今日は「父北村雨垂とその作品(178)」を掲載します。
昨日のイースターの礼拝には、船越教会に23名の出席者がありました。普段の倍以上でにぎやかでし
た。礼拝後お昼を共にし、歓談して散会しました。
父北村雨垂とその作品(178)
原稿日記「四季・第一號」から(その16)
感覚と云うも知覚と云うもその源流となる意識を吾々は指摘することに異存は無い。而しその意識なる
ものが自己即ち個の意識であることを容認しながらも、その意識それ自体の相は誰も観ることも識ること
も出来ない。相はあるかも知れないが究極するところは「無相」であり、その存在は無相の相であること
は確かである。
カントの指摘するところのアンチノミーにしても、その弁証法の理念にしても、ヘーゲルの精神現象論
にしても好意を持ってする以外に同意することの困難さを持たざるを得ない実情は否定すべくも無い。こ
の無相の相の究明をこれらの理論を無縁のものとして、これ即ち無相の相を法即ち眞理の相とする。換言
すれば無相の相即本体として之を象徴するに眞仏とし如来とし法身とする禅者の悟境に終止点を要請され
る訳である。
彼等が命名するところの法身仏が以上の事を言外に表現している訳であり、臨済義玄喝破するところの
「眞仏無形」など最も適切に之を表現しているしその他洞山をはじめ多くの禅者の常識とさえみられる表
白であると考えられるのである。
1983年(昭和58年)8月5日
太陽を喰うが 目刺 と 葉鶏頭(けいとう) 1983年(昭和58年)8月9日
吾が 日日や 生死(しょうじ)の 渓谷(あい)を歩るく咳
わくら葉の 覚(かく)と應えて 秋の陽に 1983年(昭和58年)8月12日
秋の陽や 独禅独悟 吾れに在り 1983年(昭和58年)8月21日
やがてまた 無残と鳴くか 鈴虫の 1983年(昭和58年)8月19日
痰壷に 私(なんじ)を憎む 汚染(しみ)ったれ 同
痰壷に 度々に私(なんじ)を 吐き捨てる 同
サヤサヤと 囁く葦の 夢に聴く 1983年(昭和58年)8月28日
その夢や 昨日の葦に 続けとか 同
月光に 砂漠の花を 観た葦よ 同
おれは風だよ 汝(きみ)も風だぞ ナアポチよ
無慙や時計 鬼(ひと)を 無限に置き去りに 1983年(昭和58年)8月29日
西田哲学に於ける執拗なまでの無の自覚的限定なる命題にしろ、亦その系統を踏む元田哲学の絶対無の
論理にしろ、共に私の云う世界現象的現象世界構造の中に溶けこんだ「全部」即「平等」なる禅者の意識
の構造から世界を表現したかったのではないかと私はそれを確実であると表明せざるを得ないのである。
1983年(昭和58年)9月14日