なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(205)

 昨日から大変暑くなっています。くれぐれも熱中症にいは気をつけてください。さて、今日は「父北村

雨垂とその作品(205)」を掲載します。


               父北村雨垂とその作品(205)
  
  原稿日記「風雪」から(その26)
 
 信を基体としてその禅定に依る禅者の把持し得た悟境による眞実なる世界観境が眞理也とする法と、そ

の客観的表象としての仏が規定した平等と差別が西欧哲学即ちプラトンが発想と観られる弁証(或はソフ

ィストの詭弁が生成したと見られる弁証法)が歴史的発展によってカントの二律背反、ヘーゲルの精神と

歴史の弁証法を生成、マルクス或はエンゲルスその他による唯物論的性格を多分に持った弁証法となり、

一方フッサールとその系統なるハイデガー等が殊に後者の発想になる世界内存在なる存在論、禅者の宇宙

の自然現象的世界を偶然とも観られる一條の関聠を現出して来た点を吾々は眞剣に考える必要がある。こ

れは或る意味で天才とも見らえる仏国のベルグソンその他彼の後に続くが、むしろヘーゲルフッサール

による発展と観られる現象論的弁証法等々の混入をも含めて(之は甚大雑把な話で後に慎重に考慮すべき

課題であるが)特に注目すべき要件であると考えられる。

                         1984年(昭和59年)12月7日


 矛盾は自然の母体であり、動静の原型であり、力の源泉である。

                         1984年(昭和59年)12月9日


 臨済録の中にある〔勘弁第10、岩波版p.139〕師院主に問ふ耀(う)り得尽す什麼(いんも)の処よりか来

たる。主曰く州中に黄米を耀(う)り去り来たる 師曰く耀(う)り得尽すや 主曰く耀(う)り得尽す、師、

杖を以て画一画して曰く 還て這箇(しゃこ)を耀(う)り得てんや 主便ち喝す。師便ち打つ、典座至る、

師前話を挙す。典座曰く、院主、和尚の意を得せず、師曰く、儞作麼生 典座便ち礼拝す、師亦打つ

 眞に典型的な禅問答中の応答未完の図と云う可き一齣である。禅の問答の使命とする所は対者の修行が

完か未完かを観るところの一瞬の機会を目途とする、殊に師弟の間に於ける境地として絶好の場であり、

この一つの好例としてよいであらう。私の境を以てすれば即座に祖師達磨の第一の弟子慧可が師に対し自

分の心が弱い境に入り込んで居るが之を直して下さいと願った。その時師は即座「ではその心を出して下

さい。直ちに癒してあげませう」と云った古事。亦その他にいくつか在るが、そうした古事が完全に験者

の身について居れば、師は当然うなづいて呉れた筈である。私の仕事は甚だ拙いものであるが、要するに

院主や典座に修業未だしが、師臨済の心眼に明瞭に写し出された悪しき型体として取り上げられたもので

あらう。

                       1984年(昭和59年)12月10日

 禅語録 p.35  こころ 敦煌本『二入四行論』の第五十八段に下記の問答がある。この問答はやがて

ダルマと惠可とのものとして『祖堂集』や『伝灯録』なその禅宗史書をはじめ『無門関』四十一則などに

受けつがれてゆく。

 問い:「私にこころをおちつかせて下さい」

 答え:「君の心を持ってきなさい。君におちつかせてあげよう」

 これはもとは惠可と或る僧との対話であった。そして重要なのはそうした史実の詮索よりも、ここに禅

の哲学と実践が見事に表明されていることだ。禅の哲学と実践と云っても、大乗仏教の通説以外のものは

ない。先に引く『維摩経』の言葉を借りるなら、それは「輪廻に属する煩悩を断たないままで、しかも涅

槃にはいることにもなると云うように座禅しなさい」と云うことになる。それだけのことなら質問者はす

でにちゃんと心得ている。禅の最も得意とする所はそうした道理を即今脚下の具体的な行動とすることで

あり、そうしたきっかけを工夫したことだらう。質問者はおちつかぬ自分を持て余している。さうした不

安定な自分以外に別に自分が居るわけではないが、そんな説明をいくら加えてみても不安な相手を落ち着

かせることにならぬ。道理は百も承知の助だ。禅はここから出発する。惠可は実際に相手をおちつかせた

のである。それは大乗の思想以上に何か新しい思想をうわずみするのでなくて、大乗が大乗である所以の

道理を具体的に行動化するだけのことだ。或はそこに大小乗を分つ必要もあるまい。更には特に仏教の思

想に限ることもない。それはおよそ人間の思想が思想であることの生きた実証である仏教以前の事実であ

る。それがダルマに始まる禅の思想の歴史的意義であった。

 同師は尚も言葉をつづけて、「二入四行論」は実は上記の一問一答につづいて、次のようなコメントを

添えている。たとえば裁縫の職人に布を裁断してもらおうとするようなものだ。職人は君の布を手にとっ

てはじめて鋏を入れることができる。もともと布が見当たらぬのに君は虚無に裁断してあげられようか、

君が心をわたしに差し出せぬ以上、わたしはいったい君にどんな心をおちつかせてあげると云うのか。私

は虚無をおちつかせるわけにはゆかぬ。



     月に涙を誘う 横笛              1985年(昭和60年)10月13日