なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

黙想と祈りの夕べ通信(137)

今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(137)」復刻版を掲載します。 黙想と祈りの夕べ通信(137[-32]2002.5.12発行)復刻版 Aさんの臨終に立ち会いました。今日の説教の中でも少しそのことに触れてみましたが、今回のことを通して、改めて「終りから」私…

牧師室から(21)

今日は、朝7時前に鶴巻を出て横須賀の京急久里浜駅で、船越教会の路上生活者のパトロール(月一回行っています)に参加しました。自動車で久里浜から横須賀中央・汐入にかけて点在する公園を中心に出会った路上生活者の安否を問い、必要とする方にはおにぎり…

船越通信(71)

先日鶴巻の私のパソコンが、終了中に物が落ちて来てパソコンの電源のスイッチを切ってしまい、初期化されてしまいました。私には復元の技術がありませので、誰か技術のある人に復元してもらうか、このパソコンは相当古いのもですので、この際新しいものに買…

8月も終わろうとしています。

8月も終わろうとしています。19日の日曜日は私の夏期休暇中でした。マルコ福音書のよる説教はお休みしました。そこで、8月は特に「平和を想起」する時期でもありますので、今日は、以前神奈川教区の平和フェスタという集会で話した開会礼拝説教を掲載します…

黙想と祈りの夕べ通信(136)

昨日から船越教会で開かれたいたフェミニスト神学の会が今日の昼過ぎに終り、散会しました。昼食はありませんでしたので、京急田浦駅から帰る人たちと駅近くの洋食屋さんで昼食をとり、午後2時半頃私だけ船越教会に帰ってきました。 今日は、ほぼ10年前に発…

牧師室から(20)

今日から明日にかけて、第30回フェミニスト神学の会が船越教会で行われます。今の会は、神奈川教区の性差別に関心のある女性の信徒と教職によって始められて、30回30年続いている集いです。ですから、私は昨日水曜日の午後からその準備もあり、船越教会に来…

父北村雨垂とその作品(125)

今日は、「父北村雨垂とその作品(125)」を掲載します。以下の父の文章は、ヤスパースの哲学と東洋の禅の思想との共通性について書いているように思われます(引用部分多し)。特に超越の問題は、キリスト教信仰にも関わるのではないでしょうか。キリス…

黙想と祈りの夕べ通信(135)復刻版

今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(135)」復刻版を掲載します。 黙想と祈りの夕べ通信(癸隠械[-30]2002.4.28発行)復刻版 長年当教会の関わりを、当教会の差別的体質への講義という形で表明してこられたFさんが、根岸の病院に入院しており、先日私は見舞…

父北村雨垂とその作品(124)

昨日の日曜日は藤沢大庭教会の礼拝説教を担当し、昨日から今日にかけて行われました神奈川教区社会福祉小委員会主催の障がい者と教会の集いに参加しました。 障がい者と教会の集いでは、川崎の桜本教会の牧師で、田園調布学園大学人間福祉学部、心理福祉学科…

牧師室から(19)

今日は、私の夏期休暇中で鶴巻にいますが、これから藤沢大庭教会に行き、礼拝説教を担当します。船越教会の礼拝は、國安敬二牧師にお願いしました。ですから、今週は船越通信はお休みです。牧師室から(19)を掲載します。大部前に教会の機関紙に書いたも…

マルコ福音書による説教(60)

マルコ福音書による説教(60) マルコによる福音書14:32-42、 ・今日は、ゲッセマネの祈りにおきますイエスの悲しみについて思い巡らしてみたいと思います。 ・イエスはいよいよ十字架の苦難と死が迫ったとき、ゲッセマネの園で真剣に祈ったと言わ…

父北村雨垂とその作品(123)

今日は、「父北村雨垂そその作品(123)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(123) 原稿日記「一葉」から(その6) 作品「私」100句はサブタイトルに「分裂の抽象的世界像」としてある様に私という力の存在の分裂に私の眞の在り方を観ようとし…

黙想と祈りの夕べ通信(134)復刻版

今日は、「黙想と祈りの夕べ通信(癸隠械粥法徂﨧鑒任魴悩椶靴泙后 黙想と祈りの夕べ通信(134[-29]2002.4.21発行)復刻版 アフガニスタンにおける部族間の軋轢、衝突は、以前も今もロシアやアメリカなどの外部勢力の介入によって複雑になっていますが、…

父北村雨垂とその作品(122)

今日は、「父北村雨垂とその作品(122)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(122) 原稿日記「一葉」から(その5) 神は神を見ることをしない。神を見るのは人である。人が神をみるのである。 人は人をみることをしない。人をみるのは超人である…

