なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2012-06-01から1ヶ月間の記事一覧

マルコ福音書による説教(53)

マルコ福音書による説教(53) マルコによる福音書12:35-37、 ・先々週の礼拝では、マルコによる福音書12章28-34節のところを学びました。そのところには、神が私たちに示してくれている命に至る道としての、神の掟の第一は、「神を愛する…

父北村雨垂とその作品(111)

今日は「父北村雨垂とその作品(111)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(111) 1964年(昭和39年)日記より(その4) 1月27日 午後、痔による出血多量、ニ三日前から多少は出てゐたので注意はしてゐたのだが、大体血圧が高い故、瀉血のつもりで…

黙想と祈りの夕べ通信(123、復刻版)

今日は「黙想と祈りの夕べ通信(123、復刻版)」を掲載します。 黙想と祈りの夕べ(通信123[3-18]2002・2・ 3 発行)復刻版 この日のローズンゲンの主日聖書箇所の一つはマタイによる福音書20章1-16節でした。イエスの日雇い動労者の譬…

牧師室から(9)

今日は、以前に教会の機関紙に書いていた「牧師室から(9)」を掲載します。 牧師室から(9) 九月末に夏休みの後半をもらい、信州上田から一時間ほど松本方面に入ったところにある鹿教湯温泉の小さな宿で三泊四日を一人で過ごしました。一人でゆっくり考…

父北村雨垂とその作品(110)

昨夜は神奈川教区性差別問題特別委員会、セクシュアル・ハラスメント相談窓口設置準備委員会、社会福祉小委員会の共催の集会が紅葉坂教会であり、私も出席しました。「第36回 女性と男性の共生をめざす集い」で、「立ち上がる選択:性暴力を許さない社会のた…

「わたしはフェミニスト神学によっていかに解放されたか」発題

神奈川教区には有志による「フェミニスト神学の会」があり、毎年夏に一泊二日の集会を持っています。私は1995年に紅葉坂教会の牧師として横浜に帰ってきてから、このフェミニスト神学の会には、他に予定がない時には必ず参加しています。昨年は船越教会を会…

船越通信(63)

船越通信癸僑魁 。横娃隠嫁6月24日 ・6月17日の日曜日の礼拝の出席者は、この日は礼拝に来れないと連絡を受けていた方も多く、それぞれ役割を与えられた4人だけでした。私が昨年4月に船越教会に来てからの礼拝では、最も少ない人数でした。けれども、礼拝…

マルコ福音書による説教(52)

マルコ福音書による説教(52)マルコによる福音書12:28-34、 ・福音書を読んでいますと、イエスとイエスに従っていった人々に対して、ファリサイ人、律法学者が、何か根本的に相対立するものとして描かれています。両者は、相反する立場にあって、…

黙想と祈りの夕べ通信(122、復刻版)

黙想と祈りの夕べ(通信122[-17]2002・1・27)復刻版 新しい年になってはじめて鎌倉の軽費有料老人ホームの聖書を学ぶ会に伺いました。そのホームには教会員のYさんが入所しており、彼女の訪問を兼ねて、隔月の聖書を学ぶ会を担当するようになって、かれこれ…

父北村雨垂とその作品(109)

今日は「父北村雨垂とその作品(109)」を掲載します。今日はこれから国会前の辺野古新基地建設反対の国会前座り込みに行き、それから船越教会に移動します。夜は船越教会の聖書研究会で上村静さんの『旧約聖書と新約聖書~「聖書」とは何か』の序章を読…

牧師室から(8)

今日は、大分前に教会の機関紙に書いた「牧師室から」を掲載します。 昨日は6月には珍しい台風襲来で日本列島が混乱に陥りました。このところ自然災害が続きます。人間の環境破壊の影響か、地球が変動期を迎えているのか、よく分かりませんが、何れにしろ、…

父北村雨垂とその作品(108)

「父北村雨垂とその作品(108)」 父の句は既にほとんどこのブログに掲載したと思います。父は自分の句をノートにまとめていますが、一度だけではないようで、そのようなノートが数冊あります。このブログには既に4冊のノートから父の句を掲載しましたが…

牧師室から(7)

今日は、大分前に教会の機関紙に書いたものですが、ここに掲載します。 牧師室から(7) 私たち人間は社会に生きていますので、どうしても社会の中での自分の存在を見出さなければなりません。いろいろな社会の規範も守れるものは守っていかなければなりま…

船越通信(62)

船越通信癸僑押 。横娃隠嫁6月17日 ・10日の礼拝には二人の新しい人がいらっしゃいました。一人の方は、金沢八景にお住まいの方で、近所の方から船越教会を紹介されて来た方です。この方に船越教会を紹介された方は、今は教会には行っていないと言ってい…

マルコ福音書による説教(51)

マルコ福音書による説教(51)マルコによる福音書12:18-27、 ・今日の記事に登場してくるのは、「死人の復活」などはあるはずがないと思っていたサドカイ人たちです。「死人の復活」などあるはずがないということは、死人の復活が蘇生を意味すると…

黙想地祈りの夕べ通信(121、復刻版)

