なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(120)

 昨日8月6日はヒロシマ原爆投下の日でしたが、私は久しぶりに山歩きをしてきました。表丹沢県民の森・県立秦野戸川公園コースで、案内書には歩行時間3時間(約7.75km)とありました。小田急渋沢駅から〈みくるべ〉という所までバスで行き、そこから表丹沢県民の森まで行き、そこから西山林道を通って大倉に出るコースです。大倉には県立戸川公園があります。

 案内書には〈みくるべ〉まで小田急渋沢駅から日に5本位バスが出ていると書いてありましたので、渋沢駅前に停車していたバスの運転手に聞いてみました。すると、神奈中交通のバスの運行はもう止めているということでしたが、秦野市(?)による7~8人乗りのバンでその地域まで運行している車が後ろに止まっているから、そちらで聞いてみてくださいということでした。さっそくその車の運転手に聞きましたら、〈みくるべ〉行きは11時40分発ということでした。その時はまだ11時過ぎたばかりでしたので、私は大倉行きのバスに乗り、堀川で降り、地図では堀川から〈みくるべ〉までは2キロ強ありますが、歩くことにしました。

 〈みくるべ〉近くになって、雨が降り出しました。携帯用の傘は持っていましたので、傘をさして歩いていきました。みくるべ病院という病院があり、それを過ぎると山道になり、そこから約8キロは誰にも出会わずに、雨の中を一人で歩いていきました。晴れていたら、鬱蒼とした樹木の中を歩くのですから、気持ちいいだろうなあと思いました。雨が一時止んで明るくなりかけたとき、鶯の鳴き声が森の中に響き渡りました。鳥の鳴き声を聞いたのは、これ一回きりでした。傘はさしていましたが、段々激しくなる雨で着ていたTシャツもズボンもびしょ濡れです。履いていた靴も、道路を寸断する水の中を歩くので、中は水浸しです。ここまで来たら後戻りできないと、覚悟を決めて大倉まで歩き通しました。午後2時過ぎに大倉に着くことができました。大倉に着くころには、ほとんど雨も上がっていました。濡れたままの状態で、県立戸川公園入口の前にあるお蕎麦屋さんに入り、遅い昼食をとり、戸川公園入口近くにある休憩所の2階の和室で着替えをして、しばらく休んでから帰ってきました。

 山歩きと言っても、私の場合はいつもこの程度です。本格的な山歩きをする方からすれば、山歩きに値しないと言われてしまうでしょう。でも、私には山歩きに違いありません。

 さて、今日は「父北村雨垂とその作品(120)」を掲載します。


              父北村雨垂とその作品(120)

 原稿日記「一葉」から(その3)


 鑑賞すると云うことは、作品~絵画その他の芸術家の製作品若くは文学作品~を、それによる自己の反応、一種の抵抗を噛みしめること、つまり味わうことで、作品の意味を求めることではない。そこに鑑賞者の批判と創意が出る訳で「批判」もまた「創作」だと云われる根據はそこに在る。



 人は常に孤獨なるが故に神を創造して、人間になるものとする。やがてその人間は愛の分析にとりかかる。愛の中から人の核が孤獨の両手をあげて待ってゐるのが人間に理解される日が果して在るだらうか。

 おそらく、それを神は指示しないであらう。老子荘子ショーペンハウエルニーチェ等のニヒリスト達は、各自の主張のうちに、その裏打ちしてゐるが、現代人を納得させる迄には至っていない様な気がするが、案外、現代人が科学と密着し過ぎてゐることに原因してゐるのではないだらうか。

 現代詩人は科学によって、詩が現代から抹消されない様に形而下の学と形而上の学との関係を学ぶ必要があり、それが現代人の責任である様に考へられる。



 神の存在を肯定する決定的な証明は不可能に近い。少なくとも現在の時点に於ては、そう表明することが決定的である。この意味に於ても無力に近い。唯、吾々は、そのいづれにも証明し得る可能性についてまで否定は出来ないし肯定もなし得ない。ここに科学、哲学、神学の存在を許容するひとつの根據がある様に考へられるが、詩人と芸術家の一部の或る人達は唯、微笑をもって、何も解答をも見せて呉れない現在に停つ私である。