黙想と祈りの夕べ通信(133)復刻版

今日は、2002年4月14日発行の「黙想と祈りの夕べ通信癸隠械魁徂﨧鑒任魴悩椶靴泙后 黙想と祈りの夕べ通信(133[-28]2002.4.14発行)復刻版 4月14日(日)から、第二、第三主日の説教は、以前から予告していましたようにローマの信徒への手紙を扱うこ…

牧師室から(18)

昨日の船越教会の礼拝には、さいたまからいらした新来者の方が出席されました。私の裁判を支援してくださっている方で、さいたまの仲間と共に応援しています、と励ましの言葉をいただきました。ありがたいことです。また、この日は午後神奈川教区の平和集会…

船越通信(70)

船越通信癸沓亜 。横娃隠嫁8月12日 ・8月5日(日)は平和聖日の礼拝でした。船越教会では平和聖日の礼拝で聖餐式を行っています。船越教会の聖餐式は教会独自の式文によって行われます。この式文は、多分私の神学校時代の同級生の友人が1970年代に船越教…

マルコ福音書による説教(59)

マルコ福音書による説教(59)マルコによる福音書14:22-31、 ・14:22-25は、裏切りと逃亡という弟子たちの否定的な人間の現実のただ中で、イエスご自身は、あくまでも弟子たちとの関わりを断念しないだけではなく、本来のあるべき弟子たち…

父北村雨垂とその作品(121)

昨日は木曜日で鶴巻から船越への移動日でしたが、午後辺野古新基地反対国会前座り込みに行ってから、船越教会に向かいました。午後6時少し前に教会に着きましたら、礼拝に来ておられるNさんが、庭の草取りと水撒きをしてくださっていました。Nさんは昨年4月…

黙想と祈りの夕べ通信(132)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(132[-27]2002.4.7発行)復刻版 O兄が3月29日の聖金曜日に召されました。3月31日の黙想と祈りの夕べで、私はO兄のことを話しました。その後4月1日の月曜日に前夜式が行われ、式辞でお話ししたこととも重なりますので、前夜式の式辞…

黙想と祈りの夕べ通信(131)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(131[-26]2002.3.31発行)復刻版 今日は礼拝後に教会総会が開かれました。総会では2002年度の計画が審議され、可決されました。総会後に新しい役員を加えて新年度の役員会の打ち合わせがありました。そこで役員の役割分担が確認され…

父北村雨垂とその作品(120)

昨日8月6日はヒロシマ原爆投下の日でしたが、私は久しぶりに山歩きをしてきました。表丹沢県民の森・県立秦野戸川公園コースで、案内書には歩行時間3時間(約7.75km)とありました。小田急渋沢駅から〈みくるべ〉という所までバスで行き、そこから表丹…

牧師室から(17)

以下は、以前に教会の機関紙に書いたものです。 牧師室から(17) 3月12日に蒔田教会で「聖餐について」というテーマで教区の宣教を考える会が教区の宣教委員会の主催でありました。この会は3月1日~2日に各教区からの代表3名と教団の三役及び各委員会委…

船越通信(69)

船越通信癸僑后 。横娃隠嫁8月5日 ・29日(日)の礼拝には久しぶりにIさんが出席されました。この日はまた、前日の28日(土)にありました私の裁判支援会集会に遠方から参加してくれましたCさんも船越教会の礼拝に出席されました。この日は礼拝後何もあり…

マルコ福音書による説教(58)

マルコ福音書による説教(58)マルコによる福音書14:12-21、 ・今は夏ですが、3月末から4月にかけて、自然が冬から春の装いにかわる季節に、ユダヤ人たちは、一年間のお祭りのなかでも彼らにとって最も大切な過ぎ越しの祭りを祝います。イエスの…

黙想と祈りの夕べ通信(130)復刻版

黙想と祈りの夕べ通信(130[-25]2002.3.24発行)復刻版 今日は朝の礼拝でY牧師の説教を伺いました。その中で共感したことがありました。聖書の神を信じるということが、私たちのあり方、生き方に及ぼす影響についてです。 一つは、神を信じるということは…

牧師室から(16)

以下は以前に教会の機関紙に書いた文章です。 牧師室から(16) 今回私は教団の教師委員会に7人の信徒常議員から出された私に対する「戒規適用申立書」を受理したことを問う文章と資料を全国の教会・伝道所に送らせてもらいました。その私の訴えにいろいろ…

父北村雨垂とその作品(119)

8月に入りました。厳しい暑さが続いています。くれぐれもお体大切にお過ごしください。今日は「父北村雨垂とその作品(119)」を掲載します。 父北村雨垂とその作品(119) 原稿日記「一葉」から(その1) ノエシスとノエマはフッサールの発想であっ…