なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品

父北村雨垂とその作品(214)

今日の分で「父北村雨垂とその作品」の掲載は終わりたいと思います。後私の手元には一冊の原稿日記 が残されていますが、それはほとんど既に掲載した父の句(現代川柳)を自分でまとめたもので、多分新 しいものはないと思われるからです。また、時間があり…

父北村雨垂とその作品(213)

昨日は、神奈川教区社会委員会主催の「平和集会」が、午後3時から清水ヶ丘教会であり、猛暑の中私 も参加しました。講演は、「東アジアの平和と日本国憲法~歴史認識と自民党改憲草案」という題で、関 東学院大学経済学部教授の林博史さんがしてくれました。…

父北村雨垂とその作品(212)

今日は「父北村雨垂とその作品(212)を掲載します。 父北村雨垂とその作品(212) 原稿日記「風雪」から(その31) 禅学の思想の特長は、物、心両面即ち、身、心の両極を共に捨象する處に抜群の特長がある。それが禅 者に於ける「無」であり「空」…

父北村雨垂とその作品(211)

今日は、「父北村雨垂とその作品(211)」を掲載します。いよいよ後2回くらいで終わります。 父北村雨垂とその作品(211) 原稿日記「風雪」から(その30) 禅者の観じたと考えられる宇宙に於いてのその現象的世界の創造とするそれは即ち直観―禅者自…

父北村雨垂とその作品(210)

昨日は、前日夜船越教会に泊まり、教会員の方の自動車をお借りし、朝からシャワーの会(路上生活者 のパトロール)に3人で出かけました。午前中で終わり、京急横須賀中央で2人と別れ、鶴巻に帰ってきま した。 さて、今日は「父北村雨垂とその作品(210)…

父北村雨垂とその作品(209)

昨日は、日曜礼拝が終わった後、しばらく礼拝出席者のみなさんと懇談して散会しました。午後6時か ら紅葉坂教会で第57回かながわ明日の教団を考える会があり、私も準備してその会に出席しました。前半 は、岩井健作さんに発題してもらって、教団宣教研究所か…

父北村雨垂とその作品(208)

20日の土曜日から22日の月曜日まで、岩手の奥中山教会と盛岡に行ってきました。21日の奥中山教会で は教会創立記念礼拝の礼拝説教を担当させていただきました。奥中山教会は創立32年、伝道所の設立から しますと62年になります。 私が奥中山教会の創立記念礼…

父北村雨垂とその作品(207)

今日は「父北村雨垂とその作品(207)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(207) 原稿日記「風雪」から(その28) 思想はときに論理に関心を持たない状態に於いて成立せしめる場合即ち論理を疎外する場を持つ場合も 在り得る。がしかし哲学は論…

父北村雨垂とその作品(206)

今日これから私の裁判支援会の事務局会に行きます。最高裁の上告書は8月末から9月初めまでにまとめ ればよいようですので、先ずは控訴審判決却下の報告を中心に通信第8号の編集が課題です。この8号は支 援者約900名と共に教団の全教会に発送する予定です。 …

父北村雨垂とその作品(205)

昨日から大変暑くなっています。くれぐれも熱中症にいは気をつけてください。さて、今日は「父北村 雨垂とその作品(205)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(205) 原稿日記「風雪」から(その26) 信を基体としてその禅定に依る禅者の把持し…

父北村雨垂とその作品(204)

説教演習を受け持つようになって、改めて説教についていろいろと考えさせられています。説教がキリ スト教イデオロギーの垂れ流しにもなり得ますし、イエスの福音の出来事を現在的に物語る可能性でもあ るように思われます。説教者の生き様も問われることに…

父北村雨垂とその作品(203)

7月に入りました。10日後には私の裁判の控訴審判決の言い渡しです。 今日は「父北村雨垂とその作品(203)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(203) 原稿日記「風雪」から(その24) 芭蕉と禅について 釈宗演師はその著『枯華微笑』に於いて(…

父北村雨垂とその作品(202)

昨日弁護士を通して「準備書面」を裁判所に提出しました。これで後は7月10日の控訴審判決を待つの みです。支援会通信7号の原稿も整い、こちらも後は印刷発送するのみです。 さて、今日は「父北村雨垂とその作品(202)」を掲載します。 父北村雨垂とその…

父北村雨垂とその作品(201)

昨日は午後なか伝でI牧師の就任式があり、私も連れ合いも出席しました。就任式は常置委員のO牧師 が司式しました。I牧師も0牧師も女性教職です。就任式後、I牧師とこの3月までなか伝で主任担任教 師をしていたW牧師から発言がありました。その後出席…

父北村雨垂とその作品(200)

