なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(102)

         船越通信癸隠娃押 。横娃隠廓3月31日        

・復活節(イースター)の祝福が皆様の上に豊かにありますように!

・24日の日曜日は、いつものように礼拝後出席者でお茶とお菓子をいただきながら、懇談の時を持ちました。この日は棕櫚の主日で、イエスがろばの子に乗ってエルサレムに入城したとされる日曜日です。ホサナ、ホサナと歓呼の内に群衆はイエスを迎えたと言われます。この日から受難週になり、この週の金曜日にイエスは十字架上で息絶えて死んでいきます。虐殺されたのです。ろばの子と言えば、2月17日(日)だったでしょうか。神奈川教区の教育委員会が11年ぶりの子どもフェスティバルを開催しました。船越教会は現在教会学校休会中ですので、この子どもフェスティバルに参加する子どもは教会に来ていませんが、3月20日開催の平和フェスタの時に、子どもフェスティバルで用意した十字架を借りることになっていたので、その下見を兼ねて私の連れ合いが子どもフェスティバルに参加しました。

・最近教育委員会だよりが送られて来ましたが、その中に子どもフェスタの記事があります。開会礼拝の中で、本物のろばが登場しています。「ぜんそう、さんびか、おいのり、聖書朗読」の後に、「開会のページェント」があり、エルサレム入城の場面が演じられます。<・・・・ナレーター「イエスさまは子ろばに乗りました。イエスさまがエルサレムに近づいたとき、多くの人や弟子たちがイエスさまの姿を見て声高らかに賛美し始めました。」 ろば登場!? みんな木の枝をふって歓迎! 大人「ホサナ、主の名によって来られる肩に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」 みんな「ハレルヤ、イエス様、ハレルヤ、イエス様!」 さんびか82「ダビデの子、ホサナ」 ろば退場  みんな木の枝をふって見送る>。そして「説教」という構成になっています。このろばを借りるために20万円が必要だったそうで、カンパを募って集めたようです。西湘南地区の教師会では、この企画に厳しい批判が上がったようですが、批判された方も、ろばのためのカンパには協力してくれたと、実行委員長のK牧師はおっしゃっていました。本物のろば登場もあって、子どもフェスティバルの参加者は231名(25教会)ということでした。

・棕櫚の主日のことから、教育委員会の子どもフェスティバル報告になっていまいましたが、24日の日曜日は皆さんが帰った後、私はその日の午後5時半から行われるかながわ明日の教団を考える会の資料作りをしてから、船越教会を後にしました。この日連れ合いは秦野西教会の礼拝に出ましたので、私は一人で船越教会を出て、横浜駅で下車して、みなと未来にあるホームセンターで、29日予定の私の裁判支援会通信第6号発送のためにセロテープと糊を購入してから、会場の紅葉坂教会に行きました。かながわ明日の教団では、教区・教団への対応、神奈川教区の東日本大震災東京電力福島第一原発事故による被災者支援への協力、私の裁判支援、それに懸案の神奈川教区の信徒・教職に呼びかけて行う予定のシンポジウムの企画などを話し合いました。この日は、集会後に、この3月で横浜二ツ橋教会を辞して、4月から山口の方へ転居されることになっていますM牧師の送別会を野毛の中華店で行うことになっていましたので、会は早めに終えて、午後7半20分ごろには紅葉坂教会を出て送別会の会場に向かいました。送別会には22名が参加しました。乾杯を、参加者の中では最年長のKさんにお願いし、その後しばらく会食して空腹が満たされた頃から、S牧師、O牧師、参加の中では一番若いS牧師、教区の委員会を一緒にされたIさん、W牧師、そして最後にM牧師とは長い交流を続けている0さんに送別の言葉を語ってもらいました。そして最後にM牧師から挨拶をしていただき、送別会を終了しました。皆さんと別れて鶴巻に帰ったのは午前0時近くでした。

・25日の月曜日は、国会前の座り込みに行きましたが、国会前に着いた時小雨が降っていましたので、私より前に来て待っていてくださった、この座り込みの常連であるIさんが、今日は雨なのでやめましょう、とおっしゃいましたので、私はUタウンして鶴巻に戻りました。この日は午後6時から市谷の防衛省前で、辺野古埋め立て申請への抗議集会があり、国会前の座り込み後に参加しようと思っていましたが、座り込みがなくなり、鶴巻に午後3時前に帰りつくと、疲れがどっと出て、夜の防衛省前の集会に参加できませんでした。

・26日の火曜日は横須賀の路上生活者をパトロールしている船越教会のるシャワーの会があり、鶴巻を朝早く出て、午前8時半頃京急田浦の近くで、Sさんが運転する自動車に同乗しました。その後、衣笠でいつも一緒にパトロールに参加して下さっているKさんも同乗し、3人でパトロールに出かけました。この日は4名の当事者の方と出会い、Hさんが朝早く作って下さったおにぎりなどを、必要な方に配りました。中には、おにぎりはどうですか、と言って差し出しても、受け取らない方もおられます。そういう場合は、無理やりおにぎりを渡してくるということはしていません。必要か必要でないかは、当事者である本人の意思に即して、こちらが対応するようにしています。お腹が空いているだろうからと言って、無理やりおにぎりを渡すということはしていません。12時過ぎに、この日は横須賀中央駅近くで、Sさんと別れました。別れてから思い出して、船越教会に行き、私の裁判支援会が発行する通信第6号発送の準備を少ししてから、鶴巻に帰りました。

・27日、28日と紅葉坂教会時代のNさんが帰天し、前夜式と葬儀式に出席しました。ご遺族の方から火葬場で収骨した後に行う喪宴に是非出席してもらいたいとの申し出を受けて、故人とその兄弟姉妹方には、私たち二人は紅葉坂教会時代に随分支えていただきましたので、その思いを受けることにしました。故人の兄弟姉妹は10人いらして、皆さんお元気だったころは、この家族親族が何かで集まると50人以上になることもありました。Nさんの帰天で、5人は天上に移り、この地上には現在5人になりました。その内お二人は介護ホームにいらっしゃいますので、お元気な方は3人です。ご遺族の上に主に在る平安と慰めをお祈りいたします。

・29日は私の裁判支援会が発行する通信第6号の発送作業を行いました。支援会事務局と他の方にもご協力していただき、15名で支援者へ約900、教団の全国の教会約17000とプラス約100の合計約2700の通信等を入れた封書を完成送付しました。