なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(173)

 今日は「父北村雨垂とその作品(173)」を掲載します。

       
            父北村雨垂とその作品(173)
  
  原稿日記「四季・第一號」から(その11)

 禅者があらゆる現象を差別としてその差別の対象となるところの「平等」と措定したことは、この相反

する関係は禅学に於いて常に口にする有相と無相に程良い程度に表現されている。即ち「法なる無→無相

即平等」対「現象なる有相」→即差別と措定しての弁証法的発展えと展開を輪廻に於いて結論的に措定す

る宗教としての重大な要素の在ることを観ることは当然許されるべきものと思考する。

                       1983年(昭和58年)4月12日


 拝(おろ)がむや 秋頭に 山桜の散りぬ    1983年(昭和58年)4月13日


 私がかつて云った禅者の発見である無を私流に解釈して『眞理であるところの無』としたが、この命題

からは巷間一般に云うところの『無』でないことはもとより日本の哲学者の一部で強弁するところの『絶

対無』とも萬里の隔たりを持つものと考えている。殊に『絶対無』の論理は私の尊敬の的である西田幾多

郎博士が禅を識ることによっての発想であることに深い関心を持って居ることは確かであったのである

が、その西田弁証法を基盤としたかに観える田辺元博士の絶対無の創作やその亜流とも考えられる弁証法

学者等の命題は、古代インドから中国へと受け継がれた禅者の悟りや『業』である『眞理であるところの

無』とは無限の隔たりがあるものと考えられるのである。

 『眞理であるところの無』とは非存在の代名詞でないことはもちろんのこと、実に「私」を含めた

「無」で、否私ばかりでなく個々の私をも含めた非存在をも内包する無で、換言すれば達磨の時代に於い

ては達磨その人なる個をも内包する非存在の存在とも観られる現象態、即ち差別を内包する吾々の個、精

しくは個々なる吾々が各々その足下に亦頭上に厳として充満している『無の相』こと『眞理であるところ

の無』の相なのであると共に、これこそ今日軽々しく云うところの命題を眞実に表現したものである。禅

が常に修行を重視する根底もまたここにあり、これこそ眞の現実を基盤とした命題である。意識に於いて

完全に把握する『無』の眞相であると同時にフッサールを祖とするハイディッガーやサルトル等の現象論

的論理をもその血液型を同じくするものと、私には考えられるのであり、その反面に於いて一般に云うと

ころの無の弁証法は全くその血液型を異にする形而上学であり、形而下の学即現代科学者論理に平行線を

形成するとも考えられる特殊血液型的構造を持つ眞理として承認し得る無の思念であり即ち禅者の「悟

り」であると考えられるのである。
                         1983年(昭和58年)4月19日


 藤棚の奥に老舗の暗い暖簾(のれん)            1983年(昭和58年)4月25日

 鉢植の春蘭ややに佗びしらに

 百合の生命をあえかに許したり豪気な渓谷(たにま)     1983年(昭和58年)4月28日

 一本の百合豪気の渓谷(たにま)や靜む           同

 百合の昼夜(ひとひ)を渓谷(たにま)の豪気静もりぬ     同

 百合の命をあえなく吾の許せしも             同


 墳墓(つか)も消え 鳥も道祖神も消えた          1983年(昭和58年)4月27日

 宝石も指輪も来ては呉れぬ嫁               同

 父恋ひの母恋ひの夜の声や雨の              1983年(昭和58年)4月4日

 山岳(やま)の美学海(みづ)の美学と涙のうの美学      1983年(昭和58年)4月8日

 私の死に近づいた自覚に近い予見