なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(17)

 以下は、以前に教会の機関紙に書いたものです。

 
                 牧師室から(17) 


 3月12日に蒔田教会で「聖餐について」というテーマで教区の宣教を考える会が教区の宣教委員会の主催でありました。この会は3月1日~2日に各教区からの代表3名と教団の三役及び各委員会委員長など80数名の出席で行われた教団の宣教方策会議に神奈川教区から出席した3人の方の発題によって始まりました。3人の発題者の一人がHさんです。

 Hさんは、私に対する一教師の戒規免職処分が教師委員会によって決定されている状況で開かれた教団の宣教方策会議が、そのことを全く問題にせず、あたかも何事もなかったかのように行われたことへの驚きと批判を述べ、M教会が非受洗者に開かれた聖餐を執行するに至る経過と教会的決断を丁寧に話されました。フロアーからの質問や意見はHさんの発題に集中しました。

 ただ今回は教区の巡回牧師であるS牧師が出席していて、次のような発言をしました。自分は牧師として仕えた教会では「閉じた聖餐」を行ってきたが、巡回教師として頼まれて礼拝説教に行った教会の中には「開かれた聖餐」をしている所があり、その教会の要請で「開かれた聖餐」も執行してきた経験から、洗礼から聖餐への道だけではなく、聖餐から洗礼への道もあると発言されました。このS牧師の発言には批判もありましたが、説得力もあったと思われます。

 私も「開かれた聖餐」を教憲教規違反とする発題者に質問し、あなたが是とする「閉じられた聖餐」と、戦争協力の下に行われた当時の教会の聖餐執行との連続性、及び沖縄教区が教団とに距離を置いている現在の状況での聖餐執行との関連を問いました。どちらも仲間を排除切り捨てたところで行われている教会の聖餐執行が、教憲教規に基づいているからと言って、正当化されるとは私には考えられないからです。その問いへの答えはありませんでした。
                                  2010年3月


 今日教会は、時代や社会からその存立の意義を根底から問われているように思われます。私は基本的には、イエスの福音はその福音にふさわしい応答を私たちの中に呼び起こす命があると信じていますので希望を失ってはいませんが、私たちの教会には潜在的にもこの危機意識が広がっているのではないでしょうか。このことが、日本基督教団における私の戒規免職処分の根底にもあるのではないかと私は思っています。
 
 世俗化した社会の中で人々がほとんどキリスト教には関心をもたず、一見神信仰も捨て人間中心主義が貫かれているところで、教会には自分たちの信仰を守ろうとする護教の力が働くのは無理からぬことかも知れません、自分達の信仰や教義を絶対化して、その枠組みを崩す力には防衛本能が働いてしまうのでしょう。私を戒規にかけて排除しようとする方々は、洗礼を受けていない人にも陪餐を許している「開かれた聖餐」を認めてしまうと、自分達の存在そのものが否定されると思うのでしょう。聖書学的にも宣教論的にも、また現実の世界の教会でも「閉じられた聖餐」も「開かれた聖餐」もどちらもあり得るわけですから、それほど目くじら立てることもないと思うのですが、日本基督教団という教会ではどうもそういう曖昧な態度は許されないようです。
 
 教会の存立そのものが問われている現代社会にあって、既に亡くなっている人ですが、メノナイトの神学者であるヨーダーは、教会についてこう述べています。「『イエスは主なり』という告白によって世と区別される教会は、いかにして世を変革し、平和を作り出していくのであろうか。彼らは暴力や相手の意志に反する強制力による変革ではない道を選ぶ。世に対する対抗勢力のモデルとして、新しいコミュニティーとして世に具体的代案を提供することによって」と。私たちはこのヨーダーに主張に耳を傾けていきたいと思います。 
                                    2010年5月


 私は『谷川俊太郎の問う言葉、答える言葉』を愛読書の一つにしています。時々答えのなかなか見出すことのできない問いにぶつかり、立ち止まってしまうときなど、この本を読み返してみます。目次よりも前にあるこの本の最初の言葉は、「世界が問いである時/答えるのは私だけ/私が問いである時/答えるのは世界だけ」です。
 
 谷川俊太郎は詩人です。詩人と画家は仲間ではないかと私には思えます。一枚の絵を鑑賞するのと一つの詩を読むのとには、共通する何かを感じています。難解な絵があるように、難解な詩もあります。けれども谷川俊太郎の詩は平易です。平易ではありますが、どんな詩にも、読む者を立ち止まらせる何かがあります。この本は、谷川俊太郎自身が作ったものではなく、谷川俊太郎の書いたもののうちから、本田道生という編集者が選んで編集したものです。この本の「あとがき」で谷川俊太郎はこう書いています。「言葉は現実という巨大な氷山の一角に過ぎないと私は思っています。言葉は矛盾を嫌い、現実を整理整頓しがちですが、どんなことでも一言で言い切ることは出来ないはずです。言葉はいつも出発点で、そこから私たちは他者へ、また世界へと向うのです。」と。
 
 「空の青さをみつめていると/私に帰るところがあるような気がする」。「私も今では世間並みに空を見ていて、空の時間と自分が現実にこの世で暮らしている時間が、どこかですれ違っているような気がしています」。この言葉のように、谷川俊太郎の詩の言葉は、自分へと閉塞しがちな私たちのからだと心を他者へ、世界へ向けて開いてくれます。私は信仰にも同じようなものがあって、イエスを信じ、神を信じるときに、人は関係へと開かれていくのではないかと思っています。

                                    2010年6月


 8月2日に西中国教区の集会に招かれています。第2回西中国教区の歴史から「日本伝道150年」を問う集会で、チラシには以下のような呼びかけが記されています。「2009年開催の第58回教区総会は議案『日本伝道150年』記念行事開催に西中国教区として抗議の意志を示す件」を可決。昨年度に引き続きその問題性を共に考え、これからのことを話し合いたいと思います。ご参集ください」。

 「日本伝道150年」の問題性は、沖縄の切捨てにあります。私は昨年10月開催の常議員会で2010年度教団予算から「沖縄宣教連帯金」が40万円減額されたことへの抗議を「沖縄から米軍基地撤去を求め、教団『合同のとらえなおし』をすすめる連絡会」の通信に書きました。その中に以下のような一節がありあます。

 「・・・。1941年の教団成立は国家の要請に教団に加入した教会が呼応順応したというのが歴史的事実だと思う。従って教団に属する教会の関係性は、この歴史的事実と向かい合うという一点を抜きにしては成り立たない。沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同は、戦責告白の実質化の一つとしてこの教団成立の負い目をどう克服して真の合同教会を形成するかという課題に通底している。従って沖縄(教区)との関わりを切り捨てたとき、日本基督教団日本基督教団ではなくなる。教団成立の問題への克服を持たない「信仰告白・教憲教規」を他教団と区別する日本基督教団アイデンティティー(土俵)だと主張する人たちは、日本基督教団とは別の教会を志向していることになる」。

 このような私の考え方が西中国教区の問題意識に重なっているので呼ばれたのでしょう。教勢の減退への危機しか言わない現在の教団の主流の中で、西中国教区の奮闘を応援したいと思います。

                                      2010年8月