なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№647

船越通信、№647  2025年1月5日(日)  北村慈郎

 

明けましておめでとうございます。新しい年の皆様お一人お一人の歩みの上に主の支えをお祈りいたします。

 

12月29日(日)は2024年最後の礼拝でした。その日の礼拝説教はヨハネによる福音書の講解説教の続きでした。聖書の個所はヨハネ福音書19章16節b―22節で、イエスの十字架の記事になります。

 

前週はイエスの誕生を祝うクリスマスの礼拝と燭火礼拝があり、降誕節でした。その次週の日曜日である29日(日)の礼拝説教ではイエスの十字架についての説教ということで、私は説教の枕でこのように申し上げました。

 

「前週はクリスマスの礼拝でイエスの誕生の出来事を扱いましたので、イエスの誕生から今日はイエスの生涯の終りである十字架というイエスの死の出来事を扱うことになりますので、戸惑われるかも知れませんが、その点はお許しいただきたいと思います」。

 

ところが、5日(日)の説教準備で森野善右衛門さんの『世の命キリスト~ヨハネ福音書10-21章による~』の当該箇所を読んでいましたら、クリスマスとイエスの死である十字架が直結することは、必ずしもめずらしいことではなく、むしろ必然であるということを教えられました。

 

森野善右衛門さんはこのように述べています。「イエスの十字架の死は、神の愛の極致である。この意味で、クリスマスは十字架に直結しているのです」。

 

29日(日)は礼拝後、講壇前に設置したアドベントの4本のローソクの飾りをはじめ、クランツなどクリスマスの飾りを片付けました。そして新年になってからの再開を約し、散会しました。私も12時40分には教会を出て、この日は京急田浦駅まで歩き、鶴巻に午後3時前に着きました。

 

年末年始の一週間は、どこにも出かけずに鶴巻で過ごしました。今回は昨年の新年1月1日に能登地震が発生し、羽田で飛行機事故が起こったようなことはなく、世相としては比較的穏やかな年末年始だったように思われます。

 

80代になってから私は寿の越冬活動には参加していませんが、物価高の中今年の越冬の炊き出しには沢山の方々が来られたのではないでしょうか。寿で活動している方々は、炊き出しを必要としない社会をめざして炊き出しをしていますが、なかなか炊き出しを必要としない社会を創り出すことは困難です。

 

日本の社会は一時よりもむしろ貧困化が進んでいるのではないかと思われます。日本の社会の貧困は、一時期は山谷・釜ヶ崎・寿のような寄せ場に集約されていたように思われますが、現在は寄せ場の全国化とでも言われるような、貧困層が全国各地に広がっているのではないでしょうか。

 

フードバンクや子ども食堂の広がりは、そのことの現れでもあるように思います。格差が広がっている社会では、極端な思想や政治が受け入れられ易くなります。アメリカのトランプ現象や政治の右傾化はその類型の一つと見ることもできるのではないかと思います。

 

そんなことを思いながら、年末年始にかけて一冊の本を読みました。『善き力~ボンフェッファーを描き出す12章~』(イルゼ・テート著、岡野彩子訳、2024年、新教出版社)です。

 

先ずこの本の中に、私が先日のクリスマス礼拝でイエスの誕生は「新しい世界創造」であるということを語りましたが、それに近いことが記されていました。その部分を引用してみます。

 

この本の「第7章 世界におけるキリスト者の責任~私たちはボンフェッファーから何を新たに学べるのか~」の最初の部分に、このような記述があります。

 

【…1935年11月18日の新約聖書講義で、ボンフェッファーは使徒言行録2章42節の「彼らは使徒たちの教えに変らずに留まり続けた」という聖句を取り上げている。/「彼ら」――これは、聖霊降臨の出来事によって設立された教会の人たちを意味する。//聖霊降臨に際して、/「新しい宗教が起こるというのではなく、世界の一部が新たに創造されるのである。――これが教会の設立である。……これは生活の全体を支配するものであって」、単なる「一領域、つまり宗教のための領域」ではない。「教会にとって重要なのは、神と聖霊と御言葉である。それゆえ特別に宗教が重要というわけではなく、御言葉への従順、御父の行為、すなわち聖霊によって新たな創造を行なわれたことが重要である。……いかに最初の創造が「宗教的」な事柄とは言いがたく、むしろ神の現実であったように、第二の創造も同様にそうしたものではなく、それは、聖霊においてキリストを通して行われる神の創造である」】(166-167頁)

 

また、【ボンフェッファーは、1944年に獄中でこう問いかけている。「……いかにしてわれわれは、宗教的に特権を持つ者としてではなく、むしろ完全にこの世に属するものとして自らを理解し、エクレシア、すなわち召し出されている者であれるのか。そのときこそ、キリストはもはや宗教の対象ではなく、何かまったく別のもの、真にこの世の主なのである」】(244頁)と述べています。

 

この本を読んで、私はナチズム時代のヒットラーに抱え込まれた「ドイツ・キリスト者」という教会に対して、ナチズムを批判した「告白教会」の運動がどういうものであったのかが、今までよりも少しはっきりしました。

 

今年は戦後80年になりますが、戦時下の日本の教会にはドイツの「告白教会」のような運動がありませんでした。それは何故なのでしょうか。

 

戦時下国家の要請によって成立した日本基督教団の中枢は、復活信仰などキリスト教の重要な教義が国家に否定される時には、国家に抵抗し、殉教もいとわないという主旨の発言をしたと言われます。

 

日本の侵略戦争や他国の人の命や生活を奪う飛行機の献納には、殆ど反対がなかったようです。これはどういうことなのでしょうか。

 

戦時下の教団中枢は、キリスト教という宗教の教義を大切にして、世の中では戦争が起きていても、それは自分たちの中心的な課題ではないと考えていたのでしょうか。

 

天皇制絶対主義的な国家であった当時の日本国家の中でその国家に抵抗することは、殆ど死を覚悟しないでは不可能だったという厳しい現実があったことは事実だと思います。しかし、それは、ドイツでもナチズムに抵抗することは死を覚悟せざるを得なかったという点では同じではなかったかと思われます。

 

それなのになぜドイツでは「告白教会」の運動が起こったのに、日本ではそのような運動が起こらなかったのでしょうか。

 

日本でも戦時下共産主義者の中には、己の奉ずる思想の故に獄中の人になった人がいました。キリスト教ではホーリネスの一部の人は、己の奉ずる神信仰が天皇制に抵触したので獄中の人になりました。

 

何故ホーリネス以外のキリスト教徒は戦時下の国家体制の中で、獄中の人にならずに生き延び得たのでしょうか。

 

エスの福音が新しい世界創造であるという視点が欠落していたからではないか。