なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2011-07-01から1ヶ月間の記事一覧

船越通信№17

船越通信№17 2011年7月31日 ・ 7月24日(日)の礼拝後、放射能をさけるための避難場所としてアメリカ人のGさん家族が牧師館を下見に来ました。3歳と5歳の二人のお子さんと日本人のお連れ合いは、Gさんの両親がいるアメリカに避難していて4か月ぶり…

黙想と祈りの夕べ通信(5)

昨日は寿地区センター主催の青年ゼミがあり、私も朝の炊き出し切り込みから参加しました。切り込みが終わって、寿労働組合のKさんからお話を伺いました。Kさんは、特に東日本大震災による福島原発事故に触れ、事故処理のために各地の寄せ場から福島原発に労…

黙想と祈りの夕べ通信(4)

昨日は久しぶりに国会前で毎週月・木午後1時から4時まで行われています辺野古基地建設反対の座り込みに行ってきました。木曜日は私の連れ合いがいつも行く日でしたが、この日彼女の都合が悪く、私が参加しました。午前中船越教会で横須賀市による道路側の土…

マルコ福音書による説教(9)

「隔てを越える」イザヤ書42:1-9、 マルコによる福音書2:13-17、 ・ ・ 13節に出てくる「湖のほとり」(「海べ」)というのは、ガリラヤ 湖の辺(ほとり)であります。この場所は、生前イエスが主に活動され たガリラヤ地方、特にその拠点に…

父北村雨垂とその作品(14)

本田哲郎さんを囲む会に来ておられた全盲の方3人の、視覚障害についての捉え方が微妙に違っていて、いろいろと考えさせられました。Tさんはカトリックの信者さんで数日後に80歳という方で、自分は「障がいは神の惠だと思う」と、確信を持っておっしゃいまし…

父北村雨垂とその作品(13)

今日、昨日と横浜市都筑区のあゆみ荘でI牧師に誘われ、I牧師が設定した本田哲郎さんを囲む会に行ってきました。有意義な時をもたせていただき感謝です。以下「父北村雨垂とその作品(13)」を載せます。 父北村雨垂とその作品(13) 「私と いふもの」 …

牧師就任式その後

ふと昔の書いた文書を検索していましたら、数年前に天上の人となった藤村靖一先生について書いたものがありました。先日(7月10日)教団の承認を受けたわけではありませんが、船越教会独自で行った船越教会の牧師就任式のとき、S先生が祝辞を述べてくださり…

船越通信№16

船越通信№16 2011年7月24日 ・ 7月18日(月・祝)には、教区社会委員会主催の「東日本大震災被災者支援集会」が湘北地区の翠ヶ丘教会で行われました。この集会は、3月20日頃毎年行われています教区社会委員会主催の「平和フェスタ」が、今年は直前…

黙想と祈りの夕べ通信(4)

1999年10月から2010年9月末まで11年間紅葉坂教会時代に続けました「黙想と祈りの夕べ通信」をこのブログに再録します。再録の意図は、2011年7月15日のこのブログに、「黙想と祈りの夕べ通信(1)」を掲載した時に書きましたので、そこを参照ください。 黙…

父北村雨垂とその作品(12)

父北村雨垂とその作品(12) 「あしかび」 へうへうと 風たち騒ぐ 虚無の有 深淵なんぞ 一点無限 まるい角 世界をはらむ 夢がみた夢 コンパスが 白夜 四角を 画に描いた 大地なき 足下に動く 非有非無 深淵の中の 偶然の 壁 偶然の壁に 矛盾の合理 満つ 昨…

黙想と祈りの夕べ通信(3)

1999年10月から2010年9月末まで11年間紅葉坂教会時代に続けました「黙想と祈りの夕べ通信」をこのブログに再録します。再録の意図は、2011年7月15日のこのブログに、「黙想と祈りの夕べ通信(1)」を掲載した時に書きましたので、そこを参照ください。 黙想…

黙想と祈りの夕べ通信(2)

黙想と祈りの夕べ(2) (通信№1 1999・10・3発行) 「神は人間を愛し、 世界を愛したもう。 理想的な人間ではなく、 ありのままの人間を 理想的な世界ではなく 現実の世界を、 愛したもうのである。」 (ボンへッファ-) このような神の愛を信じ、幼な子の…

父北村雨垂とその作品(11)

父北村雨垂とその作品(11) 「空間と私」 私に 分裂の化石が 空間に化石の歴史を描いた 私に 分裂の意識が 空間の意識と 合意した 私に、分裂の圚歸が 空間に 私の圚歸をこうていした 私に 分裂と分裂が 空間に悲劇と喜劇を姙んだ 私に 分裂の離脱と共に …

父北村雨とその作品(10)

父北村雨垂とその作品(10) 「経験と私」(この部分修正加筆が多い) 経験と私 抽象の飛沫 浴びる心臓の悲劇 経験と私 分裂の孤獨 舌に 轉がす 経験と私 黒い矛盾を 天心に描く 経験と私 エネルギーから夢の質量 経験と私 明日の嬉びと 悲しみを 経験と私…

マルコ福音書による説教(8)

