区での戦争に抗議する行動が広がっています。このように世界中で戦争の終結を望む声が上がっていますが、日本国内では報道も少ないため、国民の関心は低いようです。/今回のスタンディングでも人々の反応は非常に悪く、募金に協力してくれたのはわずかに高齢の男性2名で、募金額は1125円、署名は1筆でした。多くの人にとっては、ガザでの戦闘は、どこか遠くの国で起きてる「他人事」なのでしょう。問題をしっかりと伝えない、マスコミの責任はとても重いと思います。/参加者は8名でした。なお、教会員の募金が3875円あり、合計で5000円になりました】。スタンディングを終わって、私は船越教会に戻りました。しばらくするとインターホーンが鳴りましたので、玄関を開けましたら、木村武志牧師の時に何回か船越教会の礼拝に来たことがあると言う方が、近くを車で通りかかったので船越教会に寄って見たと言って立っていました。その方としばらく立ち話をしました。木村武志君(木村牧師と私とは神学校の同級生で親しい関係にありましたので、君呼びさせてもらいます)の消息をその方から聞かれましたので、船越から鹿児島の鹿屋に行き、病気になって牧師を辞めてから宮崎の都城で生活し、そこで7年ほど前に亡くなったこと、連れ合いは都城に独りでいることもお話ししました。その方は懐かしがっていましたが、しばらく話して帰って行きました。その後しばらくして私も船越教会から、この日は京急田浦に出て鶴巻に帰りました。
  • 29日(月)はゴールデンウイークの前半のお休みの日でしたので、鶴巻に娘もいて、朝9時から10時までの平塚の花菜ガーデンレストランのモーニングに車で行き、この日の一食にしました。その後花菜ガーデンの向かいにある地場産の野菜などがあるあさつゆ広場で買い物をしてマンションに帰ってきました。その後娘は一人で出かけましたので、私はのんびり過ごしました。この日は鶴巻温泉駅前広場(そんなに広くはない)から市営の日帰り温泉弘法の里湯の駐車場も使って、町おこしと思われるお祭りが行なわれていました。夕方駅前に用事があって行った時、お神輿はありませんでしたが、急遽作ったと思われる山車を、法被姿の引手が結構いて引いていました。周りには沢山の人が出ていて、歩道も人が一杯で、私は自転車を引いて用を足し帰ってきました。夕食は午後5時過ぎに娘が作ってくれたれん根カレーをサラダと共にいただきました。その後6時過ぎに娘は横浜に帰って行きました。
  • 30日(火)は、関西の事務局の方から私の所に送られてきていた沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会(“もとすす”)の通信第28号を、神奈川教区の諸教会・伝道所に郵送する作業を行ない、夕方鶴巻の郵便局に持って行き発送しました。この日私が高校3年生の時に、紅葉坂教会に導いてくれた同級生の友人の連れ合いが、私の連れ合いと同じように場所は違いますが、癌になって1年3ヶ月ほどの抗がん剤治療の末に帰天したという連絡を彼の娘さんからもらいました。連絡をくれた彼女は、4月6日の紅葉坂教会の支援コンサートの時にフルートを吹いてくれた方です。その時にも彼女にお母さんの様子や友人の様子を伺い、その後友人には電話をしました。葬儀には伺うつもりですが、彼とご家族の方々の上に主の平安をお祈りします。
  • 1日(水)はメーデーでした。メーデーは晴れた日が多かったように思いますが、この日は朝から雨が降り、一日中雨の日でした。沖縄から帰省していた牧師のK・Rさんが、夫のK・Hさんとお昼頃鶴巻を訪ねてくれました。私の連れ合いの千賀が帰天してから毎年5月のこの頃と11月末から12月初めの頃にかけて、K・Rさんが帰省してきた時には必ず年2回、お二人で鶴巻の私の所を訪ねてくれています。お昼を共にし、懇談して帰って行かれます。有難いことです。
  • 2日(木)はいつものように国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。東京新聞には琉球新報の報告記事が「辺野古・高江リポート」として掲載されています。4月30日の記事には、「約9年前から海上抗議行動に参加している(75歳の方が)、「『毎日のように(工事を)見せつけられているのはつらい。工事がここまで進んでいることは悔しいが、嘆いている場合じゃない』と前を向いた」と記されていました。国会前の座り込みは、20年前から始まった辺野古浜での座り込みに呼応してはじまりました。辺野古新基地建設で沖縄の方々に辛い思いをさせてしまっているのはヤマトの私たちの責任です。この東京新聞の記事を読んで、私たちも「嘆いている場合じゃない。前を向いて」行かなければならないと思わされました。