船越通信、№511 2022年4月17日(日)北村慈郎
- 10日(日)は礼拝後、N・Kさんが作って下さったおにぎりを皆でいただき、その後船越教会の最寄り駅である京急田浦駅まで皆で歩き、駅前で「ウクライナに平和を・ロシアはウクライナから撤退せよ」アピール行動を、40分ほど行ないました。京急田浦駅の乗降客はそれほど多くはいません。特に昼時で乗客は一人、二人と断続的に来るだけです。ただ追浜方面と横須賀中央方面の電車が停車すると、10名前後の人が改札を出てきます。その方々に向かって、「ウクライナに平和を!」と呼びかけ、署名やカンパをお願いしました(署名1筆、カンパ6,600円)。「何かしたいと思っていました。」「ありがとう。」などの言葉が寄せられました。
- 約40分のスタンディングを終えた後、散会し、私は一度教会に戻るNさん夫妻、Sさんと一緒しましたが、3人には先に行っていただき、私は後から自分のペースでゆっくり戻りました。この頃早く歩くのが苦になって来ているからです。自分の中では加齢を意識することは殆どないのですが、歩くときだけは意識せざるを得ません。自転車に乗る時も、この頃走り出すときやブレーキをかける時のタイミングが微妙に遅れるのです。歩くときも、自転車に乗る時も、そのことを自覚するようにしています。そうでないと、怪我に結びつくのではないかと思うからです。ということで、3人とは少し遅れて船越教会に戻りました。しばらくして3人が帰った後、私も船越教会から鶴巻に帰りました。
- この週は受難週でした。11日(月)に総会資料を8人分と、遅ればせながら17日(日)のイースター礼拝の案内ハガキを約20名の方に出しました。他にオリエンテーション委員会の教区に出す年度報告を、委員長として最終的にまとめて各委員にメールで送り、後は教区に提出すればよいように準備しました。
- その他には、特にこの週は出席しなければならない集会や委員会もありませんでしたので、ほぼ1週間鶴巻での生活に終始しました。そんな中で、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻による破壊し尽くされたウクライナの町の様子や、人々の悲惨な状況を日々伝えているテレビの情報番組を、気になってついつい見ることが多くなっています。それにしてもロシアの教会であるロシア正教は、この戦争に対してどのような姿勢なのかが気になり、インターネットで調べてみました。ご存じのように、私たちが属する日本基督教団は、第二次大戦(太平洋戦争)下にあって天皇制国家による侵略戦争に積極的に協力したという歴史を持っています。そのため1967年に、「第二次世界大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦争責任告白)を出したのであります。ロシア正教はどうなのだろうかと思ったのです。するとこんな記事が目に留まりました。ギリシャの「オーソドックス・タイムズ」(3月14日)に、<ロシア正教の最高指導者であるキリル総主教はこのほど、モスクワの「救世主教会」(総主教座教会)で、ロシア国家親衛隊(大統領直属の治安部隊)のビクトル・ゾロトフ局長と面会し、局長にキリストの母である聖母の画像を贈り、「この絵が(ウクライナに侵攻している)ロシア軍を護り、速やかに勝利をもたらすと信じている」と述べた>と言うのです。ロシア正教はかつての日本基督教団と同じであることを知り、改めてキリスト教の犯罪性を突きつけられた思いがしました。ただ断っておきますが、キリスト教がすべてそうだというのではありません。上記のインターネットの記事によれば、エジプトのコプト正教会カイロ中央教区のアンバ・ラファエル主教は、「戦争は、当事者全員の敗北となる。悪魔のみが戦争に満足し、死体の頭の上で喜び踊り、夫を亡くした女性、孤児、嘆き悲しむ母親の苦痛に遊ぶ」と象徴的な表現を使って、ロシア軍のウクライナ侵攻を非難した」と言われています。船越教会でもロシアによるウクライナへの軍事侵攻に対する「抗議声明」を出していますし、他の多くの教会、キリスト教の団体が同じような抗議声明を出し、祈りや行動を起こしています。
- イースターの礼拝説教の準備をしている中で、ボンフェッファーのイエスの復活理解に遭遇しました。私は毎日朝、ボンフェッファーの『主のよき力に守られて~一日一章~』を読み、ローズンゲンの聖書日課の聖書箇所を読み、祈るようにしています。けれども、週末になると説教準備に追われ、その朝の日課を省略してしまうことがあります。そのような時は、新しい週の月曜日に、その日の分と共に省略してしまった日の分も読むようにしています。今週の月曜日11日の朝には、9日(土)、10日(日)、11日(月)と三日分を読みました。そのとき読んだボンフェッファーの『一日一章』の4月9日のものに、ボンフェッファーの復活信仰が記されていました。17日(日)のイースターの説教でもこのボンフェッファーの復活信仰について触れたいと思いますが、ボンフェッファーはこのように述べているのです。<この人を見よ。この復活した人を見よ。人間に対する神の「然り」は、裁きと死を通り越して、復活にまで達した。人間に対する神の愛は、死よりも強いのである。神の奇跡によって、新しい人間、新しい生命、新しい被造物が造られた。「生命が勝利を得た。生命が死に打ち勝った」。神の愛が、「死」に死をもたらし、人間の生命となった。十字架につけられ、よみがえったイエス・キリストにおいて、人類は新しくなったのである。キリストに起こったことは、すべての人間の上に起こったことである。なぜなら、キリストは人間そのものなのであるから‥‥。今や、新しい人間が、創造されたのである>。
- ボンフェッファーは、このようなイエスの復活信仰を、ナチズムの脅威による「死の偶像化」が支配する当時のドイツにおいて持っていたのです。もちろんボンフェッファーはナチズムを容認するはできませんでした。抵抗を貫いた結果、獄中の人となり、
- 1945年4月9日(月曜日)早朝、フッロッセンブリュグで、7人の政治犯の一人として処刑がなされました。「収容所の医師は、ボンフェッファーが、控えの間で、ひざまずき、熱心に祈るのを目撃している。フリップ・フォン・ヘッセンは、後に、ボンフェッファーの部屋から、聖書とゲーテ全集の一巻を入手したが、そこにはディートリッヒ・ボンフェッファーという名前が記されていたという」。