なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(614)

船越通信、№614  2024年4月28日(日)北村慈郎

  • 21日(日)の礼拝には耳の不自由なOさんが出席しました。前からこの日の礼拝に出席したいという連絡がOさんからありましたので、何時ものように説教原稿を準備し、サポートしてくれる人をお願いしておきました。礼拝後Oさんの質問を受けますので、何時ものように筆談のための紙とボールペンを持ってOさんの所に行ったのですが、この日はその必要が無く、Oさんのスマホに、Oさんの質問に対する答えを私が話し言葉で言いますと、それが文字になって出て来るのです。技術の進歩には驚かされます。その後Oさんも一緒にN・Kさんが用意して下った昼食を皆でいただいて、2024年度の船越教会教会総会を開催しました。船越教会の現在の現住陪餐会員は20名です。船越教会宗教法人法第23条により五分の一以上の出席者によって総会が成立しますので、この日は9名の方が出席でしたので、総会が成立しました。2023年度教会諸報告、2024年度基本方針並びに事業計画、2023年度決算および2024年度予算については全て承認可決し、役員選挙の結果、2024年度はH・Tさん、Nさん、W・Tさん、N・Kさんが役員に選ばれました。最後に議事録承認は新らしい役員会に一任し、総会を終了しました。その後新しい役員の方々には集まっていただき、書記、会計、教区総会議員、地区総会議員をお願いする方を確認しました。そこで一応散会しましたが、この日はその後、女性を中心に私とNさんが加わって、『世界祈祷日2024』のパンフレットにある「礼拝」を、その式文に従って、役割を分担してそれぞれが読み、讃美歌を歌い、守りました。この礼拝の目的がパンフレットに記されていますので、その部分を引用しておきます。「この礼拝では、どんな困難や抑圧にもかかわらず、愛をもって互いに忍耐しあうようにと呼びかけています。この式文は超教派のパレスチナ女性キリスト者たちによってエフェソの信徒への手紙4章1節―7節への応答として書かれました。パレスチナキリスト者女性が置かれている状況から、このテーマについて共に考えてみました。この礼拝が、世界中の女性たちが互に愛をもって困難な時代にも忍耐しあう力となるようにと、わたしたちは願っています」。また「世界祈祷日は、多様なキリスト教の伝統を共有するキリスト者女性により、1887年にアメリカの女性たちが移民者や抑圧されている人たちを覚えて始まりました。2度の世界大戦の経験から、地球規模の視野をもって和解と平和を求める祈りによる世界的な運動に発展しました。/毎年3月第1金曜日を中心に、テーマにそって祈りあい、世界的なネットワークをもつ女性たちと祈りと行動を続けています。世界祈祷日の献金は、世界祈祷日国際委員会(WDP)を通して式文作成国や国内外の女性たちの働きのためにささげられます」と記されています。コロナ感染以前には、他の教会の方にも呼び掛けて、船越教会で世界祈祷日の集会を開いたことが何回かありますので、来年からはパンフレット取り寄せも早めにして、世界祈祷日の集会を持てるようにしたいと話し合って、この日急遽行なわれた集いを終えて、散会しました。
  • 22日(月)は、総会が終わりましたので、教区・教団に出す年度報告を記載しました。年度報告書と共に教区に出す「2024年度 神奈川教区総会教職・信徒議員登録書」には教会印を捺印しなければなりませんので、24日(水)の午後2時ごろに船越教会に行き、教会印を捺印して、蒔田の教区事務所に行き、提出して来ました。この日は午後4時半から高座渋谷教会で基地小の委員会がありましたので、蒔田から地下鉄で湘南台に出て、高座渋谷教会に行き、基地小の委員会に出席しました。基地小では、主に6月に基地小で毎年行なっている、一年間で「神奈川の基地がどう動いたか」をスライドで説明してもらう委員会内学習会と、オリエンテーション委員会からの申し出を受けて、9月に厚木・座間を中心とした基地見学会について話し合い、実施することにしました。この日は新しい委員も一人加わって、5人で委員会を行ないました。午後6時少し前に委員会は終り、鶴巻には7時過ぎに帰りました。
  • 23日(火)は、国会前の座り込みを一緒にしている方からも薦められていた、三上智恵監督の「戦雲(いくさふむ)」が10時5分から厚木のkikiという映画館で上映されているのを知って、観に行きました。2016年ごろから南西諸島に自衛隊のミサイル基地が与那国、宮古、石垣と作られ、その島々に配備されたミサイル網を統括する本部拠点として、沖縄本島うるま市にある勝連分屯地の運用が2024年度から始まり、「うるま市だけでなく、沖縄本島の各地が急速な軍事化の波にさらされている」のです。この「戦雲(いくさふむ)」は、その島々に住む人びとの痛みがよく描かれていて、日本政府が米軍と一体化して琉球弧を軍事要塞化している現実を、鋭く問うています。私は特に、石垣島の山里節子さんが、祖先から受け継がれたという「戦雲がまた湧き出てくるよ」「ああ憎い権力者どもよ」という歌を歌っている姿が印象的でした。まだ観ていない方は、是非ご覧いただきたいと思います。そして自分の出来るところで、私たちはこの動きを何とか止めていかなければなりません。この映画を観て、改めてそのことを強く思わされました。
  • 25日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は4人で座り込みました。この1か月間で、私たちが座り込んでいる参議院議員会館前の風景は一変しています。冬の間幹と枝だけで、殺風景だった街路樹の銀杏並木には緑一杯に若葉が茂って、自然の生命の横溢が感じられます。この日は、地下鉄の国会議事堂前駅から、何時ものように官邸の交差点の所に出ましたら、久しぶりにその交差点から官邸に向かって演説している右翼らしい高齢の男性が、マイクで訴えていました。その場所には、この日私が座り込みを終えて帰って来た時には、「大浦湾への土砂投入反対」「代執行反対」と大きな横断幕を2枚フェンスに張って、2人の方が立っていました。ここで座り込んでいる方々は、沖縄出身の方だと伺っています。ウクライナやガザで明らかなように、軍事力では人権を守り平和も造り出すことはできません。「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)。