黙想と祈りの夕べ通信復刻版(121、2002・1・20 発行) 最近ヘンリー・ナウエンの著作を何冊か読みました。今朝の日曜学校中高科の礼拝でも引用させてもらいましたが、ナウエンはカトリックの司祭ですが、20年間位大学で教えた後、バニエがはじめ…

父北村雨垂とその作品(107)と裁判支援会通信2号発送

今日は「父北村雨垂とその作品(107)」を掲載します。これで4冊目のノートからの写しが終わります。まだ数冊のノートがありますが、多分重複している句が多いと思いますので、調べながら少しずつこのブログに掲載していきたいと思います。 父北村雨垂と…

牧師室から(6)

今日も「牧師室から(6)」を掲載します。 今日はこれから藤沢で、わたしの裁判の支援会事務局の方々で、通信2号の発想作業があり、これから出かけます。 牧師室から(6) いろいろな事情で多くの人が経験していることをその時には経験せずに、後から経験…

牧師室から(5)

今日は「牧師室から(5)」を掲載します。これも大分前に書いたものですが、読んでいただければ幸いです。 昨日は久しぶりに国会前の辺野古新基地反対座り込みに行ってきました。いつも座り込みの用具や垂れ幕などを、預けている所から座り込みをしている議…

父北村雨垂とその作品(106)

今日は「父北村雨垂とその作品(106)」を掲載します。 昨日の船越の礼拝に二人の新しい出席者がありました。一人は、私の戒規免職裁判に関心を持ってくださったカトリック教会の信徒の方で、もう10年以上教会には行っていないと言われていた方ですが、横…

船越通信(61)

船越通信癸僑院 。横娃隠嫁6月10日 ・6月3日の日曜日は、礼拝後テーマ話し合いが「わたしが疑問に思うこと」と題して行われました。発題はMさんでした。用意したレジメの沿って発題をしてくれました。~ケ朸飢颪悄 申し訳なさ(北村先生が紅葉坂教会時代…

マルコ福音書による説教(49)

マルコ福音書による説教(49)マルコによる福音書12:13-17、 ・今日与えられたマルコによる福音書の「納税についての問答」は、福音書のなかに残されていますイエスに関する物語の中では、直接政治にまつわる問題(国家に対する態度)に関係する唯…

黙想と祈りの夕べ通信(120、復刻版)

黙想と祈りの夕べ(通信 120[-15]2002・1・13)復刻版 今日の礼拝に、昨年のクリスマス前後に召されたH兄とK兄のお連れ合いTさんとYさんが見えていました。お二人は80代後半と60代前半という違いはあっても、長年夫婦として連れ添った夫が召されて、一人になっ…

黙想と祈りの夕べ通信(119、復刻版)

黙想と祈りの夕べ(通信 119[-14]2002・1・6発行)復刻版 2001年も過ぎようとしています。今年は9月11日の事件以来の出来事を含めて、いろいろなことがあり、また21世紀の最初の年ということもあり、考えさせられることが多くありました。その意味で、この年…

父北村雨垂とその作品(105)

今日も「父北村雨垂とその作品(105)」を掲載します。 北村雨垂とその作品(105) 対流 癸后“表 朝陽 夕陽 地獄の 猊の 右 左 風におどる 月は無限と 雲と駆る 閑として 能面に 秋の 光と影 能面や 日本海の 月に 雪に 碑(いしぶみ)に らくがきしたる…

父北村雨垂とその作品(104)

今日は「父北村雨垂とその作品(104)」を掲載します。「詩人ダビデ・・・」や「・・・ヨハネの首・・・」の句からも、父は聖書を読んでいたようです。 父北村雨垂とその作品(104) 対流 癸掘“表 月光や 落葉は 影と さまよえる 春が 轉んで 駆けて来 老婆 男…

第一回口頭弁論キリスト新聞記事と信仰職制委員会報告

キリスト新聞(2012年6月9日発行)3面に私の裁判の記事が載りました。以下紹介します。 表題 《日基教団「北村裁判」第1回口頭弁論 双方の主張かみ合わず》 未受洗者への配餐を理由に日本基督教団(山北宣久総会議長・当時)から免職の戒規処分を受けた北村…

船越通信(60)

船越通信癸僑亜 。横娃隠嫁6月3日 ・5月27日はペンテコステの礼拝でした。礼拝説教では、何時ものマルコ福音書ではなくコリントの信徒への手紙二、3章をテキストにしました。「主の霊のおられるところに自由がある」というパウロの言葉に焦点を当てて…

牧師室から(4)

牧師室から(4) この「牧師室から」は紅葉坂教会時代に教会の機関紙に毎月書いたものです。 十一月六日に教区社会福祉小委員会主催の千葉館山の「かにた村」を訪ねる集いに参加しました。以前から一度訪ねたいと思っていた所でしたので、実際に「かにた村…

黙想と祈りの夕べ通信(118、復刻版)

昨日、一昨日と箱根の自然に包まれてきました。雄大な山並みと木々の緑の豊かさはに圧倒されました。二日とも湿生花園を楽しみました。以下は、少し季節外れですが、黙想と祈りの夕べ通信(118、復刻版)を掲載します。 黙想と祈りの夕べ(通信復刻版11…