なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(4)

  1999年10月から2010年9月末まで11年間紅葉坂教会時代に続けました「黙想と祈りの夕べ通信をこのブログに再録します。再録の意図は、2011年7月15日のこのブログに、「黙想と祈りの夕べ通信(1)」を掲載した時に書きましたので、そこを参照ください。
 
 黙想と祈りの夕べ(4)
   (通信№ 3  19991017発行)
 
 10日の「黙想と祈りの夕べ」の分かち合いでは、私から二つのことをお話しました。一つは、今病院に入院している死期を間近にしている姉妹のことです。ご家族の方々が出来るだけのことを尽くておられますが、看取るご家族の方々も姉妹の死期が間近かであることを受け容れておられます。その姉妹とご家族を覚えて祈っていただきたいと、お願いしました。もう一つは、教会でも何人かの人が関わっています野宿者のことです。最近の朝日新聞川崎市が行ったアンケ-ト調査の報告が載っていました。それによると、「野宿者の半数は50代で、8割は失業がきっかけ」ということでした。また、「中高年が多く、一年以上屋外で暮らしている人が七割近くいる。…96%が労働意欲を持っていて、うち75%が建設の仕事を望んでいる。『働きたくない』とはっきり答えた人は、一人もいなかったという。野宿を続けず、何らかの施設に入所することを望む人も66%いた」と記されていました。どんな人にも優しい社会が求められながら、現実は川崎市の場合もそうなのですが、野宿者へのパン券支給予算が足りなくなるいという理由で、経費の切り詰めが行なわれようとしています。私たちは野宿者を切り捨てることのない社会を創り出したいと思いますし、私たちに何ができるかを考え、実行して行く者でありたいと願います。分かち合いの時にそのようなことをお話しさせてもらいました。
 二回目の夕べには、5人の新しい方が来てくださいました。その中の2人は父親と娘で、以前に紅葉坂教会の礼拝に出席したことがあり、今回教会から出した案内によってこの会を知り、来られたということでした。二回目にしてそのような方が来てくださったことは、私には大変うれしいことでした。
 翌朝月曜日の朝、犬の散歩をして帰ってきて、連れ合いが女性会議に出席していて留守でしたので、教会の前の植木に水をやっていました。すると犬の散歩の前に開けておいた玄関(ウイ-クデイの朝仕事へ行く前に礼拝堂で祈りたいという人のために開けるようにしています)から、若い女の子が出てきました。彼女は礼拝堂に入らせてもらいましたと言って、私に牧師さんですかと言うので、そうですと答え、小集会室でしばらくお話しました。彼女はテレビドラマを見て、祈ったり悩みを聞いてくれる教会に行ってみたくなったというのです。自分の家は仏教でお寺があるが、そういう感じではないのでと。しばらく話していたら、三浦綾子の『塩狩峠』の中に、イエスが十字架に死んだのは、私の罪のためだというところがあるが、私にはそうは思えないというキリスト教の本質を突くような質問が、彼女から出ました。私は、正統的な日本のキリスト教も、「私の罪のためにキリストは死んでくれた」というキリストの贖罪信仰が中心的であることをお話しました。けれども、私自身は、十字架という刑がロ-マ帝国への反逆者への処刑という面から考えて、キリストの贖罪は個人の内面的な罪だけではなく人間の集合的な罪と関わるように思っているというお話をしました。彼女との不思議な出会いは、若い人の魂が道を求めて熱いものがあることを、改めて私に気づかせてくれました。時々買物に出掛けるMM21のランドマ-クやクィンズビル、そして最近オ-プンしたワ-ルドポ-タ-ズには、休日には特に若者が溢れます。こんなに若い人がいるのかと、びっくりする程です。その一人一人の魂に届く福音の光を求めて行きたいと思います。
 (この文章を書いて十数年経ちますが、まだまだ若い人の魂に届く福音の光を求める旅を続けているところです。)