昨日は、鶴巻で行っている月一回の集まりがあり、一日そのことに時間を使いました。聖書を学び、温 泉に入り、食卓を囲むという会で、昨日は私たち夫婦を含めて5人でした。先週の末頃から、裁判の関係 のやるべきことが集中し、そのために時間を使いました。…

父北村雨垂とその作品(199)

今日は「父北村雨垂とその作品(199)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(199) 原稿日記「風雪」から(その20) 思想の自家中毒化現象を怖る 思想は人類にみがもつ一般生物から超出した文化現象を現出したと同時に当然の進化現象として物、 心…

父北村雨垂とその作品(198)

今日は「父北村雨垂とその作品(197)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(198) 原稿日記「風雪」から(その19) 西欧哲学はその源泉を古代ギリシャ思想から始り、その中核をソクラテスからプラトン、アリストテレ スへと流れ、次第に物心両面…

父北村雨垂とその作品(197)

今日は「父北村雨垂とその作品(197)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(197) 原稿日記「風雪」から(その18) 宮城音弥著『心とは何か』の中で書いているp.56の10行以下の欧米の一部の心理学者の見解は東洋に 於ける禅者が指摘するところの…

父北村雨垂とその作品(196)

今日は午後3時から、私の裁判の第一回控訴審があります。私の方の控訴理由書に対する反論が記され ている教団側から準備書面に目を通しましたが、それを読む限り、教団側は何が何でも私を免職処分にし た手続きの問題には触れさせないぞという姿勢で貫かれて…

父北村雨垂とその作品(195)

昨日は久しぶりに連れ合いと二人で、立川の昭和公園に行ってきました。ポピーを見るのが第一の動機 でした。私ははじめてでしたが、広々としたこの公園の面積の大きさにびっくりしました。ポピーはもう 終わりに近い状態でしたが、楽しむことができました。…

父北村雨垂とその作品(194)

今日は「父北村雨垂とその作品(194)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(194) 原稿日記「風雪」から(その15) 禅学における現象の体得即ち実存に依る体験型現象観 ― 換言すれば感触から生成した現象理念 ― と西欧哲学から生成した現象学とは…

父北村雨垂とその作品(193)

今日は「父北村雨垂とその作品(193)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(193) 原稿日記「風雪」から(その14) 禅と日本文化の著者であり、その他多くの禅文化を世界に照会した偉大な禅学提唱者鈴木大拙先生は、 私は西田幾多郎先生と共に尊…

父北村雨垂とその作品(192)

今日は「父北村雨垂とその作品(192)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(192) 原稿日記「風雪」から(その13) かつての人間はその精神によって「神」としてその尊敬する意識を具象化して「御神体」を創造した。 それが現在では極端に唯物思…

父北村雨垂とその作品(191)

今日は「父北村雨垂とその作品(191)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(191) 原稿日記「風雪」から(その12) 宇宙の何処を探しても 神と仏の占める 空間も時間もない 宇宙の何処を探しても 点と線の占める 空間も時間もない 何故に神も仏も…

父北村雨垂とその作品(190)

今日は「父北村雨垂とその作品(190)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(190) 原稿日記「風雪」から(その11) 禅語録(p.300)に於いて洞山は未だ無情説法を体得できず、又た雲厳に重ねて前旨を問うが「水上座 よ、この大事をものにするには…

父北村雨垂その作品(189)

昨日は午後6時から神奈川教区の常置委員会があり、私も出席しましたが、咽喉の腫れと時々咳が止ま らない状態でしたので、まだ会議の途中でしたが、8時前に失礼して、鶴巻に引き上げました。4月の末あ たりから咽喉に違和感を感じ始めていましたが、比較的寒…

父北村雨垂とSの作品(188)

今日は、今年のゴールデンウィークの最後の日になります。「父北村雨垂とその作品(188)」を掲 載します。 父北村雨垂とその作品(188) 原稿日記「風雪」から(その9) 芭蕉と禅僧仏頂和尚(根本寺) 芭蕉は水戸鹿島の根本寺の和尚仏頂から得た六祖…

父北村雨垂とその作品(187)

今日は「父北村雨垂そその作品(187)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(187) 原稿日記「風雪」から(その8) 嘗て曾つ 嘗て私のそていした「禅者の観た眞理」なる「現象を内に包む無の世界」を現在の専門哲学者はもとよ り一般知識人はおそら…

父北村雨垂とその作品(186)

今日は、「父北村雨垂とその作品(186)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(186) 原稿日記「風雪」から(その7) 禅者のしばしば発言するところの『如々』は私の云うところの『禅者の観た眞理』のことであり、現象 学的世界像であり、これが眞…

父北村雨垂とその作品(185)

今日は、「父北村雨垂とその作品(185)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(185) 原稿日記「風雪」から(その6) 度々云うようであるが一般哲学者が常用する「無」はあくまでも考えられた無であり、禅者の断ずる無 は感触による命題である。竜…