7月に入りました。10日後には私の裁判の控訴審判決の言い渡しです。
今日は「父北村雨垂とその作品(203)」を掲載します。
父北村雨垂とその作品(203)
原稿日記「風雪」から(その24)
芭蕉と禅について
釈宗演師はその著『枯華微笑』に於いて(p.72)芭蕉が禅を水戸の鹿島の根本寺で仏頂和尚から得たと
云ひ、その和尚から禅を学び、そして俳句に妙を得たと云ひ、その妙はどこから出たかと云えば心を練っ
たところから大悟した、そのことは伝記に詳しく書いてあると。そこで仏頂和尚が六祖五兵衛という門人
をつれてたまたま深川の芭蕉に逢ひに行かれた。その時六祖五兵衛が先にたって「いかなるかこれ閑庭草
木裏の仏法」と問うた。すると芭蕉が「葉々大底は大、小底は小」と答えた。すると今度は仏頂和尚がず
っと這入って来て「今日のこと什摩(そも)(?)生(さん)」と問われたら芭蕉答えて「雨過ぎて青苔湿
(うるお)う」と云った。和尚また問う「青苔いまだ生ぜず春雨いまだ爽たらざる時いかん」。その時にち
ょうど蛙が古池に飛びこんだ。芭蕉翁が悟りの極意を得たのである。それで和尚が汝は道の極意を得たと
云って印可証明を与えた ―以下略― 同著p.72-p.73
ここに悟道の境を捕える直観とそれが把握の原初となった直観を内蔵した意識なる感情が明らかに観え
る。
1984年(昭和59年)11月3日
私が現象世界的世界現象を法と(仏教)と云ひ、それが禅を始め仏教の眞理と断じたことについて秋野
孝道師はその著『禅の骨髄』p.126に於いて金剛経に応(おう)無(む)所住而生(しょじゅうにしょう)其
(ご)心(しん)とあって、一切万有は無住の所に住している。そのままが無住の様子である山と云うも川と
云うも草と云うも木と云うも皆因縁和合上の話で、山にあらず、川にあらず、草に非ず木に非ずと云うべ
きものであって、即ちそれ非らざるものをそれとしているまでのことである。かくの如く一切万有は仮有
(けう)のものであるが、さればその外に実在即ち何か別に眞有なるものがあるかと云うに決してそうでは
ない。畢竟(ひっきょう)仮有(けう)のものが眞実相である。世界そのものが非世界であると同時に非世界
そのままが世界である。このほかに世界は無い。眞空そのままが妙有である。即ち本来無一物であるから
永久無尽蔵である。永久無尽蔵であるから本来無一物の当相である。在る万有は皆これ禅の本領とすると
ころである。古則の中に「慮陸陵の米作摩(?)の価ぞ」ということばがあるがこの作摩(?)の値がよ
い、禅と云うは「作摩(?)の値を名づけたものである一切万有は価有りて価がない、価なくして価があ
る。畢竟(つまり)「作摩(?)の価というものより他に云いようがない何物を念じ来たるも皆この作摩
(?)の価ならざるものは塵一本もない ―以下、火、水、等を例として好悪の両価を指摘して証す
―略―
以上秋野孝道師著『禅の骨髄』より、
之が前記芭蕉開眼と同様に禅者が不立文字をしながら文字によって明らかに説いている禅の秘義であ
る。
1984年((昭和59年)11月4日
禅の構造を究めるに最も参考となると考えられるものに臨済録がある。その中に示衆の項に於いて示料
検(しりょうけん)なる事項がある。それは釈宗演師の著『枯華微笑』にも採りあげてあるが(第一編の
二、同書p.14)朝比奈宗源師訳注『臨済録』(p.37示象の一)と共に参考として比較研究する要あり。特
にここに記して後日深く研鑚すべき項である。
1984年(昭和59年)11月8日