なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(613)

この「船越通信(613)」には、前回の「船越通信(612)」掲載で、付言として載せた文章の一部が重複して出て来ますので、ご容赦ください。

 

船越通信、№613  2024年4月21日(日)北村慈郎

  • 13日(土)13:30から横浜線橋本駅下車3分のソレイユさがみセミナールーム1で、「神奈川の基地はどう動いたか 2023-24年春、4/13スライド上映会」が相模補給廠監視団主催でありました。私も参加を予定していましたが、説教準備とこの日は総会資料と教会だより「船越の丘から」第29号の印刷もあり、残念ながら欠席しました。参加された方の話では、神奈川全体の米軍基地の最近の動きがそれぞれの地域に関わる5人の発題者によってよく分かったということです。5人の発題者が関わっている地域の米軍基地は、横須賀基地郡、横浜ノースドック、厚木基地、キャンプ座間、相模補給廠です。神奈川県内には南は横須賀基地から北は相模補給廠まで、米軍基地は全部で12カ所ありますが、主な所は上記5カ所です。それぞれの場所で日常的に米軍基地の監視活動をされている方がいるのです。その方々の地道な作業によって基地の現状を知ることができます。その認識を基地撤去の運動に繋げていくことができればと思っています。この日は午後5時過ぎに船越教会に行き、上記印刷作業をして、14日の日曜日に備えました。
  • 14日(日)は礼拝後何もありませんでしたので、比較的早めに散会しました。私は後片付けをしてしばらく休み、午後1時すぎのバスで追浜に出て、鶴巻に午後3時半ごろ帰りました。この日は娘が近隣の農家の野菜でサラダを3種類作っていてくれて、デリバリーでピザを取って夕食にしました。その後娘が横浜へ帰ってから、日帰り温泉弘法の里湯に行き、疲れを癒して、この日は早めに床に着き、ゆっくり休みました。
  • 15日(月)には、21日(日)に礼拝後行う2024年度教会総会の資料と教会だより「船越の丘から」第29号を、14日(日)礼拝に来られなかった教会員の方々(12名)に郵送しました。16日には午後7時から支援会のZoomによる世話人・事務局会を予定していましたが、この日はどういうわけかホストの事務局長のKからメールでおくられてきたURLを開いたら、今まではすぐにZoomの画面に入れたのですが、今回はサインを求められ、私の技術ではなかなか入れませんでした。何回かKさんと電話でやりとりをして、やっと参加できました。このZoom会議は午後7時開始の予定でしたが、私が入れたのが午後7時半近くになってしまいました。7名は入れましたが、後の3名の方はどうしても入れず、この日の会議は通信33号原稿確認と締め切り日及び発行予定時期の確認を中心に話し合い、早めに終えました。インターネットは便利ですが、対応できませんと、何の役にも立ちません。私のようなものでもパソコンが使えなくなると、大変困ります。パソコンについてはトラブルが起こると、自分では対応できませんので、娘に頼って何とかやれているのが現状です。はなはだ心もとない状態ですが、已もう得ません。
  • 18日(木)は、午後遅くに雨という天気予報でしたが、国会前の座り込みに行きました。この日は常連の三人ともう一人の四人が午後1時から午後4時少し前までの最初から最後まで座り込みましたが、途中他の集会に行かれた二人の方と午後3時以降参加された3人の方とで、合計9人の方が座り込みました。また、この日は私たちの座り込みの取材をされる方があり、この座り込みに最初(20年前)から参加しているY子さんが対応してくださいました。話し合いを終えて、取材をされた方が写真を撮らせて下さいと言うので、その時いた6人で横断幕の前に座り、写真を撮ってもらいました。この日はまた、宗教者平和ネットの集会に参加する私の友人が、2月と3月は宗教者平和ネットの集会が水曜日開催だったので、久しぶりと言って往きと帰りに声をかけてくれました。彼は「岸田首相は何を考えているのか。どんどん日本はおかしくなっていくね!」と言っていました。本当にそうです。辺野古では代執行によって大浦湾の埋立てが進められています。東京新聞の記事によれば、遺骨が埋まっている沖縄の南部の戦績跡の土砂は反対が強いので、奄美の土砂を大浦湾の埋立てに使おうとしていると書いてありました。何が何でも国は辺野古新基地建設を進めようとしていますが、例え辺野古新基地が完成したとしても、米軍は普天間の返還には、辺野古新基地につくられる滑走路では十分訓練ができないので応じないだろうと言われています。結果的に普天間辺野古新基地も米軍が使うようになるかも知れません。それでも国は辺野古新基地建設によって経済が潤ったのだから、それでよしとすると言うのでしょうか。もしそうだとするならば、経済成長のためには戦争も已もう得ないということになってしまいます。沢山儲けようとする人には、自分が戦争の犠牲にならない限り、戦争は好都合です。陰でそういう人々が戦争を目論んでいるのかも知れません。既に帰天されている沖縄のバプテスト教会牧師の饒平名長秀さんは、教会についてこのように言っています。「教会というのは。私はある意味では神の国のひな型だと思うんですね、ある意味でですね。教会は神の国ではない、しかしやはり神の国を目指していて、これは多分いつ果てるともない働きかも知れませんけれど、目標としてはですねそういう共同体ですね。それが目指されていくとですね、神の国の形になっていくという、そういう小さな共同体が沢山出来る。沢山できて、その共同体のまさに共同体同士の連盟というんでしょうか、全体の組織ですね。そこには支配関係もないし搾取関係もないです。草の根的ですね、ドンドン広がっていくと。ですから勿論そこに経済も入っているわけで、相互扶助的に経済も入っているわけで、そこからやがて現在ある国家というものを無化していく、弱くしていく、国家体制というものは、ある意味で支配の組織ですから、こういうものは暴力組織ですからこれを無化していくと。それから経済の資本主義を無化していくというね、資本主義を無化していくという、そういうふうに組織がドンドンその小さな群れが皆一つになっていく、小から中、中から大というふうなのが、あるいはあるかも知れませんけれど少なくともそこには権力は存在しない、支配、被支配、搾取、被搾取の関係はないと、差別、被差別もない、そういう世界です。だから最終的には国家もなくなるし資本主義もなくなる。それが私の教会だと思っています」(『旧沖縄キリスト教団第二世代牧師懇談会会議録』173-174頁)。そういう饒平名さんの言う教会のような下からの小さな共同体の連合によって搾取と戦争ではなく分ち合いと平和が実現するのでしょう。この日は座り込みの後、なか伝での寿地区活動委員会に出席しました。