なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(111)

今日は「父北村雨垂とその作品(111)」を掲載します。

父北村雨垂とその作品(111)

1964年(昭和39年)日記より(その4)

1月27日

 午後、痔による出血多量、ニ三日前から多少は出てゐたので注意はしてゐたのだが、大体血圧が高い故、瀉血のつもりで別に驚きもしないが、余り気分のいいものでもない。

 K君からハガキが届く。乙会を彼の家でやること、日時を私に決めて呉れとのこと。I氏の都合を聞くこと、会費は500円位にしたいこと等々。近日中にI氏と打合わせをせねばならぬ。面倒なことである。

 ラジオがフランスの中国承認を報じ、解説や座談会を放送する。現実に厳然と存在してゐるものを、承認するの、しないのと言ふ馬鹿らしいこと。世界の一大事件のように騒ぎたてること自体がおかしい。台湾政府が青筋をたてるのが、そもそもおかしい。遠吠えする野犬に等しい。後世の歴史家の笑ひ草となるであらう。アメリカの連中も現実に目をおほおてゐる愚劣さを改むべきである。自国の利益にばかりこだわってゐるあいだは、世界の指導者としては落第である。フルシチョフアメリカの大統領としたら結構面白いものが生れると考へた。如何!!

 眞に偉大な政治家は人類の幸福を考へ大衆の人気には顧慮しないだけの意志と力を持った者である。

2月9日

 昨日は一日中雨だった。今日は止むかと思ったら、雪である。よくもこう續くものである。・・・・・朝食の仕度をする。水道の水は思ったより冷たくない。味噌汁を作る。ネギ、玉ネギ、馬鈴薯と有り合わせのものを入る。

・・・このところ食慾が大分少くなった。酒も今月になって昨夜Kで二合ほど呑んだだけだ。きち女がづっと側にゐて呉れて酌いで呉れた。たった二本の酒にこれだけ気をつかって呉れることを感謝しなければなるまい。愉快であったが体力の衰えは否めない。これも自然現象であらう。

 食後長男は散髪に行くと出て行った。いづれ映画でもみて来るのであらう。若い人間が日曜を一日家の中でぼんやりして居られる訳がない。午前中ベットの上でうとうとしてゐた。雪は休みなく降ってゐるが地熱のためか。都会地のためか少しも積もりはしない。

 午後T氏が例の金をとりに来る。彼はもう七十を越えてゐるが、この降雪の中を大した意気と体力である。彼の長女の話が出る。しきりと世間体を気にしてゐる。四十後家のむづかしさを悲しむ様子だった。ひとおのおの個性がある。体力もまた同じである。彼が彼女の不倖せを早く開放することに努力してゐたら或いは今日の状態とは大分違ってゐたかも知れない。然しこれも今日になって、あれこれ考へる人間の悲しい性癖かも知れない。彼女は今日ある状態になる必然的な運命であったかも知れないし、彼女の現在の心境は、決して悲しんではいない。むしろ朗々たる状態に見受けられる。たとえT氏が彼女の実父であらうとも、彼女は彼女として厳然とひとりの人格である。T如何に父であらうとも、人格としては所詮他人でしかない。下らぬ愚痴はいふべからず。