マルコ福音書による説教(8) 「起き上がる」 マルコによる福音書2:1-12、 列王記下4:18-37 ・ この前、私達は1:40-45の「一人の重い皮膚病を患った人の治癒」の出来事において、イエスの人格の秘密にふれて考えさせられました。イエスは…

船越通信№15

船越通信№15 2011年7月17日 ・ 7月10日の礼拝は、午後私の就任式がありますので司式をしてくださるK牧師をはじめ、前任地の紅葉坂教会の方々、以前紅葉坂教会にいて千葉の教会に転会したご夫妻の方、私のブログで知ったのでしょうか、一度船越教会…

黙想と祈りの夕べ通信(1)

私はこのブログでいくつか連載をしています。「船越通信」、「マルコ福音書による説教」、「父北村雨垂とその作品」の三つです。今回もう一つ連載を加えることにしました。それは、1999年10月から2010年9月末まで11年間紅葉坂教会時代に続けました「黙想と祈…

父北村雨垂とその作品(9)

父北村雨垂とその作品(9) 以下「・・・と私」は習作かも知れません。原稿は訂正・付加だらけです。後から同じテーマのまとまった作品が出てきますので、これは割愛してもよいのかも知れませんが、掲載しておきます。 「種と私」 種が私の 同情と敵意を堅く閉…

マルコ福音書による説教(7)

「手をとって起こす」 歴代誌上29:6-19、 マルコによる福音書1:40-45 ・ この記事は、内容的には二つの部分に分けられます。そして、二つの部分には、それぞれ違ったイエスの姿を見出すことが出来ます。 ・ 40-42節、 ここでは、ひとりの重い皮膚病を…

父北村雨垂とその作品(8)

父北村雨垂とその作品(8) 「私」 無象の分裂の無形の結晶の私の意識 分裂の胎児の私の辨証の夢の円環 「時間と私」 私に分裂が 分裂を姙んで 時間に増減がない 私に分裂が 分裂をころして 時間に増減がない 私に分裂が 有限の時間を 無限の零に 歩いた 私…

私の牧師就任式を終えて

昨日は私の牧師就任式が船越教会で行なわれました。 ・ この就任式は教団・教区に承認されたものではありません。私は教団にあっては教師免職という立場にありますので、教団の公式の立場からすれば、免職になった教師の牧師就任式はあり得ないからです。け…

船越通信№14

船越通信№14 2011年7月10日 ・ 7月3日の日曜日は、礼拝後皆で10日の就任式の会場づくりをしました。牧師館の屋根裏物置き部屋から椅子を出したり、スリッパを用意したりしました。その後役員会を開き、通常の議題の他には就任式の打ち合わせと8月以降の役…

マルコ福音書による説教(6)

マルコ福音書による説教(6) 「どんなときでも」 歴代誌下15:1-8、 マルコによる福音書1:29-39 ・ 私たちの中には聖書の時代の人々と同様に、いろいろな苦しみを背負って生きている人々がいます。その中でも病気は私たちが経験する大きな苦しみの一…

父北村雨垂とその作品(7)

父北村雨垂その作品(7) 今回は「酒とたばこ」「蛇」「三月」「顔」三部作を紹介します。 「酒とたばこ」 酒とたばこ 誰も英雄を信じてゐる 酒とたばこ 口紅だの 白粉だの 酒とたばこ 疾(疲?)れたんだと哄笑した 酒とたばこ 軽音楽の嫌いな私 酒とたば…

父北村雨垂とその作品(6)

父北村雨垂とその作品(6) 「正午」 正午の下に 喚く悲劇の群集 正午 そのとき別に驚きもしない 歩く正午 夢も正午を 歩きたがる 宿命の はっきりしてゐない 正午 追憶の あしあとだ 私の正午 虚構の苔が 私の正午の衣裳 正午のあけぼの たそがれの正午が …

父北村雨垂とその作品(5)

父北村雨垂とその作品(5) 今日は「燈台」「さくら」「道化師 ( ピエロ )」という作品を紹介します。 「燈台」 燈台は まっかに陽を浴びる 非情のまま 水平線に 春が来た 冬が来た 燈台 燈台の 獨語が青空に消えた 燈台は 精神年令が若い 眞晝 潮騒に 燈台…

神さま助けて

これは、紅葉坂教会時代に「こどもと大人の合同礼拝」でのお話し(説教)です。2008年7月第1主日です。ちょうど今の時期ですので載せます。 「神さま助けて」 詩編69編14-16節 「あなたに向かってわたしは祈ります。 主よ、御旨にかなうときに 神よ、…

船越通信№13

船越通信№13 2011年7月3日 ・ 6月25日(土)には第126回神奈川教区総会が清水ケ丘教会で開催されました。この総会は准允・按手以外は、2010年度の諸報告が内容です。議員提案議案として「北村慈郎教師の免職処分への抗議ならびに処分撤回を求める件…

マルコ福音書による説教(5)

「いのちの力」 申命記30:11-15、 マルコによる福音書1:21~28 ・ イエスが私たちの中に来られるとき、イエスはどのような方として到来されるのでしょうか。また、イエスの到来によって私たちの中にどんなことが起こるのでしょうか。マルコに…